ダ龍鏡(拡大)
相の谷1号墳の竪穴式石槨から出土したもう一面の銅鏡はダ龍鏡と呼ばれる倭鏡(国産の鏡)です。ダ龍とは、ワニをモチーフとした獣とされています。この鏡は中国で製作された画紋帯神獣鏡という鏡をモデルに製作されたと考えられていますが、どのような過程でこの紋様が鏡に表現されたかはわかりません。
この資料(径11.6cm)は、石槨のほぼ中央で、背面(紋様のある面)を上にした状態で、完形で出土しています。しかし、調査時には二次的移動を想定しており、副葬された位置を保っていないと考えられます。
今回の再整理では、クリーニングの結果、鏡のモチーフである四体の獣の形が明確となりました。それぞれには羽状の表現が認められ、嘴(くちばし)と思われる表現が三体で確認できることから、これら四体の獣は「鳥」を表現したものと考えました。そのため、ダ龍が表現されていないことから「獣紋鏡」という名称が適当であると考えています。
紋様の特徴は、外側から捩紋(ねじもん)帯、半円方形帯、鳥像をそれぞれ配することです。類例としては、外区(外側の紋様のある部分)に捩紋帯を有する資料が10数例、内区主紋(中央の紋様の部分)に鳥像を有する資料が10数例確認できますが、外区・内区の紋様構成が完全に一致する資料は確認できません。類例を検討した結果、この「鳥」の原形は、大型のダ龍鏡の外区に表現された鳥の紋様帯ではないかという結論に行き着きました。また、この鏡はダ龍鏡をモデルに製作された捩紋(ねじもん)鏡という別の種類の鏡へ変化する要素が含まれていることがわかりました。
X線写真
このように考え、この鏡の製作年代は、最古のダ龍鏡とされる滋賀県雪野山古墳出土鏡を上限とし、雪野山古墳の築造年代から前期前半(4世紀前葉)以降として位置づけました。しかし、鏡が製作された年代と古墳に副葬された年代には時間差を想定することが可能なため、この鏡の製作年代がそのまま、古墳の造られた年代とはいえません。この鏡の製作年代は古墳に副葬された上限の年代を推定させるものです。古墳が造られた年代を判断するには、一点の資料からではなく、他の副葬遺物や古墳に設置された埴輪など様々な要素が必要となります。
さて、前回紹介した画象鏡も「鳥」がモチーフにされていました。この古墳の被葬者はこの紋様をどのように理解していたのでしょうか?当時の死生観を表したものなのでしょうか?
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