中国四国名所旧跡図13 丸亀図

6月 3日 水曜日

 丸亀は丸亀藩京極家5万石の城下町で、その港は金毘羅宮(こんぴらぐう)の参詣(さんけい)客を乗せる渡海船の発着港としてにぎわった。多くの参詣客が港に着いてまずしたのは、船揚り切手(滞留切手)の手配である。それは丸亀の船宿が代行して行ったらしく、その手数料を105文と書いている旅日記を多く見かける。松浦武四郎の天保4(1833)年の「四国遍路道中雑誌」では85文になっているが、これは船宿に代行を頼まなかったためであろうか。武四郎はこの船揚りを持っていないと、土佐甲浦の番所でいろいろと難しいことを言われ、通行が許可されないので、遍路は必ず取りに行くことと記している。西丈もおそらく最初にこの手続きを行った筈である。

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 西丈が描いた丸亀図を見ると、山上に丸亀城が描かれているが、それは添え物のような扱いで、全面に港と町を描き出している。それは当時の人がもつ丸亀のイメージともいえよう。海に大きく突き出た波止(はと)、燈台や燈籠(とうろう)、石垣で築かれた船入(船が出入りする人工港)も描かれており、丸亀港の特徴をよく捉えている。『金毘羅名所図絵』には、明け方から黄昏(たそがれ)まで渡海船の出入りが激しく、船宿は昼夜分かたずにぎわい、浜辺の蔵々には俵物の水産物が積まれていると記しているが、西丈の絵からもそうした丸亀の喧噪(けんそう)が十分に伝わってくる。
  丸亀については他にも同時代の絵師が描いているので、その絵を参考に見ておきたい。
まずは、弘化4(1847)年に刊行された『金毘羅名所図絵』の浦川公佐の挿絵から。
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 北の上空から鳥の目で、丸亀の町を描いている。大坂の出版物に多くの挿絵を描いた職業絵師らしく、緻密で手堅い描写がされている。
 もう一枚は、歌川広重の最晩年のシリーズ、「山海見立相撲(さんかいみたてすもう)」の丸亀。
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 『金毘羅名所図絵』とは反対に、南の上空から丸亀城と町並みを対等に捉えている。全面に大きく広がる瀬戸内海の描写が印象的。
 このように他の絵師の作品と並べてみると、細部にはこだわらず、対象の本質を大胆に切り取る西丈の絵のもつ特徴が見えてくる。
  なお、中国四国名所旧跡図は、先般刊行された資料目録第17集『絵画資料目録』に紹介されています。