焼畑では古くは痩せた土地でも育つヒエが作られていましたが、大正から昭和にかけてトーキビ(トウモロコシ)が一番多く作られるようになりました。水田の面積が少ない上浮穴地方では米は貴重品であり、日常的にはトーキビを米に混ぜて食べるトーキビ飯を食べました。トーキビ飯は、米粒大に粗く割ったトーキビの中に、米を1~2割程度を入れて炊いたもので、冷めると固くなり喉を通りにくかったといいます。

トーキビイナキ 久万高原町明神 昭和10年
秋になると農家では、トーキビを乾燥するためにイナキをつくり、そこに収穫を誇るかのように架けました。久万高原町や旧小田町(現内子町)では、写真のような光景がよく見られました。
また、トーキビは粉に挽いてトーキビ団子をこしらえたり、煎ったものを粉に挽いてハッタイ粉にしたりもしました。ハッタイ粉は一種の保存食であり、子どものおやつ代わりにも食べられました。

ハッタイ粉を売る商店 久万高原町久万 昭和10年代
写真は久万の町並みでハッタイ粉を売っていた商店を撮影したもので、久万名産の緑茶と椎茸を押しのけて、ハッタイ粉が堂々と看板の中央に記されています。トウモロコシが上浮穴地方では米のように日用品だったということが伝わってきます。








