徳島県南部の太平洋に面した日和佐(ひわさ)地区はウミガメの産卵地として知られ、四国八十八箇所霊場第23番札所の医王山薬王寺(徳島県海部郡美波町)があります(写真①)。阿波(徳島県)最後の霊場となる薬王寺は全国的に厄除け祈願の寺院として有名です。

四国八十八箇所霊場会編『先達経典』(2006年)によると、薬王寺について「『やくよけばし』を渡って本堂に向かう最初の石段は、『女厄坂』といわれる33段、続く急勾配の石段『男厄坂』が42段で、さらに本堂から「瑜祇(ゆぎ)塔」までは男女の『還暦厄坂』」と呼ばれる61段からなっている。各石段の下には『薬師本願経』の経文が書かれた小石が埋め込まれており、参拝者は1段ごとにお賽銭をあげながら登る光景が見られる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49年)の勅願によって行基菩薩が開創したとされている。弘仁6年(815)弘法大師が42歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼(いっとうさんらい)し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とされ、厄除けの根本祈願寺とした。大師は、この厄除け本尊の功徳を平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇の3代に相次いで奏上したところ、各天皇は厚く帰依し、厄除けの勅使を下して官寺とされている。」とあります。
現在の厄年の年齢は男女で異なり、一般的に男性は25歳・42歳・61歳、女性は19歳・33歳・61歳、大厄は男性42歳、女性33歳とされています。薬王寺の厄坂の石段の数は男女の大厄の年齢と同じです。筆者が参拝した際にも、厄除け祈願のため厄坂の石段ごとに一円玉や五円玉のお賽銭が奉納されていました(写真②)。

薬王寺が厄除け祈願所とされ、厄坂のお賽銭の習俗はいつ頃から行われたのか、四国遍路の案内記類で確認してみましょう。
元禄2年(1689)の寂本『四国霊場記』には「大師御年四十二に当て除厄の為に薬師如来の像を彫刻し」とあり、江戸時代の中期には弘法大師信仰の広がりとともに、薬王寺が厄除け祈願所として認識されていたことがわかります。
寛政12年(1800)の「四国遍禮(へんろ)名所図会」の図版「薬王寺」には、本堂に至る参道上に2つ石階段が描かれ、本文には「四十三石壇」とあります。数が42段でなく43段で異なりますが、現在の男厄坂のことを表しているものと推察されます。33段の石段や賽銭については言及されていません。
明治44年(1911)の三好廣太『四國霊場案内記』には、「本堂に登る四十二と三十三の石壇は男女の大厄年にかたどり末世の衆生に詣る迄に厄難をはらはしめんとの御聖意です」とあり、明治後期には男女の大厄を意味する42段と33段の石段が紹介されています。
昭和9年(1934)の安達忠一『同行二人 四国遍路たより』によると、「下に三十二段の女厄坂と上に四十二段の男厄坂がありまして、その石段の下には薬師本願経を一字一石にして一千部納めてあり、旧正月十一、二日は厄年の参詣者が多く、厄坂の一段毎に一文ずつ賽銭を上げて行く慣があります。」とあり、旧正月11・12日に厄年の参詣者が多く、厄坂の一段ごとに賽銭をあげる習俗が戦前から行われていたことが確認できます。
次に薬王寺の特徴について見てみましょう。
大正7年(1918)に四国遍路を行った時の体験をもとに昭和13年(1938)に刊行された、高群逸枝の『お遍路』には「一寸城郭を思はせる建築で、遠目に白く輝いている。石垣や石段で出来た寺である。」とあります。
昭和5年(1930)の島浪男(飯島實)『札所と名所 四國遍路』には「寺は山の麓に高く石垣を築いて境内としている。石段も御影石の立派な石段、建物もまあ壮麗といふ方だ。(中略)ところで、ここに面白いのは、文治(1185~1190年)の火災の時の事、本尊薬師如来の像は光を発して自ら飛び、寺西の玉厨子山に難を避けた。其後後鳥羽天皇は此寺を再建し給ふに及び、新たに薬師像を作つて供養遊ばされたところ、曩(さき)に飛び去つた薬師如来の像は紫雲に乗じて再び此の寺に還り厨子の中に入つたとの事だ。で、今は本尊二體あり、火事に遁(に)げた方を俗に後向薬師と言ふそうだ。」とあります。
薬王寺は石垣や厄坂などの石段が多いことから札所寺院というより城郭のような景観であること、本尊の薬師如来は2躰安置され、再び厨子に還ってきた元の薬師を「後向薬師(うしろむきやくし)」と称し、参拝者は2躰の本尊薬師如来にそれぞれ参拝していたことが読み取れます。
最後に、戦前の薬王寺とその周辺を撮影した古写真を紹介します。
昭和9年(1934)の『四国霊蹟写真大観』(当館蔵)には、「厄除薬師 薬王寺本堂」「四十二の男厄段」「三十三の女厄段」「第二十三番薬王寺全景」「薬王寺境内より日和佐港を望む」などの写真が掲載されています(写真③)。

戦前の薬王寺参拝記念絵葉書「阿波国日和佐町四国第二十三番霊場薬王寺全景(厄除根本祈願所)」(写真④、個人蔵)には、入口となる仁王門、山の麓に石垣を高く築き、絵馬堂、鐘楼、医王殿などがある境内中段部に登る石階段(女厄坂)が確認できます。写真上見えにくいですが、本堂や大師堂がある境内上段部に登る石階段(男厄坂)が存在します。なお、現在の薬王寺境内の最上部にある瑜祇塔は昭和38年(1963)に建立されているため、戦前の境内には瑜祇塔や還暦厄坂は存在しません。

四国霊場の中でも厄除け祈願所としての特色をもつ薬王寺は、遍路に限らず多くの参拝者が訪れています。四国霊場と弘法大師による厄除け信仰の関係については、改めて紹介したいと思います。











































