前回に続き、「四国遍路道中図」が発行されていた戦前における、戦争の影響による四国遍路の状況について見て行きます。
昭和17年(1942)の荒井とみ三『遍路図会』には、軍装姿の男性写真に礼拝する母子遍路や戦闘帽に国民服を着た青年遍路の姿が描かれています。戦争の影響によって、四国霊場では従来の一般遍路とは異なる、出征兵士の武運長久や戦没者の供養を祈願する親族等の姿が多く見られたと推察されます(本ブログ91「戦争と四国遍路①」参照)。
今回はそうした事例として、当館に寄贈された「出征軍人武運長久祈願納経帳」を紹介します。
本資料は戦前の四国霊場で一般に使用された納経帳の体裁とは異なり、市販の子ども用の学習帳に納経印を押印して納経帳に見立てたもので、表紙は錦の布地で飾られています。
最初の頁には墨書で「出征軍人/武運長久祈願/願主 楠寅市」と記され、背景には愛媛県内の四国霊場7箇寺(第40番奥院龍光院、第41番龍光寺、第48番西林寺、第50番繁多寺、第51番石手寺など)の御朱印(宝印)が確認できます(写真①)。
写真① 「出征軍人武運長久祈願納経帳」表紙(当館蔵)
見返し部分には、「武運長久」を祈願した吉祥山西岸寺(愛媛県西予市野村町)、和霊神社(同県宇和島市)、三嶋神社(同県西予市野村町)、熊野神社(同左)などの御朱印が押印されています(写真②)。
写真② 「出征軍人武運長久祈願納経帳」近隣神社の御朱印(当館蔵)
本資料の前半部の冒頭には「支那事変武運長久祈願/北支/香月軍司令官以下将兵勇士/寺内軍司令官以下将兵勇士/上海/松井軍司令官以下将兵勇士」と記され、第43番明石寺の納経印が押印されています(写真③)。
写真③ 「出征軍人武運長久祈願納経帳」支那事変武運長久祈願(当館蔵)
次頁以降は「支那事変出征兵士」として、「野村町」の121名の名前が列挙されています。見開きで「奉納/十一面観世音/大宝寺」と記され、第44番大寶寺の納経印が7回も重ね印されています(写真④)。他頁にも、第45番岩屋寺、第46番浄瑠璃寺、第47番八坂寺、第49番浄土寺、第48番西林寺などの納経印があります。
写真④ 「出征軍人武運長久祈願納経帳」支那事変出征兵士・野村町(当館蔵)
次に「中筋村出征兵士」として46名が記されています(写真⑤)。第49番浄土寺、第50番繁多寺、第43番明石寺の納経印が押されています。そして「中筋村在郷軍人」として86名の名前があります。在郷軍人は平時には民間にあって生業につき、戦時に際しては必要に応じて召集され、国防に任ずる予備役などの軍人のことです。第51番石手寺、第42番仏木寺、番外霊場の出石寺や龍光院などの納経印が確認できます。
写真⑤ 「出征軍人武運長久祈願納経帳」支那事変出征兵士・中筋村(当館蔵)
次に「貝吹村出征兵士」として23名の名前が列記されています。出石寺、第46番浄瑠璃寺、第47番八坂寺などの納経印が押されています(写真⑥)。そして野村町、中筋村、貝吹村、横林村(以上、愛媛県西予市野村町)の代表者の名前が記され、四国八十八箇所霊場の愛媛の札所寺院、松山の還熊八幡神社、第66番雲辺寺から第75番善通寺までの納経印が各頁に押印されています。
写真⑥ 「出征軍人武運長久祈願納経帳」支那事変出征兵士・貝吹村(当館蔵)
本資料の後半部には「野村町中筋村貝吹村/修験道者」として、6名の修験者(山伏)と「信行者」(在家の修験者)の名前、御詠歌連中が列記され、信行者の中には本資料を作成した願主・楠寅市の名前も確認できます。そして第75番善通寺の納経印が押印され、「支那事変ニ関シ昭和拾参年八月九日、出征軍人武運長久祈願ノ為、右連中ハ野村町進藤大師堂ニ於テ大般若経六百巻及般若心経一千巻ノ初回祈願ヲ行フ」とあります。昭和12年(1937)7月7日の盧溝橋事件を発端に支那事変が発生しますが、翌13年(1938)8月9日に出征軍人の武運長久祈願のために、野村町進藤大師堂(西予市野村町。現存せず)で大般若経600巻と般若心経1000巻を転読したことがわかります。
次頁以降は第1回目の祈願後に行われた開催場所等が記録され、大泉寺(西予市野村町。第3・4・6回)、願主楠寅市氏宅(第5回)、三柱神社(同市城川町、第23・24・33・53・54回)など、全54回も継続されたことがわかります。
本資料の最後には、戦没者の遺影を掲げた親族等の集合写真、祈願を行う修験者や御詠歌組の集合写真(写真⑦)、昭和18年(1943)の第10回目の大般若転読を個人宅で開催している様子の写真(写真⑧)が添付されています。集合写真には女性や古老が多く、出征兵士の親族・関係者の首に掛ける輪袈裟には「大窪寺」(第88番)、「子安講本部」(第61番香園寺)、「阿波国立江寺授与」(第19番)など、四国八十八箇所霊場の札所寺院のものが確認でき、四国遍路の体験者と見られます。
写真⑦ 出征軍人武運長久祈願の参加者による記念写真(当館蔵)
写真⑧ 出征軍人武運長久祈願(大般若転読)の様子(当館蔵)
また、新聞記事の切り抜き(掲載紙、年不明)が貼られています。それには「野村町を中心に/大般若経で武運長久祈願/天台宗修験者の集り」と見出しがあり、天台系の修験者が主催して、在家の行者(楠寅市ほか)も協力して、地元では大師堂や個人宅で定期的に大般若祈祷が行われ、四国霊場等への巡拝を行っていたことがわかります。また、楠寅市ら諸氏が郷土出身兵士に故郷のニュースや写真を撮影して年賀状として戦線勇士に発送したことなども記載されています。
以上、「出征軍人武運長久祈願納経帳」の概要を紹介しました。戦時中、郷土の出征軍人の武運長久祈願のため、在家の行者が願主となって、修験者によって大般若経等の転読が行われていること、出征兵士の名前を町村ごとに列記し、納経帳に見立てた帳面が作成され、近隣の神社仏閣や四国霊場の札所で納経が行われていることが確認できます。「四国遍路道中図」が発行・使用された戦前の四国遍路における、戦争の影響と札所寺院の役割について垣間見えてきます。
今年、令和7年(2025)は被爆・戦後80年の節目を迎えます。年々、戦争体験者の高齢化と減少、戦争非体験者が増加するなかで、戦争の記憶を風化させないため、そして平和の尊さを再認識するため、各地で平和祈念イベントや展示会、講演会などが開催され、戦争体験の継承や平和教育の推進が図られています。現在開催中の当館テーマ展「戦後80年 戦時下のくらし」(8月31日迄)もぜひご覧ください。詳しくは当館HPをご確認ください。