徳島県小松島市立江町にある四国八十八箇所霊場第19番札所の立江寺(たつえじ)は「四国の総関所」、また「阿波の関所」と呼ばれ、四国霊場の関所寺として知られています。
関所寺とは、白木利幸『巡礼・参拝用語辞典』(朱鷺書房、1994年)によると、「四国遍路において、それまでの素行が悪ければ、第十九番立江寺を打つことができず、遍路を中止して帰らなければならないとされる。これを関所寺といい、弘法大師によって定められたといわれている。また、立江寺の手前には九ツ橋という橋があるが、この橋の上に白鷺がいた時も、それ以上進むことは許されないという。」とあります。
次に、大正6年(1917)の四国遍路道中図(駸々堂版)で立江寺を確認します。札所を示す赤色の丸印に「十九番・摩尼山・立江寺・立江町」と記され、中心に延命地蔵菩薩立像をイラスト風に描いた本尊御影が掲載されています(写真①、当館蔵)。また、昭和13年(1938)の四国遍路道中図(渡部高太郎版)では、札所を示す水色の丸印に「十九・摩足山・立江寺」と記され、大正6年版とは異なる本尊延命地蔵菩薩立像の御影が掲載されています(写真②、当館蔵)。両図とも関所寺の記載はありません。現在の立江寺の正式名称は「橋池山(きょうちさん)摩尼院(まにいん)立江寺」ですが、四国遍路道中図では札所寺院の院号表記はありませんが、山号が異なっています。渡部高太郎版の「摩足山」はおそらく誤植ではないかと思われます。


立江寺の本尊の延命地蔵菩薩立像については、寺伝によれば、聖武天皇の勅願寺として、行基が光明皇后の安産を祈願し一寸八分 (約5.5 cm) の子安地蔵菩薩を刻み「延命地蔵菩薩」と名付けて本尊とした。後に空海(弘法大師)が訪れた際に小さな本尊は失うおそれがあるため、一刀三礼(いっとうさんらい)して等身大の地蔵菩薩を刻み、本尊を胎内に収め、この時に寺名が立江寺と改められたと伝えられています。
立江寺が関所寺であったことを物語る史料として、明治33~34年(1900~01)に発行された「四国霊場第十九番立江寺本尊霊験記」と題した2種類の刷り物が、北宇和郡九島村字百之浦(愛媛県宇和島市九島)の遍路の所持品の中に残されています。それらは遍路が立江寺参詣の際に買い求めたものと見られます。その内の1枚は万治3年(1660)の出来事で、立江寺の手前にある九ツ橋の上に白鷺がいたにもかかわらず、村人の制止を聞かず橋を渡り落馬して死に至った阿波藩の郡代奉行黒部某の物語が紹介されています(写真③、当館蔵)。

橋の上に白鷺がいると進めないとする伝承は、貞享4年(1687)の真念の『四国辺路(へんろ)道指南(みちしるべ)』に「〇たてえ村、石橋八ツ、此はしのうへに白鷺居ときハ往来の人渡る事あしゝ、をしてわたりぬれバあやまち有。」、寛政12年(1800)の『四国遍禮(へんろ)名所図会』にも「立江村。石橋、橋上に白鷺居る時ハ通らなずと云也。」と記され、江戸時代には立江寺前の橋にまつわる白鷺伝説が広く知られていたことがわかります。さらに明治16年(1883)の中務茂兵衛『四国霊場略縁起道中記大成』によると、「十九番 立江寺(中略)当寺は遍路御関所といふ。」とあり、立江寺は「遍路の御関所」と明記されています。
もう1枚の刷り物には、不義密通して夫を殺したお京の物語が紹介されています(写真④、当館蔵)。お京の物語は「肉髪付鉦(つきかね)の緒の由来」として有名で、近代の四国遍路の案内記類に詳しく紹介されています。ここでは戦前の詳しい四国遍路案内記として定評のある昭和9年(1934)の安達忠一『同行二人 四国遍路たより』からあらましを紹介します。

「肉髪付鉦の緒の由来は尤も名高く、概略を申しますと、享和三年(1803)石州浜田(島根県浜田)の城下に桜屋銀兵衛という者に三人の娘があり、中のお京は大坂新町で芸者稼業中要助なる者と深く契って脱走、親里に帰り夫婦となりましたが、いつしか密夫を拵(こしら)え遂に発覚したので、密夫を手引して夫を殺し、共に讃州丸亀に上陸して四国巡拝を思い立ち当寺(立江寺)まで来たのであります。ところが不義の天罰恐しくお京の黒髪は逆立って鉦(かね)の緒に巻きついたので、ここに懺悔して真人間に還り、一心に地蔵尊(立江寺本尊)を念じて辺(ほと)りに余世を終わったと言うことであります。その鉦の緒は今なお本堂に秘め収められています。」
改めてこの刷り物を見ると、立江寺本堂の前において、お京の黒髪が逆立って鉦(かね)の緒に巻きついて身体が吊り上げられ、狼狽した密夫は跪き、二人は住職に救いを求め、罪を告白して懺悔する場面が描かれています。お京の首には納め札を入れる札挟みが掛けられ、密夫は笈摺を着ています。本堂前には降り落ちたお京の簪(かんざし)、二人が四国巡礼で被っていた笠、金剛杖なども描かれ、二人が遍路であることを示しています(写真④)。「四国霊場第十九番立江寺本尊霊験記」などのこうした刷り物は案内記類とともに、四国霊場の札所の由来や本尊等の霊験を世に広めました。
お京の物語は、前科のある者や凶悪な罪を犯して追われている凶状持ち(きょうじょうもち)が、追手から逃れるためか、それとも罪ほろぼしのためか、遍路を装って四国霊場を巡拝していたことを示しています。また、過去のあやまちを懺悔して命が助かった二人は仏道に精進したという結末は、四国遍路が罪人も救済する霊場であることを示唆しています。このように関所寺・立江寺に伝わるお京の物語は、四国遍路という巡礼の特質を考える上でとても注目されます。
現在、立江寺境内にはお京の肉髪付鉦の緒を納めた「黒髪堂」、寺の近くには白鷺の関所伝説のある「白鷺橋」、お京の位牌が納められている番外霊場「お京塚」などがあり、遍路が訪れる立江寺ゆかりのスポットとして知られています。