昭和時代の「四国遍路道中図」から見た遍路事情①―愛媛県内で発行された「四国遍路道中図」―

2023年6月16日

 昭和時代(戦前)の四国遍路絵図を紹介します。本図の表面には、四国を阿波・土佐・伊豫・讃岐の旧国名で記して色分けされています。凡例によると、地図上には八十八箇所霊場札所、順拝指道(巡拝道筋)、番外霊場、上陸地、名所古跡、鉄道及停車場、電鉄及軌道、道路、都市、名邑(町村)、宿駅、未成線を表記していることがわかります。また、各札所の本尊を描いたイラスト風の御影、札所間の距離、札所近くの郵便局、上陸港と打ち始め・打ち納めの情報なども詳しく記載されています。

「四国遍路道中図」(昭和13年、当館蔵)表面

 江戸時代の遍路絵図が四国を本州から眺めたような形であったのに対し、本図は四国の形がデフォルメされていますが、北を上にした方位記号があり、現在の地図と同様になっています。

「四国遍路道中図」裏面

 四国遍路道中図は、近畿地方からの遍路の上陸港として栄えた徳島県憮養港(徳島県鳴門市)にあった四国巡拝道具を取り扱う江口商店発行のものが知られていますが、広告主や発行所などが異なるさまざまな種類が作成されています。

 本図は愛媛県内で作成されたもので、刊記によると、昭和13年(1938)4月に松山市萱町の關(関)印刷所(現在のセキ株式会社)が印刷・発行、折り畳むと表紙にあたる裏面の箇所には広告主として「愛媛県周桑郡徳田村(愛媛県西条市)心臓薬本舗渡部髙太郎」が大きく記載されています。裏面には各札所の御詠歌とともに「家伝心臓薬の由来と効能」などの宣伝文が掲載されています。

 地図上を子細に確認すると、四国八十八箇所霊場第59番国分寺から第60番横峰寺に至る遍路道(横峰寺道)の付近の徳田村に、大きく目立つように商標(鷲のマーク)と「家伝秘方 心臓薬本舗」と表記されています。さらに、地図下部に「謹告 古より霊場四国の地に伝わる家伝秘方の心臓薬は薬効霊験甚大にして古より幾十万かの難病患者を救ひ(中略)此の霊場を巡拝されるお方にて未だ此の貴重な名薬を知らず治療に悩まれている不幸な患者に御巡会の節は何卒此の薬のあることを御知らせして下さい(後略)」と宣伝文を紹介している。

心臓薬本舗(部分拡大)

 このように本図は四国霊場に伝わる家伝秘方の妙薬が宣伝され、広告を大きく採り入れた四国遍路絵図といえます。昭和時代に作成された四国遍路道中図の多くは、札所近くのお土産・巡拝用品店の名前が広告として掲載されており、発行にあたりスポンサーとなる広告主の意向が反映されています。

 弘法大師が開創したとされる四国霊場には、古くから病気快癒を祈願する者、不治の病に苦しむ多くの患者がその治癒を願い、遍路となって四国を巡礼した歴史があります。本図はそうした背景を彷彿させる四国遍路絵図といえます。