2017 年 11 月 21 日 のアーカイブ

「高虎と嘉明」紀行19 -津 寒松院・上行寺・高山神社-

11月 21日 火曜日

 高虎は、激動の時代を生き抜いた末、寛永7(1630)年にその生涯を終えます。
 墓所は上野寛永寺の子院の寒松院。後に寒松院が移転したため、墓所は旧敷地にできた上野動物園内の一角に今も静かに残されています。

 しかし、津藩藩祖の高虎クラスになると、墓碑は複数存在します。
 領地とした伊勢と伊賀にも存在し、まず本拠とした伊勢の津では、江戸上野の菩提寺と同じ名前を持ち、やはり藤堂家菩提寺であった寒松院です。
 津城の東、岩田川河口近くにある同院は、2代藩主藤堂高次(高虎嫡子)の創建で、当初は昌泉院と称しましたが、後に藩祖高虎を祀り藤堂家菩提寺となってからは寒松院と称するようになりました。
 歴代藩主や家族、また久居藩藤堂家歴代の墓碑が建ち並ぶ中に、高虎の墓碑もあります。五輪塔の墓碑はかなりの大きさで、基壇自体の高さもあり見上げる程です。両脇には、継室松寿院、嫡子高次の墓碑も並んでいます。

津 寒松院 高虎墓碑

 伊賀では、伊賀上野城の南に広がる城下町の東寄り、現在では風情ある小路に整備されている寺町の北端に位置する、伊賀での藤堂家菩提寺上行寺です。高虎が羽柴秀長の家臣として拝領した領地紀伊国(和歌山県)粉河で創建し、伊予から伊賀へと国替の都度これに従い移転してきたという、高虎とゆかりの深い寺院です。
 やはり、歴代藩主の墓碑が建ち並びます。

上行寺 高虎墓碑

 高虎は、没後年月を経て藩祖として崇敬の対象となり、神として祀られることになります。津城跡の公園の南隣に鎮座する高山神社、ここは高虎を祀るために明治9(1876)年に創建された神社です。当初は別の場所にあり、一時本丸跡にあった時期もありますが、戦災に遭った後に内堀跡である現在地に移転しました。
 高山神社の社名は、高虎の法名「寒松院殿道賢高山権大僧都」に由来します。

高山神社

 
 時代の転換期を智恵と能力で生き抜き、藤堂家を全国有数の大名に伸し上げるとともに、伊予や伊勢・伊賀の太平の礎を築いた高虎、今も多くの人々の崇敬を集めています。

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