Archive for 9月, 2017

歴博・秋の企画展示開幕!

2017年9月30日

愛顔つなぐえひめ国体が、本日9月30日(土)から開幕しますが、歴博でも本日から秋の企画展示がスタートします。

特別展は、「高虎と嘉明」。ともに秀吉に見出され、朝鮮出兵にも参加し、同じ年に伊予の大名になり、関ヶ原の戦では家康方について、それぞれ加増され、伊予の国を折半して治めるようになります。藤堂高虎は、宇和島、今治で城をつくり、加藤嘉明は松山城を築いたことで有名ですが、その生涯となると意外と知らない方も多いのではないでしょうか。

今回の展示では、高虎が転封となった伊勢の津藩や、加藤家が幕末まで治めた近江・水口藩ゆかりの資料をはじめ、賤ヶ岳の戦や関ヶ原の戦を描いた屏風、秀吉や家康から出された書状など、県外からも関係資料をお借りするほか、最近発見された今治の城下図など、盛りだくさんの資料で、当時の伊予の姿をたどっています。

文書展示室では、えひめ国体の相撲競技が、西予市野村の乙亥会館で10月6~8日に開催されることにちなんで「相撲の歴史と民俗」というテーマ展を開催しています。南予地方は子どもによる相撲練はじめ相撲にまつわる行事が多いようです。それが、初代朝汐太郎や横綱・前田山、最近の玉春日などの強い力士を輩出した遠因かも。
江戸時代に活躍した新居浜大島出身の石槌島之助の足型や、松山の三津出身の陣幕嶋之助(雷電を倒したことで有名)の姿絵、相撲の起源などが書かれた古代の史料などもご覧ください。

考古展示室では、テーマ展「大型器台とその時代」を開催しています。今年、県の指定有形文化財となった大型器台を実物展示しています。

祭祀の際に使われたものと思われますが、まだ謎が多く残る大型器台。今回の展示では、大型化していく移り変わりや瀬戸内地域での広がりの様子などにもふれています。

それぞれの学芸員による力作ぞろいの秋の企画展示。えひめ国体の観戦ついでに、お立ち寄りいただければ幸いです。ちなみに10月1~3日は、西予球場ほかで成年女子のソフトボールが開催されます。ソフトボール界のレジェンド・上野由岐子投手も来県されるとのことです。

特別展「高虎と嘉明」の展示作業、始まりました

2017年9月22日

特別展「高虎と嘉明」の資料の集荷が終わり、今日から展示作業が本格化。

まずは今回の展示を象徴する資料、藤堂高虎が豊臣秀吉から拝領したと伝えられる兜(伊賀市蔵)から展示をスタート。

秀吉が好んだ中国の冠を模した形状の兜で、唐冠形(とうかんなり)兜といいます。兜から突き出た纓(えい)と呼ばれる装飾は、片方だけで約85センチ。近付いてみると、その迫力が伝わってきます。展示室の入口付近に、観覧者をにらみつけるように展示していますので、ぜひその迫力を体感してみてください。

特別展の開幕は9月30日(土)。展示作業はまだまだ続きます。

中国四国名所旧跡図33 阿州灌頂瀧

2017年9月14日

西丈は正規の札所よりも、そこから少し外れた奧之院や番外霊場を好んだのか、そうした所にも積極的に足を伸ばしている。19番札所立江寺を参拝した後も、20番札所の鶴林寺には直接行かず、奧之院の慈眼寺に向かっている。谷川に沿って歩き、山に入っていくと、谷を隔てた向こうに雄大な滝が西丈を迎えた。灌頂ヶ滝である。

勝浦川の支流、藤谷川の上流部にあり、落差約80メートル。付近は古生界の泥岩のほか、塩基性海底火山噴出物と石灰岩が分布しているが、西丈は墨をにじませながら、滝周辺の岩肌を巧みに表現している。このモノトーンの色調の中に、赤く燃え上がる火の玉。滝の半ばに浮かんで見える火の玉の正体は?

灌頂ヶ滝は、四国山地東部の旭ヶ丸(1020m)を中心とする山なみ南面の水を集めて落下しているが、滝の半ばで岩に当たり霧散するため、晴天で風が吹くと虹となって輝いた。この虹を人々は「不動尊のご来迎」と称して拝んでいた。西丈は左下に「不動御朱光」と記しており、不動尊を虹ではなく、赤い光の中に見出している。元禄2(1689)年刊の『四国遍礼霊場記』には、「天晴日移る時火焔たち、此時不動明王降臨あり、故に不動の滝ともいふ」と記す。西丈はまさしくこのイメージで灌頂ヶ滝を描いている。

西丈は滝に感動したのか、和歌を書き留めている。

くわん頂の瀧に旭かさせはとそ不動表われもおなし灌頂
朝にさす影に不動も行水のあまりに我も垢をそゝかん

また、あわせて「栗林子猷」という人物の句も書き留めている。

焔なる汗を灌ん瀧の水

中国四国名所旧跡図32 阿州長尾城村チル瀧

2017年9月7日

大きな崖を勢いよく落下する滝。落ちた先でも急流となり、画面右から左へ流れ下っていく。その川縁に藁屋が2棟。対岸に渡すように真ん中が高くなった木の橋が架けられている。対岸には道が続いているようだ。

左上には「阿州長尾城村チル瀧」という文字が記されている。これを手がかりに、19番の立江寺から灌頂ヶ滝の間で探してみたが、長尾城村に該当する地名が見つからない。音でいうと「ナガオジョウ」。もしかすると那賀川下流北岸の中之庄村(阿南市)ではないかと考えてみたが、ほとんどが低地の穀倉地帯ので、西丈が描く景観と大きく異なる。

ルート上の滝といえば、立江寺の奧の院星谷寺に、岩窟のようになってところで、滝を裏側から見ることができる裏見の滝がある。文字情報と一致しないが、あるいは裏見の滝を描いたものであろうか。西丈の場合、旅日記が残されておらず、絵だけで読み解かないといけないので、特定できない絵が何枚かある。

(2017年9月7日初稿)

2020年4月、新型コロナ感染拡大防止により博物館が臨時休館したことにともない、「おうちで歴博」という企画で、これまでの中国四国名所旧跡図について書いた原稿について、同僚学芸員がリライトして当館インスタグラムに掲載してくれることになった。その同僚からもしかしてということで、「チル瀧」ではなく、「ナル瀧」と読むのではないかという指摘を受けた。そこで一緒に「ナル瀧」で調べていると、徳島市飯谷町の勝浦支流に鳴滝があることがわかった。滝の落差は25mで、一年中枯れることなく落ちているとのこと。その近くには、洞友庵とも呼ばれた1700年代初頭の建った大師堂もある。場所としては、18番恩山寺、19番立江寺からも近いので、西丈が立ち寄った可能性が高い。といっても、これまで集めた江戸時代の道中日記をめくってみても、この鳴滝に立ち寄ったという遍路は1人も見当たらない。もしかすると、西丈は地元の人に教えてもらいながら絵になりそうなところを訪ね歩いていたのかもしれない。西丈のリサーチ力、恐るべし。

最後に、ナル滝の前に記された長尾城村という地名の問題が残る。これについてはよくわからないが、ただ鳴滝がある飯谷には、長柱(なごしろ)という地名があるようだ。地元の人にその地名を耳で聞いて、書きつけた村名の可能性はある。「中国四国名所旧跡図」には、このように調べる楽しみが満載だ。

 (2020年5月15日追記)