中国四国名所旧跡図38 八坂八浜

4月 2日 月曜日

遍路道の難所を「遍路ころがし」というが、牟岐浦(牟岐町)を過ぎたあたりから始まる八坂八浜も「遍路ころがし」の一つであった。浅川(海陽町)にかけての約8キロメートルに及ぶ海岸は、岩礁と砂浜が交互に続く風光明媚な景観で、一つ坂を越えるたびに、その景観は表情を変えていった。

西丈の絵には「サハセ村」の文字があるので、八坂八浜の中間の辺りに位置する鯖瀬からの風景を描いたものであろう。複雑な海岸線とともに、馬を連れて歩く馬子の姿を描き込んでいるが、弘法大師伝説の一つ、鯖大師の話しを意識してのことであろう。

四国を巡っていた弘法大師空海がここを歩いていると、鯖を積んだ馬をひく馬子が通りかかった。大師がその鯖の一尾を所望したところ口汚く断られてしまう。その直後、馬が腹痛をおこして立ち往生すると、これに驚いて、僧は大師に違いないと詫びて鯖を献上する。大師は加持水を馬に与えると、馬はたちまち元気になったという。西丈はこの伝説を下敷きにして、八坂八浜の絵に馬子とともに、弘法大師をイメージした赤い着物を着た僧侶を描き込んだのではなかろうか。

文化元(1804)年5月22日の晩、牟岐浦の手前、辺川に宿泊した英仙は、翌23日に八坂八浜を歩いている。「海南四州紀行」は、その模様を次のように記している。

牟岐浦から八坂八浜に入る。牟岐浦の出口には、餅屋宗七という店があり、花餅饅頭を売っていたので、ここで休んだ。牟岐浦辺りから海の浪が荒く打ち付けている。土佐から鰹の腸を売りに来ており、耐えがたいほどのにおいがした。
一つ目の坂を登ると、峠の右側にここから東寺まで21里という道標があった。四つ目の坂の左側に草庵があり、「行基葊」という表札が懸かっていた。そこの歌に「大坂ヤ八坂々中鯖一ツクレデナンヂカ馬ノハラ病(息)メ」とあった。鯖瀬村という所である。七つ目の坂の手前、阿波の浦の松屋與八で昼食をとった。香の物と上等のお茶でもてなされた。また、脚気の薬も施された。

八坂八浜に入る最初の牟岐浦には、饅頭屋さんがあったようである。ここで小休憩して、腹ごしらえをして歩いたのだろう。4つめの坂の左側にあったとされる草庵は、本尊行基菩薩を祀った鯖瀬庵(鯖大師)である。馬子とやりとりしたのは、弘法大師ではなくて、行基とする話も伝わっている。

西丈は絵の余白に、「八坂かさかなかさハ一つきよき(行基)にくれてむまの原やむ」と書き付けているが、『海南四州紀行』の鯖瀬庵で紹介されている歌と瓜二つになっている。鯖大師にまつわる歌は他にも残っているが、旅人がそれぞれのアレンジを加えながら、似たような歌が今に伝わっているのだろう。