2019 年 8 月 3 日 のアーカイブ

「我今より突撃に転ず」~特攻隊員の兄を想う~

8月 3日 土曜日

戦後75年を前にして、当館では戦時資料の収集だけでなく、戦争体験者や遺族からの聞き取り調査を重視しています。今回は当館のボランティア真島和男さん(昭和16年生)からお聞きしたお話を紹介します。
和男さんの兄、真島豊さん(昭和20年没、享年20歳)は予科練を卒業して各地を転戦後、国分基地(鹿児島県霧島市)に配属されました。国分基地は陸軍の知覧基地(同県南九州市)や海軍の鹿屋基地(同県鹿屋市)などと並ぶ特攻基地でした。昭和20年4月17日午前7時、豊さんは艦上爆撃機「彗星」に乗り、他の5機とともに敵機動艦隊に向け国分基地を飛び立ちました。そして、午前9時38分、奄美大島の東、喜界島の南南東約130㎞で「我今より突撃に転ず」と発信、二度と基地に戻ることはありませんでした。豊さんが特攻隊を選んだ理由については、台湾から日本へ向かう船に乗っていたとき、敵の攻撃を受けて多くの仲間が亡くなったにもかかわらず、豊さんは生き残ったことが関係しているのではないか、と伝えられているそうです。
国分基地では427名の特攻隊員が戦死しました。現在、霧島市では国分基地特攻隊員戦没者慰霊祭が行われていますが、豊さんの面影を知らない和男さんは、これまで慰霊祭に参加せず、別の兄が参加していたそうです。しかし、その兄も高齢となったため、一昨年から和男さんも一緒に参加するようになりました。和男さんは、「地元の人々に感謝している。慰霊祭に小中学生も参加して、平和の誓いの場となっていることがうれしい」と述べられます。
豊さんはどのような思いで「我今より突撃に転ず」と発信し、操縦桿を敵艦隊に向けたのでしょうか。また、遺族はどのような思いでこれまで過ごしてきたのでしょうか。いろいろなことを考えさせられました。今回お話いただいた和男さんに感謝するとともに、戦争体験者や遺族がご健在な今のうちにこそ、いろいろなお話を聞いておかなければならないと再認識しました。

真島豊さん


江田島での豊さん(左)と同僚


慰霊祭での和男さん(右)


※ 写真は真島和男さん提供