南予の中世城跡探訪7 大洲盆地西端の要衝 ―高森城跡―

2008年4月11日

 大洲市街地から西へ久米川に沿って進むと、JR伊予平野駅の辺りから支流沼田川に沿ってさらに西へと谷が入っていきます。そこは大洲市の西端、平野町平地地区で、谷を見下ろす山頂に高森城があります。ここは、ほんの数キロ西へ進んで峠を越えると宇和海に面した八幡浜に出られる場所で、大洲盆地と八幡浜(宇和海)を結ぶ交通の要衝にあたります。
 広い主郭の周囲にいくつかの小さな曲輪を配し、縦堀も何本か確認できます。背後の尾根にも広めの曲輪や横堀の遺構を見ることができます。


  高森城跡

 高森城は、戦国時代の在地領主梶谷氏の居城でした。梶谷氏は「大洲旧記」などに記す伝承によれば、大津(大洲市)の宇都宮清綱が萩森城(八幡浜市)に隠居する際にこれに随ったとされています。伝承の真偽は不明ですが、高森城の地理的性格を顧みた時、大津と八幡浜を結ぶ中間の恰好の場所に梶谷氏が位置していたことは確かです。
 実際の築城年代や経緯などははっきりしませんが、戦国末期の元亀~天正年間には、確かに梶谷氏が高森城を廻って攻防を繰り広げている様子が古文書に見えます。元亀4(1573)年には、高森城を築いた(修築した?)恩賞として城周辺の土地を河野氏から与えられ、その後年代は不明ですが高森城を敵から忍び取ったり、敵の攻撃から守ったりしたことをやはり河野氏から賞されるといった古文書が残っています。この時期には、喜多郡に勢力を伸ばしてきた河野氏の勢力下に梶谷氏が入っていたことがよく分かります。


  梶谷氏が高森城を築いた恩賞として、平地の土地などを河野氏からもらった文書。
  1行目に「今度高森取拵」と書かれています。
       「柁谷文書」(当館蔵)

 梶谷氏は、近世になるとそのまま平地村に居住する家や、宇和島藩伊達家に出仕する家に分かれながら、代々続いていきます。