天正7もしくは9(1579/1581)年5月、すでに土佐を統一し伊予へもその手を伸ばした長宗我部元親の軍勢が宇和郡の三間盆地まで侵攻し、そこで伊予の軍勢と衝突します。その舞台となったのが岡本城であり、奮戦して土佐勢を撃退したことでよく知られるのが三間大森城主土居清良です。
岡本城跡
岡本城は、大森城から東南へ2kmとない至近の城で、三間川沿いの広見盆地と三間盆地の間でちょうど山が張り出して平野が狭まった場所にあり、まさに三間盆地の玄関口にあたります。JR予土線の二名駅から東南方向の眼前に見えます。
尾根の先端の高みに主郭を設け、そこから三間川に向けて複数の曲輪が配され、後方の尾根には横堀や縦堀が造られ、さらに後方には出曲輪のようなもう一つの遺構群が存在します。
岡本城合戦で土居清良は、長宗我部氏の重臣久武親信(ひさたけちかのぶ)らを討ち取るなど、土佐勢に対して大きな打撃を与えました。その戦功は道後の河野通直からも讃えられるところとなり、賛辞とともに褒美として太刀と馬代、あるいは具足や兜が与えられました。
土居清良の名を世に広めるきっかけの一つとなった、まさに清良功名の場ともいうべき城跡です。