2017 年 3 月 26 日 のアーカイブ

「愛媛・災害の歴史に学ぶ」23 旧松山藩士族と福島県開拓移住地(1)

3月 26日 日曜日

平成23年3月11日に発生した東日本大震災。被災した東北地方には愛媛県と歴史的、文化的に繋がりのある地域が多くあります。例えば岩手県北上市の聖塚。伊予出身の一遍上人の祖父河野通信の墓所とされている史跡です。そして宮城県仙台市をはじめ東北各地に見られる郷土芸能の鹿踊り。江戸時代初期に仙台藩主伊達政宗の長男秀宗が宇和島藩に入部した縁により南予地方各地に東北由来の鹿踊が伝播しています。また、同じく伊達家入部の関係で仙台領の名取郷(現在の名取市付近)の軍夫が宇和海の海上警護のために伊方町名取地区に移住したという伝承があります。

そのような歴史的繋がりのある地域の一つに福島県郡山市があります。筆者は東日本大震災後の状況を確認するため、平成24年1月27日に福島県郡山市に足を運んでみました。明治時代に愛媛県松山から安積原野の開拓のため移住、定住した旧松山藩士族の旧跡を見てまわるためでした。福島県安積原野の開拓は明治時代の士族授産事業として行われ、現在の郡山地方の発展の基礎を築いたといわれています。江戸時代には水利の便に乏しかったのですが、明治政府の直営事業として明治15年に安積疏水が完成し、この地の開拓事業に禄を失った士族が全国から入植したのです。鳥取、高知、久留米など西日本からの移住が多く、旧松山藩士族は15戸49名が明治15から17年にかけて移住しています。この経緯については高須賀康生氏「松山藩士族の安積開拓移住について(上)(下)」(『伊予史談』246、247号、1982年)に詳しく紹介されています。

郡山市に隣接する須賀川市には筆者の大学時代のゼミの同級生で日本史教員をしている友人がいるので、彼と久方ぶりに対面しました。車を出してもらって、郡山各地を見学しました。友人からは地震当日のこと、直後の断水やガソリン等の物資不足、自宅の被災状況や県外への避難、そして福島第一原子力発電所事故による放射線の影響や現状などいろいろ話を聞きながら、郡山市内を巡りました。

まずうかがったのが郡山市役所です。本庁舎は地震で甚大な被害のため使用不可となっていました。各課が分庁舎や市内の別の建物に移っての業務を行わなければいけません。人口33万の大都市の本庁舎が使えないという現実を目の当たりにしました。教育委員会の文化財担当者に挨拶するため、教育委員会が移転している音楽文化交流館に行ったのですが、狭い部屋にすし詰め状態で並べられた仮設長机での業務環境でした。職員の皆さんが慌ただしく執務する様子。その部屋の雰囲気に震災から十ヶ月経ってもいまだ深刻な状況である事を改めて実感させられました。また、音楽文化交流館内では市民向けに、放射線の空間線量を計測するサーベイメータ、積算線量計の貸し出しの窓口が設置されていて、幼い子どもをもつ保護者たちが数多く並んでいるのも印象的でした。(続く)