南予の中世城跡探訪27 ―水上城跡―

2009年3月6日

 道後平野から伊予灘沿いに伸びる夕焼け小焼けライン(国道378号)は、広がる海を眺めながら走れる道路として、また美しい夕焼けの見られるスポットとして休日には多くのドライバーやライダーで賑わいます。佐田岬半島の付け根に当たる瞽女峠にトンネルが抜けて以来、メロディーラインに直結するようになったため、さらに便利になっています。

 上灘・下灘・長浜を抜けてさらにしばらく行くと、点在する小さな入り江の集落の一つに出海(いずみ)地区が現れます。その西端で海に突き出るように伸びた尾根先に、水上城跡はあります。この地域は、出海氏(本名兵藤)が支配する所で、その本拠がこの水上城でした。


  水上城跡 左側の麓が出海地区

 南予は平野の少ない山がちな地形のため、今でこそ道路や鉄道で便利になっていますが、近代以前は陸路より海路が主要な交通手段であったはずです。道後平野から喜多郡や宇和郡へ向かうには、まず伊予灘沿岸を下っていくことになり、途中で点在する集落に寄港することになります。そして、佐田岬の先には九州もあります。

 戦国時代末期、宇和の西園寺氏の一族で、現在の宇和島市中心地域を支配した来村西園寺宣久は、伊勢神宮参拝の帰り道、この出海を経由しています。芸予諸島を過ぎた一行は、堀江(松山市)などを経由しながら出海に着津し、宇和西園寺氏のもとに立ち寄り、帰還しています。ここが一行の上陸地点であったと推察できます。

 伊予灘沿岸の海上交通や、麓の寄港地を管理する役割を担った城の一つといえるでしょう。