村上節太郎写真16 松前のおたた 昭和7年

5月 30日 水曜日

村上節太郎写真3-385
 おたたとは頭上運搬する魚の行商をいうが、松前というとおたたを連想するほど、松前のおたたは広く知られていた。明治8年の調査によると、松前のおたたは320人で、その半数は松前から10キロ圏内が行商圏で、日帰りがほとんどだった。その後鉄道の延伸や乗合自動車の普及とともに、人口が多い松山道後を中心に森松線や横河原線の沿線、そして砥部や久万へと行商圏が広がり、泊まりがけの行商も行われるようになった。

 村上節太郎の写真を見ると、伊予絣の着物に前かけをつけて草鞋(わらじ)か地下足袋を履くおたたさんの服装がよく分かる。頭には手拭いの輪を置き、その上に「御用桶」の焼印が入ったゴロビツ、竹で編んだざる(したみ)をのせている。商品は生魚、いりこ、小魚を煮て味付けした儀助煮で、10貫(約37.5キロ)~15貫(約56キロ)ぐらいを頭にイタダキ歩いたという。 松前では行商を経験しないと一人前と認められなかったそうで、村上の写真には御用桶を頭に未知の土地に販路を開拓していったおたたさんのたくましさが感じられる。

 戦後になると、頭上運搬は年輩の女性だけで、若い女性は手に荷物を提げるようになり、やがて「カンカン」と呼ぶブリキの容器が使われるようになる。村上の写真からはそうした変化まで読み取ることができる。

※下の写真は、横河原駅に降りた松前のおたた。荷物は風呂敷でかつぐか、手に提げている。昭和26年。
村上節太郎写真6-451