八幡浜の平野の南端、五反田の神山小学校の正面には、かつて小高い尾根が伸びていて、そこには元城という中世の城がありました。
かつて元城跡があった辺り
現八幡浜市の南部に基盤を築いた国人領主摂津氏の本拠です。鎌倉・室町両幕府で要職を担った摂津氏という名族の所領が矢野保(八幡浜市)にあったことに由来して、その一族がこの地で領主化しました。しかし、伊予で領主化した摂津氏に関する当時の確実な資料はごくわずかなため、その動向はほとんどつかめないのが残念です。伝承では、戦国期には千丈川を挟んで北に勢力を接する萩森氏とは抗争が絶えなかったともいわれます。
両側が切り立った斜面になった状態で細長く伸びる尾根の先端に、約200mにわたって築かれた城で、細い尾根上に複数の曲輪が連なっていました。名族摂津氏の一族が地域の支配の拠点とした城ですが、今は造成されてその名をとった元城団地という団地ができ、地名にその名残をとどめるのみとなりました。