南予の中世城跡探訪25 ―水沼城跡―

2月 19日 木曜日

 肱川下流の中ほど、大洲市街から長浜に向かう途中、八多喜(はたき)町に入る手前でまるで門を抜けるかのように尾根の切通しを通って八多喜町に入りますが、その肱川側の尾根上に水沼城はあります。八多喜町側からは全貌をよく眺めることができます。この地域の戦国時代の史料に水沼氏という領主が見られますが、ここを本拠とした領主と思われます。


  水沼城跡(中央)
   左の尾根上に祖母井城、右の谷間に肱川が流れ、
   奥は大洲盆地に通じる

 祖母井城から連なる尾根の先端で、直線的に河口に通じる肱川下流の流路に張り出し、あたかも流路に立ちはだかるようです。下流ではここが最も流路の狭くなる、くびれた部分となっています。また、迫り出した分、川の上流・下流ともに非常に眺望が効く立地となっています。


  水沼城跡(右)の麓を流れる肱川
   左右の尾根で流路がくびれ、城山が流れを遮る

 この最も狭くなった肱川に面して、水沼城の先端から続く微高地に岩津の集落があります。川筋には尾根先から続く岩場を見ることもできますが、その名の通りここには岩場に出来た津が存在していたのでしょう。

 また、尾根先端部には旧郷社の祇園神社が鎮座します。江戸時代の大洲藩主は、参勤交代の際に当社に参拝してから出帆したといいます。当社は肱川を正面にしており、川からの参拝を前提に祀られている様子もよくうかがえます。


  祇園神社
   水沼城跡の突端、肱川に面して鎮座する。
   手前は現在の肱川堤防。

 肱川下流域の水運管理にとって、重要な役割を果たした城であったといえるでしょう。