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「高虎と嘉明」紀行4 -松前城-

2017年10月25日

松山から県道22号伊予松山港線を南へ進み、重信川の川口大橋を渡り、さらに国近川を過ぎると、左手に記念碑の建つ広場が現れます。松前城跡を示す記念碑で、かつてこの一帯に松前城が存在しました。

松前城跡


嘉明は、天正11(1583)年の賤ヶ岳合戦の功名により3千石を拝領しますが、四国平定を経た同14(1586)年には淡路国志智1万5千石の大名になります。そして、第一次朝鮮出兵(文禄の役)を経て文禄4(1595)年、伊予松前6万石を給わり、高虎と時を同じくして伊予に入部します。

嘉明が居城に選んだのは伊予郡の松前城です。道後平野南部を流れる伊予川(重信川)の河口に位置し、中世以来の伊予郡の良港でした。

現在では城跡として往時の姿を留めていませんが、近隣の地下からは、かつて石垣の痕跡と見られる巨石が発見されたこともあります。
周辺には、わずかながら痕跡を探すこともできます。住宅地に入り、矢野地蔵堂の前に差しかかると、アスファルト道路の端に不自然に巨石が剥き出している所があります。実はこれ、松前城筒井門があった場所とされ、その礎石といわれています。ここにあった筒井門が松山城築城の際に移築され、松山城筒井門として残されたと伝えられています。

松前城筒井門礎石


また、もう少し東へ進んだところにある平安時代開創という金蓮寺は、もともとは今よりも海寄り(松前城の場所)に所在していたものを、松前城築城にあたり現在地に移築したと伝えられています。松前城築城時の様子を伝える貴重なエピソードです。

金蓮寺


特別展では、嘉明が領内の桶職人を取り仕切る大工に松前城下町衆の2人を任命した印判状を写した典籍なども展示しています。

嘉明が高虎とともに伊予の大名となり、新たな支配に乗り出す拠点となった松前城、32年に及ぶ伊予での領国支配がここから始まりました。

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