(28)獅子-百獣の王-

染型紙 獅子 個人蔵(西宇和郡伊方町)
ライオンは、その勇壮さから世界各地で聖獣とされ、太陽の象徴ともされます。中国を経て日本へ伝えられたライオンの姿は、次第に空想化され極端にデザイン化を経ます。ライオンを知らない日本人は、架空の聖獣「獅子」として文様に取り入れました。

百獣の王である獅子は、百花の王である牡丹が好物であるとも言われ、力と美の豪華な組み合わせとして大変好まれています。
(28)獅子-百獣の王-

染型紙 獅子 個人蔵(西宇和郡伊方町)
ライオンは、その勇壮さから世界各地で聖獣とされ、太陽の象徴ともされます。中国を経て日本へ伝えられたライオンの姿は、次第に空想化され極端にデザイン化を経ます。ライオンを知らない日本人は、架空の聖獣「獅子」として文様に取り入れました。

百獣の王である獅子は、百花の王である牡丹が好物であるとも言われ、力と美の豪華な組み合わせとして大変好まれています。
河後森(かごもり)城、その名前を耳にしたことがあるという方も多いのではないでしょうか。松野町の中心部松丸の町並みの背後に見える小高い丘、それが河後森城跡で、平成9年には国の史跡指定を受けました。
河後森城跡
河後森城の周辺地域は、戦国時代には河原淵(かわらぶち)氏という領主が支配していました。なかでもよく知られた河原淵教忠は、伝わるところでは土佐一条氏一門の東小路教忠が養子に入ったといわれ、そのためか一条氏寄りの立場を見せます。予土を結ぶ四万十川水系の国境地域という政治・軍事的要衝にあって、一条氏勢力の前線拠点の役割を期待されたのかもしれません。その後、やはり伝承では、一条氏滅亡の後、配下であった芝氏が台頭して教忠の地位を奪ったといいます。
四国平定後、南予の支配も中央から送り込まれた大名が執り行うようになりますが、各大名は予土国境に位置する城として重視したようです。なかでも、藤堂高虎は、板島(宇和島)・大津(大洲)・河後森を南予支配の3大拠点としていました。伊達家でも入部当初には当地に重臣桑折氏が配されていたようです。近世初頭に廃城になったようですが、おそらく一国一城令などの影響があったものと推察されます。
尾根が馬蹄形に丸まった独立丘陵の、最も高い部分に主郭、そこから尾根上に曲輪が連なります。現在発掘調査が継続的に進められており、かつての姿が次第に明らかになろうとしています。主郭部では石垣や大型の瓦・鯱瓦なども出土しており、中世城郭から近世城郭への過渡期の城郭遺跡として貴重な城跡です。発掘成果を基に、一部に建物の復元もされて公園としての整備も進みます。
照源寺
河後森城から南へ少し行くと、河原淵氏の菩提寺照源寺があります。境内の開山堂跡地には現在墓碑群があり、後世に河原淵教忠の子孫を名乗る人々により建てられた教忠の墓碑が立ちます。その他には、歴代住職の墓碑をはじめ中世のものと思われる五輪塔も多く並んでいます。
河原淵教忠墓碑
照源寺開山堂跡墓碑群
昨日は、愛媛県立博物館で8月30日(土)から始まる『森のめぐみ 木のものがたり展』の展示設営に行ってきました。この展示は、第32回全国育樹祭記念行事の一つで、愛媛県立博物館・愛媛県歴史文化博物館・愛媛県総合科学博物館の3館の協同展になっています。
3館の学芸員が県立博物館の特別展示室に資料を持って集合。担当コーナーに分かれて作業を行いました。

歴博の担当コーナーは、「森と人とのつながり」の部分。愛媛大学の教授であった村上節太郎さんが撮影した写真から、焼き畑でトウモロコシや三椏(みつまた)を育てる山村の人々、ロクロをまわして器を作り出す木地師(きじし)、身近な竹を使って日用雑貨を生み出す職人など、戦前戦後の山間部の景観や林業に生きた人々の暮らしを紹介し、森の恵みを何一つムダにしなかった昔の人の暮らしを紹介しています。

県立博物館、総合科学博物館は、木の年輪標本や植物標本など、森に関する動植物の展示を担当しています。

その他、木のおもちゃで自由に遊べるスペースもあるので、ぜひこの機会に、親子であそびながら木に親しんでみよう!
第32回全国育樹祭記念行事
『森のめぐみ 木のものがたり展』
愛媛県立博物館 平成20年8月30日(土)~9月23日(火・祝)
愛媛県歴史文化博物館 平成20年10月4日(土)~12月7日(日)
愛媛県総合科学博物館 平成20年12月20日(土)~平成21年1月30日(金)
(27)雀(すずめ) -豊作の願い-

染型紙 雀 個人蔵(西宇和郡伊方町)
雀は群れる様子から一族繁栄、その繁殖力から穀物の豊作の意味を表わします。また中国では「雀」と「爵」が同じ発音であるところから、多くの雀が群生する様子を爵位のある人(高級官吏)が集う様子を連想させ好まれました。
型紙では、竹の輪をくぐり抜けるかのように、飛び回る雀が愛らしい文様となっています。

(26)鯉(こい) -滝をのぼって龍へ-

中国において、鯉は急流を昇りやがて龍になるという伝説があり、日本でも「鯉の滝昇り」は吉祥文様とされています。

染型紙 鯉 個人蔵(西宇和郡伊方町)
この型紙では、流れに逆らって泳ぐ勇壮な出世魚を、ダイナミックな水の流れと共にデザイン化した、躍動感あふれる文様となっています。

こちらの型紙には糸入れの技法が見られます。
(25)馬 -成長への願い-

古来、馬は神様の乗り物として考えられてきました。
その姿は絵画や絵馬に描かれ、玩具としても形づくられています。
きものでは、男の子の衣装に馬の文様が見られます。元気よく跳ね回る馬の姿に、成長の願いを託したのでしょうか。

染型紙 馬 個人蔵(西宇和郡伊方町)
型紙では、尾をなびかせた馬がはつらつと野を駆け回る様子がデザインされています。

この型紙は、今までご紹介した型紙と少し異なり、縦型となっています。型紙の
中には少数ですがこのような縦型のものが見られます。
天正7もしくは9(1579/1581)年5月、すでに土佐を統一し伊予へもその手を伸ばした長宗我部元親の軍勢が宇和郡の三間盆地まで侵攻し、そこで伊予の軍勢と衝突します。その舞台となったのが岡本城であり、奮戦して土佐勢を撃退したことでよく知られるのが三間大森城主土居清良です。
岡本城跡
岡本城は、大森城から東南へ2kmとない至近の城で、三間川沿いの広見盆地と三間盆地の間でちょうど山が張り出して平野が狭まった場所にあり、まさに三間盆地の玄関口にあたります。JR予土線の二名駅から東南方向の眼前に見えます。
尾根の先端の高みに主郭を設け、そこから三間川に向けて複数の曲輪が配され、後方の尾根には横堀や縦堀が造られ、さらに後方には出曲輪のようなもう一つの遺構群が存在します。
岡本城合戦で土居清良は、長宗我部氏の重臣久武親信(ひさたけちかのぶ)らを討ち取るなど、土佐勢に対して大きな打撃を与えました。その戦功は道後の河野通直からも讃えられるところとなり、賛辞とともに褒美として太刀と馬代、あるいは具足や兜が与えられました。
土居清良の名を世に広めるきっかけの一つとなった、まさに清良功名の場ともいうべき城跡です。
(24)亀(かめ) -亀は万年-
鶴は千年、亀は万年と言われるように長寿の象徴です。その亀がさらに長く年を重ねると、尻尾に海藻がつき蓑(みの)のようになると考えられていました。

染型紙 亀 個人蔵(西宇和郡伊方町)
この型紙の亀はおしりから虹のように線がのびていますね。これが蓑のような部分で、「蓑亀(みのがめ)」と呼ばれています。

円を重ねたような文様は「青海波(せいがいは)」と呼ばれています。波をイメージした扇のようなデザインは同名の雅楽の舞曲から名づけられたとされています。
(23)鶴(つる) -鶴は千年-

染型紙 鶴 大西金七染物店蔵(四国中央市川之江町)
鶴は、舞うように飛ぶ姿や気品あふれる立ち姿などが好まれてきました。また、鶴は千年、亀は万年と言われ、長寿のモチーフともされています。
文様においても、型紙のように二羽が向かい合わせの文様「向かい鶴」や羽を丸く広げた文様、空に羽ばたく文様などバリエーションが豊富です。

8月13日(水)から開催中のイベント「夏休みは歴博に行ってみる!?」。
展示室では、恒例のクイズラリーを実施中です。今回は、開催中の特別展にもクイズを設置しています。クイズラリーの参加賞は、れきはくオリジナルチョコ。たくさんの図柄に迷ってしまうお子さん続出。もちろん、大人の方も参加していただけますので、家族みんなでクイズに挑戦してみませんか?
エントランスには、「型紙摺り絵でうちわづくり」と「ガラスの風鈴に絵付けしてみよう」を行っています。うちわも風鈴も、日本の夏にかかせないアイテムの一つ。チリン、チリンと涼やかな音色に引かれて、会場は大盛況です。


イベントは17日(日)まで。ぜひ、ご家族揃ってれきはくへおこしくださ~い。