浮世絵摺りに挑戦!

7月 22日 土曜日

7月15日から特別展「トリックアート 大江戸物語」が始まりました!

関連イベントとして、特別展会期中の土曜日に

「浮世絵摺りに挑戦!」が行われています。

 

今回摺るのは「六十余州名所図会 伊予西条」という浮世絵です。

「六十余州名所図会」は歌川広重が日本全国の名所を描いたシリーズで、

石鎚山の壮大な風景を愛媛の名所として描いています。

 

この浮世絵は五色摺りとなっているので、一色ずつ丁寧に摺っていきますよ!

薄い色から順番に重ねていきます。

まずは黄色のインクを、版木にのせます。

 

次ぎに紙をのせて、ずれないように気をつけながら摺ります。

 

黄色の次は、赤→緑→青→黒の順番で

同じように重ね摺りしていきます。

 

黒まで重ねたら、完成です!

 

一色だけだと、何を書いているのか分かりませんが

五色重ねることで綺麗な浮世絵が完成します。

江戸時代、大流行していた浮世絵が

どのようにして作られていたのか

実際に体験してみてください!

 

 

浮世絵摺りに挑戦!

日時:特別展会期中毎週土曜日 13:00~15:00

※8/11~8/15の夏休みイベント期間は除く

場所:エントランスホール

参加費:特別展もしくは共通観覧券が必要

 

特別展「トリックアート 大江戸物語」は9月3日(日)まで!

資料紹介「伸びゆく小供」 ~テーマ展 「戦時下に生きた人々」から~

 今日はテーマ展「戦時下に生きた人々」の中から、「2 ぼくたちも戦争のなかにいた」のコーナーでパネル展示している「伸びゆく小供」を紹介します。実際は絵葉書の裏面に描かれています。封筒には「一億一心」のスローガンが記載されています。「ゼイタクハ敵」、「勤労奉仕」、「慰問袋」などのタイトルで子どもを登場させ、子どもでも分かりやすいように漫画風に描かれているのが特徴です。子どもたちにも生活の苦しさに堪え忍び、出征している兵士を思いやって国内を守る思想が強いられたのです。
展示室ではこの他にも戦艦文鎮やヘイタイ双六などのおもちゃ、日独のマークがあしらわれた子ども服、当時の教科書、武道が科目となった通知表、学徒勤労動員の写真なども展示しています。子どもの成長にあわせて資料を順番に展示していますので、当時の小学生から中学生までの様子がよく分かると思います。戦争と子どもについては、子どもは弱い立場で守られていたイメージがありますが、小学校五年生なら十年経てば一人前の兵士となります。そのため、大人たちは子どもの頃から国への忠誠心や兵士となることの意味をいろいろな手段を使って浸透させたのです。そして、純粋な子どもほど大人の考えを素直に正しいと信じたのです。当時の子どもたちの資料を、「純粋で弱い立場」という視点と、「将来の戦士」という視点で複眼的に見ていただければ、資料の見方も変わると思います。皆さんいろいろな角度から資料をご覧ください。展示は9月3日(日)まで開催しています。

         封筒

         ゼイタクハ敵

         勤労奉仕

         慰問袋

西予市宇和文化の里施設との連携

7月 19日 水曜日

7月15日(土)から、西予市宇和文化の里施設と歴博との相互割引を開始しました。歴博で、宇和文化の里施設(開明学校・宇和民具館)入館券をご提示いただくと、歴博の常設展・特別展・共通観覧券が団体割引料金となり、逆に歴博の観覧券を宇和民具館で見せていただくと、開明学校・宇和民具館の入館料が団体料金(50円引き)となるというものです。
西予市宇和文化の里とは、歴博が宇和にできた時から、いろいろと協力しあってきたところですが、お互いのお客様に、ついでだから少し周遊してみようかというきっかけとなって、のんびりと歴史や文化に触れあっていただければ幸いに思います。
歴博では、7月15日(土)から、夏の特別展「トリックアート大江戸物語」が始まっていますが、そのトリックアートの一つに桶の中を走って逃げる「桶泥棒」というのがあります。桶と言ってもプラスチック製の風呂桶くらいしか思い浮かばない方も多いと思いますが、ちょうど宇和民具館では、企画展「桶と樽のある暮らし」を開催しています。歴史のある宇和では、今も桶や樽を使っておられる醤油屋さんや酒屋さんがあり、桶を作っておられる職人さんもいらっしゃいます。宇和民具館の中にも、歴博のポスターがあって、しっかり宣伝していただいてました。
7月16日(日)には、今回の特別展の関連体験講座「江戸時代のくらしに学ぶ」が開催され、受講者の方々と一緒に、宇和民具館や末光家住宅など卯之町の町並み散策をしてきました。

館蔵品の鎧兜が大洲へ!

7月 16日 日曜日

資料の貸出作業が行われました。

今回貸出するのは、大洲藩主加藤家ゆかりの鎧兜3点。

大洲市立博物館の特別展「大洲のお殿様」(7/22~9/12)で展示されます!

では、貸出作業の様子をご紹介!

ますは貸し出す資料の状態を確認していきます。

鎧兜はパーツが多いのですが、隅々まで細かく確認しますよ!

そして、その様子は調書に記録しておきます。

確認作業が終われば、梱包作業へ。

「薄葉紙(うすようし)」という薄い和紙で

痛んでいる所や傷つきやすい所などをカバー。

胴体も、擦れて痛まないようにグルグル巻いて保護します。

最後は箱に入れ、隙間を埋めて動かないようにして 完成!!

兜も梱包していきます。

薄葉紙は包むだけではなく

クッションや紐としても活用されます。

薄葉紙、すごいんです!

今回貸出した資料は、大洲でご覧になれます。

ぜひ、大洲市立博物館に足をお運び下さい!

大洲市立博物館

特別展「大洲のお殿様」

平成29年7月22日(土)~9月10日(日)

ルー大柴さん「トリックアート大江戸物語」を体験!

7月 15日 土曜日

本日7月15日から歴博 夏の特別展「トリックアート大江戸物語」が始まりました。一番最初の入館者は、カップルのお二人。仲良く写真を撮られていました。
それから本日は午後から、「名水サミットin西予」が当館で開催され、そのゲストのルー大柴さんが午前中、打合せで先に来られて、特別展を見ていただきました。さすがに決めポーズもばっちりです。

ちょうど入館されていた子どもさんとも一緒にポーズ。最後は、スタッフと一緒に記念撮影。

「トリックアート大江戸物語」は、9月3日〔日〕まで。楽しい写真を撮りに、ぜひいらっしゃってください。スタッフ一同お待ちしております。

テーマ展 「戦時下に生きた人々」開幕!

特別展「トリックアート 大江戸物語」が15日(土)から開幕しました。錯覚を利用した不思議な江戸時代をぜひお楽しみ下さい。そして、お時間のある方は特別展と同時に開幕したテーマ展「戦時下に生きた人々」もご覧ください。特別展とはまったく異なる雰囲気ですが、夏には欠かせないテーマです。
この夏で戦後72年。実際に出征したり空襲を体験した世代は年々少なくなってきました。今のうちに戦争の悲惨さと平和の大切さを戦争体験者から聞き取り、次の世代に伝えていかなければなりません。当館では聞き取り調査も行っていますが、戦時資料の収集も行っています。いずれ戦争体験者はいなくなります。その時、戦争の実態を伝えるのは、戦争体験者から聞き取った内容と資料です。資料は何も語らないと思われがちですが、こちらが聞き取ろうとすると、いろいろなことを語ってくれます。今回のテーマ展は、戦時中の国内に焦点を当て、1空から爆弾が落ちてくる! 2ぼくたちも戦争のなかにいた  3留守をまもったお母さん  4飛べなかった特攻隊員  5まだまだがんばれ、がまんしろ!  の5コーナーからなっています。これから各コーナーの代表的な資料を紹介したいと思います。今日は松山空襲の写真を紹介します。
この写真は昭和20年9月7日にアメリカ軍が空撮した松山市の写真で、アメリカ公文書館に所蔵されています。写真の中心に城山、城山のふもとに黒く塗られて空襲からまぬがれた愛媛県庁、下の右隅に石手川、下の中央に松山市駅が見えます。松山市は昭和20年に入り何度も空襲を受けています。『愛媛県史』によると、特に5月4日の空襲で死者76名、行方不明3名、重軽傷者169名、7月26日の空襲で死者251名、行方不明8名と記載されています。空襲を受けると真っ黒になると思われがちですが、空襲からある程度時間が経つと、焼けて黒くなった木材などは浚われるため、地面がむき出しとなって白く見えるのです。つまり、この写真の白い部分が空襲を受けた範囲なのです。道後・新玉・立花・旭町・小栗・持田各町の一部と三津浜、農村部を残して焦土と化しました。不思議なことに22連隊が置かれていた堀ノ内はほとんど被害を受けていません。当時22連隊は出征していましたが、松山の軍事拠点である堀ノ内は市民にとって軍隊の象徴的な場所だったと思われます。アメリカ軍は意図的に空襲しなかったのか、それとも空き家同然の堀ノ内よりも松山市街の空襲を優先したのか詳細は分かりませんが、この写真は松山空襲の実態をよく伝えています。
展示室には空襲前後の宇和島市の空撮写真や焼夷弾の殻なども展示しています。空襲は焼夷弾によって実行されましたが、飛行機から1本1本バラバラ落とされたわけではありません。展示室では焼夷弾の仕組みや1機の飛行機にどれほどの焼夷弾が積まれていたのか、などについても解説しています。無差別な空襲をとおして、戦争の悲惨さを感じ取っていただければと思います。


展示室入口


展示室内部


体験コーナー


松山空襲後の写真

出前授業「戦時下のくらし」

7月 12日 水曜日

当館では、一昨年の終戦70年を機会に出前授業「戦時下のくらし」を始めました。
今年も早速西予市立皆田小学校から依頼があり、6年生18名に2時間出前授業を行いました。出前授業の特徴は、普段ガラスケースの中に入っている資料を学校に持参し、児童の皆さんに直接触れて、感じてもらうことです。そして、2時間授業の場合は、防空頭巾やもんぺなどの着付け体験も行います。
先ず、児童の皆さんには当時の子どもたちが遊んでいた兵隊人形、兵隊双六などを紹介して、子どもたちも戦争と無縁ではなかったことを説明しました。その後、愛媛県も松山・今治・宇和島を中心に空襲を受けたことを、焼夷弾の殻や空襲を受ける前の宇和島と空襲を受けた後の宇和島の写真で紹介しました。続いて女性が出征する男性に贈った千人針を説明して、児童の皆さんに見てもらいました。赤い糸の一針一針にどういった思いが込められているか、もしお父さん、お兄さん、好きな男性が出征した場合、どうするか想像してもらいました。児童の皆さんは真剣に千人針を見つめていました。
 また、当時の雰囲気を感じてもらうため、代表者に複製の防空頭巾・もんぺ・鉄兜・ゲートルを身につけてもらいました。「暑い」、「重い」といった感想が聞かれました。ゲートル巻はなかなか苦戦したようです。次に配給制度と切符制度の例として、当時一人に配られた米の分量や衣料切符を紹介しました。戦時下の苦しい生活を感じ取ってもらえたのではないでしょうか。
 最後に2つのお願いをしました。一つ目は戦争がどんなに悲惨なものか、平和な世の中がどんなに大切なものか、もっと学習してほしいこと。二つ目は児童の皆さんが実際に出征した兵士や空襲を経験した方から当時の様子を聞き取ることのできる最後の世代であること。だからこそ、何でもいい、少しでもいいので、当時の様子を知っている方々に聞き取り調査をしてほしいこと。
 博物館では7月15日(土)~9月3日(日)にかけて、テーマ展「戦時下に生きた人々」を開催します。当時の空襲、子どもたち、お母さんたち、特攻兵士、戦意昂揚の資料を展示します。特に今回は色々なポイントを設けて、小中学校の自由研究に対応できるものにしています。ぜひ、みなさんご来館ください。

千人針に聞き入る児童たち

当時のおもちゃを見入る児童

中国四国名所旧跡図31 阿州立江寺 四国札所関所

6月 14日 水曜日

13番の一之宮の後、14番から18番までの札所を廻ったはずだが、西丈は何も描き残していない。寛政12(1800)年の「四国遍礼名所図会」の挿絵が、一つ一つの札所を、実景を目の当たりにするような墨絵で丹念に描いているのと対照的に、絵心がくすぐられた景色だけを描くスタイルを貫いているようにも思える。19番札所立江寺に来て、ようやく西丈は絵筆をとっている。しかし、西丈が描くのは札所ではなく、粗末な橋の上に白い鳥が佇む情景である。

立江寺がある立江に至るには8つの橋があったが、その橋には言い伝えがあったようで、江戸時代からいろいろな書物に記されている。貞享4(1687)年出版の『四国遍路道指南』にも、「石橋八ツ、此はしのうへに白鷺居たときハ往来の人渡る事あしゝ、をしてわたりぬれバあやまち有、標石あり」と既に記されている。西丈はこの話を聞いて、わざわざ橋の上に白鷺がいる絵を描いたのであろうが、橋のたもとには、石碑のようなものが2基あるが、道標であろうか、それともこの言い伝えを記した石碑であろうか。石橋ではなく、木橋にしているのは不可解であり、あるいは西丈は言い伝えを聞いて、そこから想像をふくらませて描いたものなのかもしれない。

「教員のための博物館の日 2017」のお知らせ

5月 31日 水曜日

当館では、8月18日(金)に今年も「教員のための博物館の日」を開催予定です。この講座は、学習指導要領に沿った展示室の利用方法や子どもの体験活動、貸出教材キット「れきハコ」、学習支援事業などを紹介する体験講座です。
対象は教職員の方、教員を目指す学生の方、社会教育施設職員の方などです。本講座に参加ご希望の方は、ホームページにある申込書に必要事項をご記入の上、当館学芸課宛てにFAXをお送りください。

中国四国名所旧跡図30 金地瀧(弘治滝) 阿州一ノ宮奧ノ院

5月 30日 火曜日

焼山寺から13番札所一之宮までの道、西丈は何度も川を歩いて渡りながら進んだものと思われる。そして、ゆるぎ石という大岩があるあたりから道を右に折れ、2キロメートルほど足を伸ばし、一之宮の奧の院、建治寺に立ち寄っている。

松浦武四郎の天保4(1833)年の「四国遍路道中雑誌」によると、奧の院には数丈の岩壁があって、大きな岩窟に蔵王権現を祀っていたとある。またさらに500メートルほど折れ曲がりながら下ると、不動滝に至ると記されている。この不動滝が、西丈が描く「金地瀧」のことと思われる。「水勢甚しく幅広し」という描写は、西丈の絵そのもの。滝の周囲の岩角には西国三十三箇所の観音を安置しているというが、これも西丈が滝の周囲の道に石仏を描いているので、この点もぴたりと一致している。

奧之院である建治寺は、天智天皇の時代(661~671年)に役小角が開基したと伝えられている。弘仁年間(810~824年)に空海が四国巡礼をしている際にここを訪れ、修行したと伝わる。西丈が描く滝は、鮎喰川の支流で西竜王山(495m)を水源とする金治谷川の沢の最上部にかかるもので、西丈は「金地瀧」の字を宛てているが、現在は「建治滝」と記され、滝行が行われる行場となっている。

遍路というと、ひたすら札所を目指して歩くイメージがあるが、西丈の場合、番外とされる札所にもよく足を伸ばしている。そのことで、記録にとどめられた一枚といえる。

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