中国四国名所旧跡図30 金地瀧(弘治滝) 阿州一ノ宮奧ノ院

5月 30日 火曜日

焼山寺から13番札所一之宮までの道、西丈は何度も川を歩いて渡りながら進んだものと思われる。そして、ゆるぎ石という大岩があるあたりから道を右に折れ、2キロメートルほど足を伸ばし、一之宮の奧の院、建治寺に立ち寄っている。

松浦武四郎の天保4(1833)年の「四国遍路道中雑誌」によると、奧の院には数丈の岩壁があって、大きな岩窟に蔵王権現を祀っていたとある。またさらに500メートルほど折れ曲がりながら下ると、不動滝に至ると記されている。この不動滝が、西丈が描く「金地瀧」のことと思われる。「水勢甚しく幅広し」という描写は、西丈の絵そのもの。滝の周囲の岩角には西国三十三箇所の観音を安置しているというが、これも西丈が滝の周囲の道に石仏を描いているので、この点もぴたりと一致している。

奧之院である建治寺は、天智天皇の時代(661~671年)に役小角が開基したと伝えられている。弘仁年間(810~824年)に空海が四国巡礼をしている際にここを訪れ、修行したと伝わる。西丈が描く滝は、鮎喰川の支流で西竜王山(495m)を水源とする金治谷川の沢の最上部にかかるもので、西丈は「金地瀧」の字を宛てているが、現在は「建治滝」と記され、滝行が行われる行場となっている。

遍路というと、ひたすら札所を目指して歩くイメージがあるが、西丈の場合、番外とされる札所にもよく足を伸ばしている。そのことで、記録にとどめられた一枚といえる。