村上節太郎写真32 別子鉱山鉄道 昭和10年

8月 9日 木曜日

別子鉱山鉄道は、その名の通り、別子銅山の鉱石の輸送を目的につくられた鉄道で、明治26(1893)年に開業した。開業当初は一般の貨物や旅客を乗せない別子銅山専用の鉄道であったが、昭和に入ると鉄道沿線の人口も増え、鉄道利用を希望する声も高まってきたため、昭和4年に広く一般の貨物や旅客にも開放され、端出場-惣開が従来の専用鉄道から地方鉄道に切り替えられた。

村上節太郎の写真は、地方鉄道になってから6年後の昭和10(1935)年に山根駅付近で撮影されている。写真を見ると乗客が乗る客車と鉱石が載せられた貨車が混合して走っている様子がよく分かる。地方鉄道としての開業当初、運賃は端出場-惣開が20銭。惣開4時10分を始発として、終着21時45分まで上下19本もの貨客混合列車が運行、昭和5年のデータで旅客10万4000人、貨物68万トンを運んだという。

その後戦争をはさみ、戦後復興期を迎えるとバスなどの新しい交通機関が普及していき、通勤通学はバスや自転車へと次第に取って代わられた。そのため乗客が激減した別子鉱山鉄道は昭和30年に再び専用鉄道に戻り運行を続けたが、ついに昭和52年に84年の歴史に幕を下ろした。

※別子鉱山鉄道の写真は、特別展「GO GO TRAIN !」に現在展示中です。

参考文献
『愛媛県史』地誌Ⅱ(東予東部)1988年
藤本雅之「愛媛県における鉄道の変遷」(『愛媛県総合科学博物館研究報告』第2号、1997年)