讃岐国(香川県)は四国八十八箇所霊場を開創したとされる弘法大師空海の生誕の地で、八十八箇所霊場のうち23箇所の札所(徳島県三好市の第68番雲辺寺を含む)があり、その中には第75番善通寺(善通寺市)などの空海ゆかりの重要な寺院や結願の札所となる第88番大窪寺(さぬき市)があります。また、「讃岐のこんぴらさん」として海上交通の守り神として信仰されている金刀比羅宮、屋島・檀ノ浦の源平古戦場跡、栗林公園など、全国的に有名な神社仏閣や名所旧跡が多くあります。
そうした歴史的な特色をもつ讃岐は四国遍路道中図でどのように紹介されているのか見てみましょう。
昭和5年(1930)の光栄堂版、昭和6年(1931)の駸々堂版、昭和13年(1938)の渡部高太郎版など、様々な種類がある四国遍路道中図ですが(本ブログ10「四国遍路道中図の種類」参照)、これらに共通して言えることは、四国の形は全体的にデフォルメされ、讃岐は四国四県の中でも面積が最も小さいことから、阿波(徳島県)、土佐(高知県)、伊予(愛媛県)と比べても小さく描かれています。そのため、視覚的には讃岐の23箇所の札所がところ狭ましと記載されているように感じます。上陸港は山陽・山陰からは丸亀港と多度津港、岡山地方からは高松港の3つの港が紹介されています。
四国遍路道中図に見る讃岐の案内で意外な点は、讃岐には弘法大師空海ゆかりの番外霊場・伝説地や名所旧跡などが数多くありますが、それらはあまり紹介されていないことです(本ブログ4「番外霊場」参照)。こうした理由は編集方針や発行・広告主の意向によるものと推察されます。現時点では伊予を主体に作成された渡部高太郎版のように、讃岐を主体とした四国遍路道中図を確認できていません。
ちなみに四国遍路道中図と同時代資料となる昭和11年(1936)に大阪商船が発行したパンフレット「讃岐あんない」には、讃岐の遊覧地として高松市、栗林公園、鬼ケ島、屋島、五剣山、坂出町、白峯陵、多度津、善通寺、琴平町、金刀比羅宮、観音寺町が紹介されています。四国遍路道中図に記載する讃岐案内とあまり変わらない内容となっています。パンフレットの表紙には、四国霊場を巡拝する遍路の後ろ姿のイラストが掲載されています(写真①、個人蔵)、手に金剛杖を持ち、菅笠をかぶり、荷台を背負い、腰部に尻敷(シリスケ)、足に脚絆を付けています。当時の遍路装束のイメージが見て取れます。パンフレットからは、大阪・神戸から讃岐(高松・坂出・多度津)上陸による四国遍路に大阪商船を利用することを推奨していることがうかがえます。

四国遍路道中図の讃岐の案内情報で特に注目したいのは、結願の札所大窪寺の案内と琴平(金刀比羅宮)への鉄道路線の変遷です。
昭和5年の光栄堂版(個人蔵、写真②)では、大窪寺には「結願」「打ち止め」などの記載はありませんが、阿波の第3番金泉寺から大窪寺へと逆打ちするコースとなる「大阪越」の文字が記載されています。多度津港から鉄道で善通寺や金刀比羅宮を参拝するための讃岐線(後の土讃線)が紹介されています。

翌6年の駸々堂版(個人蔵、写真③)では、大窪寺は大きな文字で「打留(うちどめ)」と記され、「みほとけのおたすけで達者で巡礼を終りましためでたしめでたし」と和歌が添えられています。さらに、大阪越により金泉寺と大窪寺間が点線で結ばれ、「逆打 逆打ハ第三番ヨリ大阪越ヲナシ讃岐ニ入リ八十八ノ大窪寺ヘ行ク、里程九里四丁アリ」と説明が追加されています。また、琴平駅へのアクセスは予讃線の他に、丸亀を起点とした琴平参宮電鉄(昭和38年廃止)、坂出を起点とした琴平急行電鉄(戦時中休止、昭和23年に琴平参宮電鉄に吸収合併)、高松を起点とした琴平電鉄(後の高松琴平電気鉄道)の路線が地図上に記載され、善通寺や金毘羅参詣を背景とした鉄道網の発展や4社による路線競争の激化が見て取れます。

昭和13年の渡部高太郎版(当館蔵、写真④)では、大窪寺で「打留」と大阪越の「逆打」の案内に加えて、「八十八番ヨリ十番を経テ一番ヘ十リ半」という記載が加わっています。第88番大窪寺から第1番霊山寺に巡拝して円環のように四国遍路を行う遍路の存在が読み取れます。なお、善通寺や琴平への鉄道アクセスは省線土讃線のみ記載されています。

こうしてみてみると、四国遍路道中図における讃岐案内は、八十八箇所霊場の札所と結願の大窪寺から阿波の霊場を結ぶ遍路道、上陸港・港町を起点とした航路や鉄道の路線情報の紹介が中心となっていることがわかります。


































