テーマ展紹介-8

7月 1日 木曜日

西四国の縄文文化

 広見遺跡採集の石鏃

 当地域の縄文時代の遺跡は、木村2001によると約140箇所で確認されています。ここでは、木村氏が多くの資料を採集されている愛南町広見遺跡について、紹介します。

 広見遺跡(南宇和郡愛南町広見)

 ■発見の経緯

1966年に考古学研究者によって発見された遺跡です。

■立地

盆地状の広見地区の名路の通称岡駄場に所在し、標高382mの北側の山から南に延びる舌状段丘の先端近くに位置し、標高約100mを測ります。

 

 広見遺跡位置図 木村1995より

■遺物

石器129点、土器70点が報告されています。

土器は、前期の彦崎ZⅠ式、中期の船元式、後期の中津式・平城式・片粕式・伊吹町式、晩期の中村Ⅱ式が確認されています。

石器は、石鏃・石錐・石匙・スクレイパー・打製石斧・庖丁形石器が確認されています。特に、石鏃は香川県金山産サヌカイトが65%と主体を占めることが特徴です。

  木村氏は、1972年に「愛媛県南宇和郡広見縄文遺跡と出土遺物」『古代文化』第24巻第5・6号を発表されています。

 また、著書『幡多のあけぼの』(1992年)「散らばる矢じり-縄文人は狩猟好き」では、石鏃を採集した際のことを次のように記されています。

「(前略)宿毛湾に注ぐ松田川の支流、篠川上流地帯の愛媛県南宇和郡一本松町広見遺跡も石鏃の多い所である。(中略)

 私はある日、ここを訪れ徹底的に表面採集をしたことがある。その時、土器のほか、石鏃を三十点余り拾った。これは、私が一日で採集した石鏃数の最多記録で、今もこの記録は破られていない。その後、ここに通い詰め、最終的には石鏃百五十点余りを集めた。その石鏃は、形の完全なものが多く、時期的には、縄文前期から晩期までのものを含んでいた。ただ石質のほとんどが香川県坂出市の金山に産出するサヌカイトであったのには驚いた。ここの縄文人は瀬戸内地方と頻繁に交易を行っていたのであろう。(後略)」

 

木村氏が撮影した広見遺跡周辺写真

(撮影年不明 1970年前後?・高知県立歴史民俗資料館蔵)

参考文献

木村剛朗 2001「南四国における旧石器・縄文期の文化様相」『くろしお』No.11

高知大学黒潮圏研究所

木村剛朗 1995『四国西南沿海部の先史文化 旧石器・縄文時代』幡多埋文研

  この他にも、松野町真土遺跡、広福寺遺跡、愛南町深泥遺跡、茶堂遺跡採集資料について紹介しています。