村上節太郎写真4 五郎駅に降りた縞売り(昭和15年)

4月 8日 日曜日

村上節太郎写真6-211
 狭い耕地にたくさんの人。村上節太郎は、島のそのような状況を日本の縮図と書き記した。しかし一方で村上は、豊かな生活を求めて島を飛び出そうとする人々の動きにも目をとめた。忽那諸島の睦月島の人々による反物行商、縞(しま)売りの写真もその一つである。

 縞売りの全盛期は大正から昭和初期で、五~十人が船に乗り行商に出た。船主である親方が商品を仕入れ売り子に託し、売り子は下船後様々な交通機関を使って行商した。写真は男女の縞売りが五郎駅(大洲市)で降りたところ。いずれも着物に前垂れの服装で、足に地下足袋を履き、手にコウモリ傘をもっている。背中には商品が入った20~30kgの行李を風呂敷に包み担いでいる。縞売りの顔には故郷を離れ、広く世間を見てきた島の人々のたくましさが感じられる。

※愛媛新聞連載「海と島に生きる」(平成19年1月12日掲載分)