中町から伸びる参道
去る10月、西予市宇和町卯之町の中町の町並みを中心とする一帯の地区が、国の文化審議会から重要伝統的建造物群保存地区に選定するよう文部科学大臣へ答申されたことは、まだ記憶にも新しいことでしょう。
その一角、国の重要文化財の開明学校に隣接して、静かなたたずまいを見せる寺院があります。ここは、清泰山光教寺というお寺で、実は中世に卯之町を見下ろす松葉城・黒瀬城を本拠にして、宇和郡内に広く支配を及ぼした西園寺氏の菩提寺となっています。古くは、黒瀬城の麓の光教寺谷という場所にあったのが、火災により現在地に移ったとされています。
西園寺氏は、京都の公家西園寺家の一族で、宇和荘などの領地が伊予にあったことから、南北朝時代頃に下向し、土着した領主です。戦国時代にいたるまで本家と交流を持ち、一方で幕府や近隣大名とも様々な関係を結んで勢力を維持していましたが、四国平定後に豊臣秀吉が送り込んだ大名戸田勝隆支配の時代、滅亡を迎えることとなりました。
今でも毎年11月11日には、最後の当主公広を偲んで法要が営まれており、関係者や近隣の人々が集まり、本堂や廟前にて祭祀が執り行われています。
新装なった本堂
光教寺では、つい先日本堂の新築改修が成ったばかり。お寺の顔がきれいに生まれ変わりました。門を入ると鐘楼、本堂脇には観音堂・大師堂、本堂裏には庭園などがあり、趣きのある境内を見せています。裏手の山に広がる墓地の中には、公広の廟・顕彰碑も建っています。
西園寺公広廟・顕彰碑
ぜひ、古い町並みが残る卯之町へお越しいただき、その際には本堂が真新しく生まれ変わった光教寺にも足を運んで、戦国の南予に生きた西園寺氏に思いを馳せてみてはいかがでしょう。また、中町や光教寺と当博物館は遊歩道で結ばれ至近の距離にあります。当館にも西園寺氏関係の展示がありますので、ぜひ合わせてお立ち寄りください。