(24)亀(かめ) -亀は万年-
鶴は千年、亀は万年と言われるように長寿の象徴です。その亀がさらに長く年を重ねると、尻尾に海藻がつき蓑(みの)のようになると考えられていました。
染型紙 亀 個人蔵(西宇和郡伊方町)
この型紙の亀はおしりから虹のように線がのびていますね。これが蓑のような部分で、「蓑亀(みのがめ)」と呼ばれています。
円を重ねたような文様は「青海波(せいがいは)」と呼ばれています。波をイメージした扇のようなデザインは同名の雅楽の舞曲から名づけられたとされています。
(24)亀(かめ) -亀は万年-
鶴は千年、亀は万年と言われるように長寿の象徴です。その亀がさらに長く年を重ねると、尻尾に海藻がつき蓑(みの)のようになると考えられていました。
染型紙 亀 個人蔵(西宇和郡伊方町)
この型紙の亀はおしりから虹のように線がのびていますね。これが蓑のような部分で、「蓑亀(みのがめ)」と呼ばれています。
円を重ねたような文様は「青海波(せいがいは)」と呼ばれています。波をイメージした扇のようなデザインは同名の雅楽の舞曲から名づけられたとされています。
(23)鶴(つる) -鶴は千年-
染型紙 鶴 大西金七染物店蔵(四国中央市川之江町)
鶴は、舞うように飛ぶ姿や気品あふれる立ち姿などが好まれてきました。また、鶴は千年、亀は万年と言われ、長寿のモチーフともされています。
文様においても、型紙のように二羽が向かい合わせの文様「向かい鶴」や羽を丸く広げた文様、空に羽ばたく文様などバリエーションが豊富です。
8月13日(水)から開催中のイベント「夏休みは歴博に行ってみる!?」。
展示室では、恒例のクイズラリーを実施中です。今回は、開催中の特別展にもクイズを設置しています。クイズラリーの参加賞は、れきはくオリジナルチョコ。たくさんの図柄に迷ってしまうお子さん続出。もちろん、大人の方も参加していただけますので、家族みんなでクイズに挑戦してみませんか?
エントランスには、「型紙摺り絵でうちわづくり」と「ガラスの風鈴に絵付けしてみよう」を行っています。うちわも風鈴も、日本の夏にかかせないアイテムの一つ。チリン、チリンと涼やかな音色に引かれて、会場は大盛況です。
イベントは17日(日)まで。ぜひ、ご家族揃ってれきはくへおこしくださ~い。
三間(宇和島市三間町)の市街地のやや東方、まさに三間盆地の中央部に悠然とそびえる山の頂に大森城跡はあります。独立丘陵の頂上を利用し、細長く広い主郭からは複数の曲輪が尾根伝いに連なり、周囲に伸びた尾根の高みには出曲輪とみられる遺構も確認できます。
大森城跡
大森城は、三間地域を支配した土居清良が本拠としました。土居清良は、近世に子孫たちが編纂した軍記物語「清良記」の主人公として有名です。また、天正7(1579)年には伊予進出を図る土佐長宗我部氏の軍勢が三間盆地まで進軍してきますが、それに対して盆地の入口を押さえる岡本城にて重臣層を討ち取る戦功をあげ、みごと防戦したことでも知られます。
清良神社
土居清良は、三間地域の英雄として、清良神社に祀られています。大森城から南に対面する三間町土居中地区の山裾、県道57号線沿いにあります。石段を登りきった所に社殿があり、神社境内から一段下がった所には龍泉寺があります。この寺院の墓地には土居家の墓所があり、墓所の最も高い段には土居清良廟が建ち、今も地域の人々の崇敬を集めています。
土居清良廟
当館歴史展示室2には、大森城跡の1500分の1の模型が展示されています。ご興味のある方はぜひご来館のうえ、観察してみてください。
大森城模型
(22)葡萄(ぶどう) -実りの秋-
染型紙 葡萄 個人蔵(西宇和郡伊方町)
葡萄は豊穣の象徴として西方より伝わり、正倉院の宝物にもその文様が見られます。
ぐんぐんと伸びる蔓(つる)とたわわに実る房が繁栄の象徴であるとともに、秋の季節を象徴する文様です。
型紙の葡萄は、じゃっかん粒がまばらなようにも見えます。
(21)鉄線(てっせん)-固い結びつき-
染型紙 鉄線 大西金七染物店蔵(四国中央市川之江町)
鉄線はクレマチスの洋名で知られており、六弁の花びら(本当はガクの部分)を風車のように広げた、気品ある夏の花です。
かたい蔓(つる)に結びつきを託して、婚礼衣装にも多く取り入れられています。
(20)梅 -けなげな生命-
松、竹、とくれば次は梅です。梅は、冬の寒さに耐えて花を咲かせる姿から生命力の象徴とされます。愛らしい花の姿や可憐な色合い、味わいのある枝ぶりや寒中に漂う薫りもあいまって古来より親しまれてきました。
染型紙 氷梅 個人蔵(西宇和郡伊方町)
氷の割れ目の間に梅花を配したこの文様を「氷梅(こおりうめ)」といい、早春を表わしています。
(19)竹 -すくすく育つ-
竹は、冬の雪にも屈せず、しなやかにまっすぐ育ち、中が空で隠すものがありません。気高いその姿が人々の心をひきつけました。
染型紙 竹 光岡染工場蔵(松山市中島町)
型紙では、画面を大胆に横切る竹の間を、雀が羽ばたく写実的な文様で表現されています。
このような躍動感あふれる絵柄は「突彫」という技法で彫られています。刀を突き刺し、少しずつ動かしながら掘り進めていく技法です。彫りぬかれた部分が多いため、「糸入れ」もされています。
※体験講座で製作したカラス型飛行器
昨日8月3日(日)に愛媛県歴史文化博物館では、体験講座「二宮忠八に挑戦!模型飛行機を作ってとばそう」を実施しました。
歴史博物館で飛行機づくり?と不思議に思われるかもしれませんが、愛媛には「飛行機の歴史」を語る上で欠くことのできない先人がいたのです。
世界で最初に、飛行機で空を飛んだ人物はアメリカのライト兄弟。1903年のことです。そのライト兄弟よりも12年早く、模型飛行器を作っていた日本人がいました。愛媛県八幡浜市出身の二宮忠八(1866年生-1936年没)です。
1891(明治24)年に二宮忠八が作った模型飛行器の名前を「カラス型飛行器」といいます。今回の体験講座では、この模型飛行器をみんなでつくりました。
なお、二宮忠八の業績は、明治時代には評価されていませんでしたが、1919(大正8)年に忠八の業績に注目した人物がいます。それは白川義則。愛媛出身の軍人で、のちの陸軍大臣です。彼が評価した後、昭和10年代には忠八は国定教科書でも取り上げられるまでになりました。(白川義則については、現在、当館で開催中の特別展「愛媛と戦争」にて紹介しています。)
※二宮忠八に関する資料(凧や模型飛行器など)は、八幡浜市民図書館2Fの「郷土資料室」に展示されています。また八幡浜市内には忠八関連の史跡も各所にあります。夏休みの自由研究で飛行機や二宮忠八をテーマとするのにおすすめです。
(愛媛県歴史文化博物館では、常設展示室にて「愛媛の民話」を紹介するビデオコーナーを設けています。このブログでは、常設展示で紹介している民話(昔話・伝説)以外にも、愛媛に伝わる昔話・伝説などの口頭伝承を紹介したいと思います。)
※笠置峠から見た宇和の風景
まだ自動車道路がない頃の話。
前は宇和海、後ろを山に囲まれた港町・八幡浜の親子が、山側の米どころ宇和盆地にある山田薬師・花祭りに行こうとして、笠置峠を登った。
花祭りでは甘酒も振舞われて、近郷近在、多くの参詣者が歩いて集まってくる。
父親は何度か行ったことがあるが、息子は花祭りが初めてで、甘茶が飲めると聞いて、とても楽しみにしていた。
峠の頂に着いた瞬間、宇和盆地の景色が目の前一面に広がった。
平地の少ない八幡浜で育った息子は「とっと、宇和はがいに広いなあ。たまげた、たまげた。」と素直に驚く。
そこで父親は真面目に答える。「坊よ。たまげたらいけん。宇和もこんだけ広いけど、日本はなあ、この三倍も大きいがやけん、よう覚えとけよ。」
息子ばかりか父親も「井の中の蛙、大海を知らず」。ただ、息子は父親の言葉を真に受けて、少しは「世間」というものを知って、ひとつ大人に近づいたような気持ちになったとさ。
※文章は、当館が平成9年に八幡浜市向灘(むかいなだ)地区で聞き取りした話をもとに再構成しています。