特別展江戸考古紹介(23) 埋められた銀貨

2008年11月24日

石手川公園出土丁銀
石手川公園出土丁銀(東京国立博物館蔵)
Image:TNM Image Archives Source:http//TnmArchives.jp

 よく「埋蔵金」はないのですか?と尋ねられますが、今回の特別展では「埋蔵銀」があります。
 これは、元文丁銀という江戸時代のお金です。丁銀13点、豆板銀19点が壺の中に入って見つかりました。大正10(1921)年12月8日、松山市石手川公園の造成中に、発見されたことが当時の新聞記事でわかります。発見時の新聞記事も展示していますので、あわせてごらんください。
 いったい誰が、何のために埋めたのでしょうか?
特別展が終了すると、東京へ帰ってしまいますので、ぜひお見逃しなきよう、愛媛の地でじっくりごらんください。

特別展江戸考古紹介(22) 遺跡で見つかった十錦

2008年11月23日

番町2次出土十錦
番町遺跡2次出土十錦小杯(愛媛県教育委員会蔵)

 これは、いったいなんのやきものでしょうか?松山藩の武家屋敷から見つかった十錦のやきもので、小杯の口縁部の破片です。外面には緑色の釉薬を厚く掛け、釘状の工具で唐草の文様が刻まれています。
 中国清朝のやきものに、赤、緑、黄色などの釉薬を掛けた十錦手のやきものがあります。江戸時代には富裕層に文人趣味の流行により、こうしたカラフルな清朝の磁器がもてはやされました。
 幕末から明治初年にかけて、伊予市郡中で小谷屋友九郎により、清朝磁器を模した郡中十錦という、砥部焼の素地に上絵付けを施したやきものが作られました。今回の特別展では、友九郎が伊豫稲荷神社に奉納した郡中十錦の徳利一対を展示していますので、その色鮮やかなやきものをご覧ください。
 現在のところ、郡中十錦の考古学的な調査が進んでいないため、写真の製品がどこの十錦なのか不明ですが、松山藩の武家屋敷で十錦手のやきものが出土していたことが明らかになったことは、当時のやきものの流通を考える上で重要です。

特別展江戸考古紹介(21) 江戸屋敷で見つかった西岡焼

2008年11月22日

汐留遺跡出土西岡焼
汐留遺跡出土西岡焼(東京都教育委員会蔵)

 これは、東京、江戸の大名屋敷でみつかった「豫州松山」銘のやきものです。鳥などのえさ入れと考えられます。これまで紹介してきた、東温市で焼成された西岡焼です。仙台藩伊達家と龍野藩脇坂家の江戸屋敷から見つかりました。西岡焼が遠く江戸の大名家に持ち込まれていたことのわかる、貴重な資料です。このことは、西岡焼の果たした役割を考える上で大変重要です。
 今回の特別展にあたり、江戸東京でみつかった西岡焼を初公開しています。ぜひご自分の目でごらんください。

特別展江戸考古紹介(20) 武家屋敷で見つかった西岡焼

2008年11月21日

県民館跡出土西岡焼
県民館跡地出土西岡焼(愛媛県教育委員会蔵)

 松山城三之丸に所在する武家屋敷跡から見つかった西岡焼です。碗、皿、甕などがあります。「豫州松山」などのスタンプや描銘があります。なかには鳳凰文のスタンプのある碗も見つかっています。
 今回の特別展にあたり、コンテナで1000箱を数える県民館跡地出土の資料の一部を再整理したところ、瑠璃釉に金泥で銘の書かれた皿は、5客出土していることが判明しました。
 これらは東温市に所在した西岡焼窯跡の製品です。これらの出土遺物から、西岡焼が松山藩の武家屋敷で流通していた姿がわかってきました。

特別展江戸考古紹介(19) 豫州松山銘のやきもの

2008年11月20日

西岡焼窯跡出土品
西岡焼窯跡陶磁器(東温市立歴史民俗資料館蔵)

 これらのやきものは、現在の東温市西岡の窯跡からみつかりました。西岡焼(にしのおか)焼と呼んでいます。近世には、松山藩領にあたります。
 西岡焼には、趣味的なやきものから日常雑器までさまざまな陶器と磁器の製品があります。出土した製品から、操業期間は18世紀末には開窯し、19世紀第2四半期頃には、銘入りの製品の焼成は終了していたと考えられます。
 なぜ「豫州松山」などの銘が入れられたのでしょうか?
特別展では、「豫州松山」などの銘のスタンプや銘が書かれた製品を多数紹介しています。近世西岡焼の多彩な姿をご覧になりながら、考えてみてはいかがでしょうか?

特別展江戸考古紹介(18) 武家屋敷からみつかった砥部焼

2008年11月19日

県民館砥部焼
 県民館跡地出土砥部焼(愛媛県教育委員会蔵)

 近世の大窯業地であった砥部焼は、近郊はもちろん、領外にも流通していたと考えられます。
 しかし、砥部焼は、磁器は肥前の窯業技術によって作られているため、消費地では肥前の製品と区別がつかず、報告書では肥前系と分類されてきました。近年、窯跡の製品の分類が進み、砥部焼磁器の実態が少しずつ明らかになっています。
 今回の特別展では、最新の研究成果を踏まえて、松山藩領の武家屋敷や農村部、遠く大阪で運ばれた砥部焼を初公開していますので、ぜひ窯跡出土の砥部焼資料と比較して、ごらんください。

特別展江戸考古紹介(17) 近世の砥部焼2

2008年11月18日

大下田窯跡出土品
大下田1号窯跡出土砥部焼(砥部町教育委員会蔵)

 これらの資料は、砥部焼の窯跡からみつかりました。
近世の砥部焼の窯跡は、数カ所知られていますが、考古学的に発掘調査されたのは、この大下田窯跡が唯一になります。1982年に愛媛県総合運動公園整備に伴い、(財)愛媛県埋蔵文化財調査センターにより発掘調査され、陶磁器と施釉瓦の連房式登り窯が2基見つかっています。
 この窯では、近郊に供給するための陶器と磁器の日常雑器が作られていたことがわかります。なかには、色絵磁器や、三田青磁を模した雲鹿文の皿もあります。「天□□・辛卯□□・麻生焼」とかかれた皿もみつかっていることから、天保2(1831)年にはこの窯が操業し、「麻生焼」とよばれていたことがわかります。
 近世砥部焼の多様な姿をうかがい知ることのできる、重要な遺跡です。
今回の特別展では、大下田窯跡出土の陶磁器を多数展示していますので、ぜひご覧ください。第3会場では、大下田2号窯で焼成した瓦を展示していますので、こちらもお見逃なく。

特別展江戸考古紹介(16) 砥部焼の青磁

2008年11月17日

上原窯跡青磁
上原窯跡出土青磁型皿(砥部町蔵)

 これらのやきものは、砥部焼の窯跡からみつかったものです。型押しでつくられ、青磁釉が掛けられています。中国風のこうしたやきものは、現在の兵庫県の三田青磁が著名で、特に雲鹿文の皿は、文様がそっくりです。砥部では文字が改変されているのが特徴です。
 窯跡からみつかった陶片により、当時の窯業技術の交流をうかがい知ることができます。これらの青磁は、当時、市場でもてはやされた製品と考えられ、砥部でも焼成していたことがわかります。

特別展江戸考古紹介(15) 近世の砥部焼磁器

2008年11月16日

砥部磁器
上原窯跡出土砥部焼(砥部町蔵)

 これらは、砥部焼の窯跡から出土した近世の砥部焼です。
当時やきものは登り窯で、薪をくべて焼成していました。今とは違い、失敗品がたくさんできました。窯跡からは、窯道具と製品が熔着した資料もみられます。
 当初、砥部焼磁器の材料には、砥石屑が使用されていました。ごみとして捨てられたやきものの破片ですが、これらを研究することにより、近世砥部焼の具体的な姿を知ることのできる重要な資料なのです。

特別展江戸考古紹介(14) 最古級の砥部焼磁器

2008年11月15日

上原安永
 上原窯跡出土「安永九」年皿(砥部町蔵)

 愛媛県で有名なやきものとして砥部焼がありますが、砥部焼の磁器がいつから焼成されたかご存知ですか?
 大洲藩領の砥部町上原窯にて、安永4(1775)年に磁器焼成を開始し、安永6(1777)年に成功しました。せともので有名な瀬戸よりも砥部の磁器焼成が20年以上早いということは、注目されます。
 この陶片は、上原窯跡でみつかったもので、安永9(1780)年の年号が染付で書かれており、創業まもないものとわかります。
 上原窯跡は、愛媛県内で初めて磁器焼成を行なった窯として大変重要な遺跡です。