2017 年 11 月 6 日 のアーカイブ

「高虎と嘉明」紀行10 -甘崎城・小湊城-

11月 6日 月曜日

しまなみ海道の伯方島と大三島をつなぐ大三島橋、その下には細くL字に曲がった海峡を激しく海水が流れる鼻栗瀬戸があります。この少し北、大三島東岸の甘崎海岸の目前に、小島を城砦化した甘崎城があります。
海岸から浅瀬を挟んで目と鼻の先にあるため、大潮の日には歩いて渡ることができます。

甘崎城

戦国時代から芸予諸島の要衝として重視され、海賊衆来島村上氏の支配下に置かれていました。関ヶ原合戦後に今治を領有することになった藤堂高虎も、この甘崎城の重要性を認識していました。瀬戸内海交通の監視はもちろんながら、芸予国境を目前に一望できる甘崎城は、豊臣恩顧大名福島正則の領国となった安芸・備後(広島県)の監視や国境警備には最適でした。

高虎時代に、島の周囲を石垣で囲み、瓦葺きの建物を設け、近世城郭へと改修されました。現在でも干潮時には残存する石垣を目にできることで有名です。島からは、瓦も出土しています。

甘崎城南隅石垣

特別展では、甘崎城から出土した瓦や、歴史復元イラストなどを手がける香川元太郎氏による復元イラスト「伊予甘崎城」を展示しています。

高虎は、新たな拠点今治城を築き、甘崎城で要衝管理を始めるようになると、両城を取り結ぶ「つなぎの城」として小湊城を整備します。
小湊城は、今治平野の北辺の山際にあって文字どおり来島海峡に面する海岸に立地し、また浅川の河口に近く戦国時代から小湊浦として港湾機能を備え、小早川隆景時代にも重視されていました。

小湊城

東予に領地を得て、芸予諸島管理のための支城ネットワークを整備しようとする、高虎の構想がうかがえる2つの城です。

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