ロビー展「森のめぐみ 木のものがたり」は、12月7日に閉幕予定でしたが、11日まで会期を延長しています。その後、12月20日からは新居浜市の総合科学博物館で展示されます。ぜひご覧ください。なお、今回のロビー展で展示している村上節太郎撮影の写真を紹介するこのシリーズは、しばらく延長します。

炭焼き 大洲市柳沢 昭和9年
肱川流域では、クヌギを原木とした木炭の生産が行われました。特に村上節太郎が撮影している柳沢地区(大洲市)は製炭業が盛んなところで、大正6(1917)年には製炭者83名、生産量5.8万貫、昭和35(1960)年には製炭戸数205戸、生産量20万貫というデータが残っています。
肱川流域では、暖房や炊事に使う木炭を小さく裁断した切炭を多く生産しました。大阪から技術を導入して、阪神方面に盛んに出荷されるようになり、「伊予の切炭」として知られるようになりました。この地域の炭窯は小規模であるため、窯内の温度調節が容易にでき、収益性の高い切炭の生産に適していました。
昭和30年代の後半に入ると化石燃料が普及していき、昭和40年代には炭焼きは急速に衰退していきました。昭和42年に書かれた中山小学校5年生の作文には、かつては木炭問屋、農協、内子の駅にも木炭が山と積まれていたものが、だんだんと電気製品、ガス、レンタン、豆炭などが出まわって、炭焼きをやめる人が増えていることが記されています。その作文から5年後、中学3年になった生徒は、木炭の生産が4分の1の1万箱に減り、炭焼きに使われていたクヌギの原木は、椎茸栽培に転用されていることを書き残しています。
