10月 26日 水曜日
猫塚古墳にて
10月初めに告知しました体験講座「遺跡ウォーク2 香川の前期古墳を歩く!」を10/15(土)に実施しました。当日は、雨の天気予報でしたが、幸い、雨に遭うことなく、全行程を終えることができました。
博物館・松山・西条・新居浜にて参加者が乗車後、一路、高松に向けて、高速道路を約3時間走り、最初の目的地、高松市歴史資料館に到着しました。
同館では、午後に見学する石清尾山古墳群と高松茶臼山古墳について、展示資料・映像などで事前学習を行いました。
昼食後に、石清尾山古墳群にて、講師の高松市教育委員会の高上拓氏のバスに同乗していただき、同古墳群の猫塚古墳、姫塚古墳、石船塚古墳、鏡塚古墳の順に積石墳をめぐりました。参加者は、普段見ることのない積石墳を興味深く、観察しながら、講師の先生の話を聞き、疑問点を質問しながら、1基ずつ古墳を見学していきました。
石船塚古墳主体部にて
その後、高松茶臼山古墳に移動し、同古墳の2基の竪穴式石槨を見学しました。積石墳と盛土墳という2種類の地域性の強い古墳を見学し、当地域の前期古墳の特徴を理解することができた講座でした。
高松茶臼山古墳にて
参加された方のアンケートにも「見ごたえがあり満足できました」というご意見があり、ほぼ全員の方が満足されたようでした。
同行した私も10数年振りに石清尾山古墳群を見学しましたが、以前とは異なる視点で、じっくり古墳を見学することができ、高松の古墳を堪能した一日になりました。講師の先生、並びに参加者の皆様にお礼申し上げます。
なお、今週末の29日には「遺跡ウォーク3 妙見山古墳・相の谷1号墳を歩く」を開催予定です。まだ、数名であれば、参加いただけますので、参加ご希望の方は、当館歴史文化講座係(電話 0894-62-6222)までお問合せください。
また、特別展「邪馬台国時代の伊予・四国」では、石清尾山古墳群の鶴尾神社4号墳と、高松茶臼山古墳の出土遺物を展示しております。講座に参加された方も参加できなかった方も是非、展示室にてご覧ください。
tomiemi | カテゴリー: れきはく・今日の出来事 |
10月 8日 土曜日

本日より、秋季特別展「邪馬台国時代の伊予・四国」を企画展示室・考古展示室にて開催しております。開催期間は12月4日(日)までです。
多くの皆様のご来館をお待ちしています。
展示資料の紹介は後日行いたいと思います。
また、前回お知らせしました10/15(土)に体験講座「遺跡ウォーク② 香川の前期古墳を歩く!」は、まだ募集中です。展示をご覧になって、興味を持たれた方は是非ご参加ください。
tomiemi | カテゴリー: お知らせ |
10月 5日 水曜日
特別展「邪馬台国時代の伊予・四国」の準備は順調に進んでいます。詳細については、後日紹介したいと思います。
さて、関連講座として、10/15(土)に体験講座「遺跡ウォーク② 香川の前期古墳を歩く!」を開催予定です。募集期間が過ぎましたが、定員に達していないため、追加募集しています!
この講座では、高松市歴史資料館にて、高松平野の古墳・歴史を概観した後、高松市教育委員会の文化財担当者に石清尾山古墳群・高松茶臼山古墳を案内していただきます。
石清尾山古墳群は、国内でも珍しい積石墳といって、古墳に盛り土ではなく、石を積むことで墳丘を作っています。猫塚古墳(全長96mの双方中円墳)、姫塚古墳(全長49mの前方後円墳)など、数基の古墳を見学予定です。
また、高松茶臼山古墳は、高松平野東端部に位置する全長75mの盛土の前方後円墳です。出土遺物には画文帯神獣鏡や鍬形石、鏃形鉄製品などがあり、多くを今回の特別展にて展示予定です。現地を訪れることにより、より高松の古墳に興味を持っていただけるのではないかと思います。
また、香川県の古墳と愛媛県の古墳を比較することにより、地元の古墳についても理解が深めていただけると思われます。
なんと、昼食には美味しいさぬきうどんを味わうことができ、交通費・入館料・食事を含めて、6,000円の参加費で、高松の古墳を堪能することができます。
是非、この機会に高松まで古墳を見学に行きませんか?
出発時刻・集合場所・解散予定時刻・場所は、次のとおりです。
1 日時 平成23年10月15日(土) 7:30~18:15
2 集合場所及び時間 出発時刻の10分前にお集まりください。
・宇和 愛媛県歴史文化博物館正面玄関入り口 7:20
・大洲 オズメッセ 7:45
・松山 松山IC高速バス乗り場 8:35
・西条 石鎚山ハイウェイオアシス 9:05
・新居浜 新居浜IC出入口付近 9:25
3 解散場所及び時間
・新居浜 新居浜IC出入口付近 16:40頃
・西条 石鎚山ハイウェイオアシス 17:00頃
・松山 松山IC高速バス乗り場 17:30頃
・大洲 オズメッセ 18:10頃
・宇和 愛媛県歴史文化博物館 18:40頃
参加ご希望の方は、当館 歴史文化講座係 まで、電話・FAX等でお申込ください。TEL:0894-62-6222 FAX:0894-62-6161
あと、15名参加いただけます。
tomiemi | カテゴリー: お知らせ |
9月 30日 金曜日
期間/平成23年年10月8日(土)~平成24年2月5日(日)
会場/文書展示室
開館時間/午前9時~午後5時30分(展示室への入室は午後5時まで)
休館日/毎週月曜日(但し第1月曜日は開館、翌火曜日は休館。12月26日~平成24年1月1・4日休館。1月2・3日開館)
観覧料/常設展観覧料が必要です。
大人(高校生以上)500円(400円)/65歳以上250円(200円)/中学生以下無料
※ ( )内は20名以上の団体料金
内 容
「もったいない」という私たちが何気なく使う言葉には、物を大切にする精神が宿っています。江戸時代では、山・海・川などの自然を管理・保護して資源を守りました。衣食住すべてにわたって、自然から作り出されたものは、幾度もリサイクルされた後に、作物を育てる肥料として自然に返されました。自然と調和・共存された江戸時代のエコライフは、まさに私たちが受け継ぐ先人の知恵の宝庫といえます。当館の収蔵資料を中心として、伊予における江戸時代のエコライフを紹介します。
構 成
1 わび・さびの世界
2 江戸時代の環境保護
3 エコと教育
4 城下町とエコ
5 農村とエコ
6 江戸時代のリサイクル─和紙─
7 江戸時代の塩田
8 エコツアー
主な展示資料
1.西条誌(天保7(1836)年) 当館蔵
西条藩朱子学者日野和(にこ)煦(てる)が、藩主の命により天保7(1836)年から7年の歳月をかけて編纂した地誌。西条藩領内をくまなく調査して、当時の産業や伝説、特産物、名跡などを写実的に描いた絵画を交えて紹介しています。 本資料は、西条藩の特産物の一つ、和紙作りの光景が描かれています。

2.道後温泉絵図 (江戸時代後期)当館蔵
道後温泉を中心に道後の町並が描かれた彩色の絵図。道後温泉は平屋造りで、一の湯、二の湯、三の湯の他にも養生湯や馬湯が丁寧に描かれています。本陣として用いられた明王院をはじめとした旅籠などの建物が街道に沿って並び、周辺には湯神社、湯月八幡宮、宝厳寺などの寺社が詳細に描かれています。山にはすみずみまで手入れされていた様子が描かれています。道後周辺の田園が描かれ、江戸時代における里山と共存していた道後の町の様子が伺えます。
3.加藤文麗画「鳴子図」(横井也有賛「鳩吹に腹立たせたる鳴子かな」)(江戸時代中期)当館蔵
鳴子(なるこ)は、数本の竹筒を小板に並べてぶらさげたもので、田畑の害獣や害鳥を追い払う道具です。鳩吹(はとぶき)は、猟師が両手の手のひらを合わせて山鳩の鳴いているような音を出して猟仲間に知らせる合図です。加藤文麗は、秋の風物詩である鳴子と山里の風景を水墨画に描き、横井也有は、二つの音が山里に響き渡る様子を俳諧に詠みました。文麗は、大洲藩三代藩主加藤泰恒の六男で、狩野周信(ちかのぶ)門に入って絵を学びました。徳川吉宗の隠居後に仕える傍(かたわ)ら、谷文晁など日本を代表する画家を育てました。也有は、尾張藩士で、俳句、俳文、絵画、和歌、など各分野で活躍しました。

sarah | カテゴリー: お知らせ |
9月 16日 金曜日
民俗展示室3「四国遍路」は、9月7日に一部資料の展示替えを行いました。
今回新たに収蔵品となった、明治~昭和初期にかけてのお遍路さんの所持品を展示しました。これは伊予国東宇和郡多田村(現、西予市宇和町)出身の遍路が、実際に四国巡礼を行った際に所持したもので、納経帳、念珠、札挟み、参拝記念のお土産などからなります。その中から納経帳を紹介します。
1 明治時代の納経帳

この納経帳は明治38(1905)年のもの。地元の43番明石寺をスタートして42番仏木寺へ進み、その後、逆打ちで巡礼しています。44番大宝寺で結願。ほとんどの札所では、納経印が3つ押印されており、同じ納経帳を使用して3回巡礼したことがわかります。納経印があるのは全100箇所を数えます。88箇所の通常の札所以外に途中、篠山神社、13番奥院の建治寺、柳水庵、箸蔵寺、65番仙龍寺、60番前札の清楽寺、86番奥院の地蔵寺、生木山正善寺、延命寺、5番奥院五百羅漢などの、番外霊場や奥院に参詣していることがわかります。
2 大正時代の納経帳

表紙に「奉納経」とあります。扉に高野山普賢院の弘法大師像が印刷されています。1番霊山寺から順打ちで廻り、88番大窪寺で結願しています。ほとんどの札所では、納経印が5つ押印されており、この納経帳を使用して5回巡礼したことがわかります。また、番外霊場月山神社の納経の墨書から、納経帳は大正10(1921)年頃のものと考えられます。
納経帳は四国遍路に必須の携行品です。納経帳を調査することによって、四国遍路を行った人物、年代、参詣先、巡礼ルートなど、多くの情報がわかり、四国遍路の歴史を探る上でとても貴重な資料といえます。
imaken | カテゴリー: 常設展おすすめ情報 |
9月 9日 金曜日
民俗展示室2「愛媛のくらし」では8月25日に展示替えを行いました。
展示ケースでは「アイロン」の移り変わりがわかる資料が並んでいます。
「里のいえ」近くの展示ケースで見ることが出来るのが「鏝(こて)」と「火のし」です。

手前の鏝は、三角の形の部分を、火鉢などの中に入れて、直接熱くして使います。温度の調節が難しいのですが、裁縫の時に、布のしわをとったり、カタをつけるのに役に立ちました。
奥の火のしは、丸い穴の中に炭を入れて、底を熱くして使いました。底が平らになっていて、布の上に置き、熱と重みで衣類のしわをとります。

次に登場するのが「炭火アイロン」です。
炭火用アイロンは、中にいれる炭火の量で温度を調節することができます。また、下に並んだ小さな穴から空気が入り、煙突からガスがぬけるため、長い間使うことができるようになりました。
このように上ぶたを開けて、中に炭を入れて使います。

ずっしりと重い炭火アイロン、内部はこのようになっています。

道具の形が変わっても、しわを取るには熱と重さが大切であることがわかるアイロンの移り変わりです。
民俗展示室2でご覧になることができます。ご来館お待ちしております。
diamond | カテゴリー: 常設展おすすめ情報 |
9月 8日 木曜日
民俗展示室2「愛媛のくらし」の部屋の展示資料が、秋を意識したものに変わりましたのでお知らせします。
去る8月25日、3名の当館ボランティアさんにもご協力いただいて、夏の食事模型や蚊帳を撤去し、秋の食事模型などへ展示替えを行いました。
また今回は、「洗濯」と「アイロン」の移り変わりを展示ケースで紹介しています。
展示ケースにどのように置けば、資料の用途や面白さが伝わるか、4人で額を突き合わせての作業です。
まずは水色のドラム缶のような道具、「かもめ印マジック洗濯器」といいます。

この道具をどのように使って洗濯したのでしょうか?
マジック洗濯器上部の蓋を開けると、内部はこのようになっています。

この中に洗濯物とお湯を入れて、蓋をし、両手で持って振り、汚れを取りました。
使用方法を説明した書類はないのですが、洗濯器の底の部分には「湯温40度~60度 撹拌10秒~20秒」とあります。

お湯を使うことで内部の圧力が高くなり、洗剤が洗濯物の繊維に入り込み、汚れが取れるようです。
ボランティアさんたちが
「見たことないですね」
とおっしゃっていたように、広く普及したというわけではありませんが、それでもモダンな姿の「マジック洗濯器」が登場した時は驚きを持って迎えられたと思われます。
不思議でモダンな「マジック洗濯器」は、民俗展示室2で見ることができます。ご来館お待ちしております。
また、これはお馴染み「洗濯板とたらい」も民俗展示室2「海のいえ」に展示しております。あわせてご覧ください。

diamond | カテゴリー: 常設展おすすめ情報 |
9月 2日 金曜日

内子町からの依頼により、内子町役場内子分庁において、共催展「村上節太郎写真展」の列品を行いました。明治42年(1909)に現在の内子町平岡に生まれた村上は、昭和32年(1957)に愛媛大学文理学部の教授となり、同35年(1960)に「日本の柑橘栽培地域の研究」により理学博士の学位を受けるなど、柑橘類研究の第一人者として知られています。また、カメラをこよなく愛し、大正11年(1927)に県立大洲中学校(現大洲高校)に入学してから、平成7年(1995)に亡くなるまで写真を撮りつづけました。フィルムだけでも20万枚以上の写真資料は当館に寄贈され、現在整理が進められています。

今回の共催展では、その膨大な写真資料のうち、戦時中から昭和40年代にかけての昭和の暮らしがうかがえる写真をはじめ、肱川水系の生活文化を記録した写真、そして地元の内子町に関わる写真を選んで展示しています。内子町役場内子分庁の入口から入ってすぐのロビーに10月初旬まで展示されていますので、内子にお出かけの際にはぜひお立ち寄りください。
なお、当館では市町連携の一環として、各市町の依頼により、今後も共催展を実施していく予定です。詳しくは博物館までお気軽にご相談ください。
inojun | カテゴリー: お知らせ |
8月 26日 金曜日
特別展「昭和子ども図鑑」でお借りしている山星屋コレクションの中から、おもしろいお菓子史料のいくつかを紹介します。
お菓子を買う楽しみには、食べる楽しみ以外にも、それに付属しているおまけを集めるという楽しみもありました。おまけというと最初に思い浮かぶのはグリコの豆玩具という人も多いと思いますが、昭和20年代にグリコと同じくらい人気のあったおまけとして、現在展示している「カバヤ文庫」があります。「カバヤ文庫」は昭和27(1952)年の登場。カバヤキャラメルに封入されている文庫券を集めると、「カバヤ文庫」と交換できるというものでした。

このカバヤ文庫については、昭和19年に愛媛県西宇和郡伊方町九町に生まれた俳人坪内稔典さんが、子ども時代の思い出を『おまけの名作 カバヤ文庫物語』(いんてる社、1984年)に記しています。九町の井上菓子店で坪内少年がカバヤ文庫と出会う場面が印象的なので、少し長く引用します。
ぼくの「カバヤ文庫」は、井上菓子店の菓子箱(ケース)のなかにずらりと並んでいた。『ピノキオの冒険』『若草物語』『ジャックと豆の木』『ロビンソン漂流記』などが、赤地に白ヌキされた題名を並べていた。
その「カバヤ文庫」のなかから、ぼくは『レ・ミゼラブル』を選んだ。その『レ・ミゼラブル』は、はじめてぼくのものになった本らしい本であった。表紙には、ジャン・バルジャンがコゼットと散歩しているようすが描かれている。ジャベール警視の執拗な追跡を受けているジャンの、それはつかのまの幸福を描いた絵だ。みなし児のコゼットを引きとり、父親になったジャンは、コゼットの手をとって口元に微笑を浮かべている。
それまでのぼくは、本らしい本、すなわちハードカバーの本を持っていなかった。…(中略)…それだけに、ガラスケースの菓子箱のなかに、ずらりと並んだ百冊を超す「カバヤ文庫」は、そのハードカバーのゆえに、まず何よりも魅力だったのである。後年、改めて手にした「カバヤ文庫」の表紙は、ボール紙に上質紙を巻いたものにすぎなかった。この表紙が見返しの紙によって針金でとじた本体にくっついている。それはいかにも安上がりの製本だが、なにしろ「カバヤ文庫」は、キャラメルのおまけであった。安上りの製本でありながらも、ともかくハードカバーであったところに、このおまけの人知れぬ工夫があったのかもしれない。
坪内さんによると、当時住んでいた集落には、幟(のぼり)をつくる本業のかたわら、わずかに「小学○年生」などの雑誌を扱っている店しかなく、家にも数冊の本しかなかったそうです。本を手に入れるには、八幡浜に自宅があった担任の先生に頼んで買ってきてもらうか、晩秋のさつまいもの収穫が終わる「ほごこかし」の日に、八幡浜と半島の島々を結ぶ木造の定期船「八幡丸」に乗って川之石の商店街まで行き、むつみ屋という文房具や本を置いている店で文庫本を買うかしかなかったとあります。そのような中で、本とは少し場違いな菓子店に突如並び始めた「カバヤ文庫」は、坪内少年の目にどんなにか輝いて見えたことでしょう。児童書がまだ高価だった時代に、10円のキャラメルで本を手に入れることができる「カバヤ文庫」は多くの子どもたちに受け入れられました。その結果、昭和27~29年までのわずか2年間で159冊、約2500万部が発行され、当時の隠れたベストセラーといわれています。
「カバヤ文庫」の159冊の書名を見ると、最初に発行された『シンデレラ姫』をはじめ、『ピノキオの冒険』、『母をたずねて』、『ロビンソン漂流記』、『イワンのばか』などの、誰も知っている世界の名作がずらりと並んでいます。つまり、著作権が切れた世界の名作をダイジェストしたものが「カバヤ文庫」で、当時「カバヤ文庫」を通じて世界の名作に親しんだ子どもも多かったものと思われます。その後、カバヤは人気になり始めていたマンガに着目、文庫と同じサイズ、装幀で「カバヤマンガブック」を出し始めます。「カバヤ文庫」にマンガを加えたことで、マンガ嫌いな学校や親の忌避に逢い、カバヤ文庫はわずか2年で刊行を終えることになったとされています。果たしてそうでしょうか。
当館の所蔵品に昭和32年頃と思われる「カバヤココナツキャラメル/カバヤプリンスキャラメル」の宣伝ポスターがあります。そこにはココナツキャラメルの中に「カバヤくうぽん券」が入り、そのくうぽん券で好きな新刊雑誌1冊か、カバヤ文庫10冊セットに交換できることが記されています。新刊雑誌としては、大人用に『平凡』『明星』『文藝春秋』『オール読物』など11種類、子ども用に『幼稚園』『幼稚園クラブ』から『小学○年生』の各学年のもの、さらに『少年』『少女』『少年クラブ』『少女クラブ』『漫画王』など28種類の雑誌名が並んでいます。この頃少年、少女雑誌ともにマンガが台頭、豪華な付録が売りになっていました。そうした本職の子ども雑誌に、「カバヤ文庫」は押されていき、ついには10冊セットでもなかなか引き取られない状況にあったのでしょうか。「カバヤ文庫」が登場した昭和27~28年は時代の転換期だったのかもしれません。物不足から物が行き渡り始めるちょうど狭間の時期だったともいえます。「カバヤ文庫」の終焉には、何かそうした時代の力が大きく関わっているように思えてなりません。
inojun | カテゴリー: 特別展おすすめ情報 |
8月 11日 木曜日

伊予市上灘の鉄道高架下で行われていた街頭紙芝居を、昭和30(1955)年頃に撮影した写真(井上敬一郎氏提供)です。自転車の荷台に木製の紙芝居の舞台がのっています。その前に集まったたくさんの子どもたち。かなり至近距離から紙芝居にかぶりついて見ている感じです。左側の男の二人は、お菓子を食べていますね。水あめや煎餅などを買って、食べながら見るのが紙芝居の楽しみの一つでもありました。写真を見ると、小さい子どもから、妹か弟をおぶった少し大きな子どもまで、いろいろな年代の子どもがいることがわかります。テレビが普及していない時代、紙芝居はいろいろな年代の子どもを惹きつける娯楽の王様でした。現在、放課後にこれほど学年を超えた子どもたちが集まって遊んでいる姿を見かけることもないのではないでしょうか。
今回、特別展「昭和子ども図鑑」の展示室の中に観覧者の紙芝居の思い出を書いていただくコーナーを設けました。いろいろな思い出が寄せられていますので、そのうちのいくつかを紹介します。
○和霊公園(宇和島市)。といっても今のように整備されているわけではなく草ぼうぼうだった頃、今の公園の前で紙しばいのおじさんが毎日きてました。いもあめなど食べながらみていました。昭和30年代だったと思います。
○宇和島市弁天町。昭和40年ごろ。黄金バット。型ぬきおかし。自転車の後ろにつんでいたような気がします。
○昭和35~40年代、伊予市郡中の小笠原こんにゃく店の裏の路地。私の生家近くですが、その場所は整地されています…。5円持ってよく行ったものです。子ども心に何も買わないで見ようとすると白い目で見られたものです。
○昭和30年代後半から40年代前半に松山市内此花町あたりでよく見ました。
○砥部町原町の小さな公園で何度も。昭和35年頃。おかしは型ぬき、わらびもちのようなものでした。今日の展示を見て、なつかしさで泣きそうでした。
○昭和30年代前半、神戸で小学生時代、紙芝居がとても楽しみで、その頃は5円だったと思います。お菓子も展示にあった水あめをねったり、型ぬき、せんべいを2枚重ねて間に何かぬっていた物だったようで、おじさんがひょうし木をたたいてみんなが集まりお話が上手で、今日は昔の事が思い出しよかった。
○昭和30年うまれです。夕暮時になると紙しばい屋さんの自転車の後を子どもたちがついて行っていたのを思い出します。今考えると子どもにとっては恐しい話もあった様な気がしますが、あめをなめながら一生けん命聞いていたのをなつかしく思い出します。でも母に道はたで買うあめは不けつと言われて、あまりいつもは食べられなかったのが残念でした。
○私の母は昭和23年生まれで、10円をにぎりしめて、紙芝居に見に行ったそうです。水あめを買わないと見せてもらえなかったと言っています。わりばしについた水あめを白くなるまで、ねって大事に大事に食べたそうです。
○あります。30ねんだいぜんはん。
○昭和42年頃、8才の時。近くのアパートの広場。子供が多くみんなで集まってみていました。
昭和30年代~40年代前半に愛媛のいろいろな路地で街頭紙芝居が行われていたことがわかってきました。紙芝居が楽しくて懐かしい思い出として、多くの人の心に遺っていることがうかがえます。展示室では、紙芝居の他に、お菓子や雑誌に関する思い出も書いていただいています。そちらについても、機会があれば紹介したいと思います。

なお、博物館では、8月13日(土)、14(日)、15日(月)、27日(土)、28日(日)に当時のスタイルそのままで街頭紙芝居を実演するイベントを行います。昭和20~30年代に実際に使われていた一枚一枚が手書きの街頭紙芝居です。また、街頭紙芝居に付きもののクイズもいっぱい準備しています。各日とも13時30分と14時30分開始で、無料で参加いただけます。昔ながらの紙芝居をどうぞお楽しみください。
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