南予の闘牛を知る5―観光闘牛への発展―

5月 21日 月曜日


※写真は、昭和24年、宇和島和霊土俵、村上節太郎撮影(当館蔵)

愛媛県では昭和4年には、闘牛は解禁され、宇和島周辺の牛主を中心に「南予牛角力協会」が設立された。「闘牛」ではスペインの闘牛のように殺伐なイメージを与えかねないとして「牛角力」と称した。

昭和23年にはGHQに禁止され、一時途絶えたが、昭和20年代後半には各地で闘牛が復活するものの、娯楽の多様化や農耕の機械化によって農作業に使役する牛が減少し、闘牛は自然衰微しかかった。

そこで、宇和島地方では、昭和34年に「南予闘牛振興会」を、南宇和地方では昭和36年に「南宇和郡闘牛組合」が相次いで結成され、定期的な闘牛大会が開催されるようになった。

宇和島では市や県からの助成金も交付され、農村の娯楽の「突きあい」から「観光闘牛」へと性格は変容していった。

昭和47年に南宇和郡でもサンパール土俵が完成し、観光闘牛が始まり、宇和島では昭和50年には宇和島市営闘牛場が落成し、現在にいたるまで闘牛大会が定期的に行われている。