ミゼットがやってきた

7月 10日 日曜日

展示作業が続くある一日。博物館のトラックヤードにミゼットが到着しました。

ミゼットは車載車で運搬。長い搬入路を通って、ゆっくりと企画展示室に進んでいきます。

そして、お菓子のホウロウ看板がかかる建物の横に無事に設置。さすがの存在感。展示室がにわかに昭和色が強い空間に変わります。

昭和30年代はまだ通りには自家用車が少なく、ミゼットをはじめとするオート三輪を多く見かけました。松山市内の乗用車の数として、昭和36(1961)年に1104台という記録がありますが、世帯数でいうと57世帯に1台の割合になり、自家用車がまだ高嶺の花だったことがうかがえます。昭和30年代は、荷物をのせて走る働く車、オート三輪の時代だったともいえそうです。今回の展示室のようなお店屋さんの隣にオート三輪がとまっているのは、昭和30年代にふさわしい情景だったことになります。

写真は松山市の御宝交差点付近を走るオート三輪。昭和33年、山内一郎氏撮影。

特別展「昭和子ども図鑑」の展示作業

7月 8日 金曜日

史料を企画展示室に運びいれて、さあいよいよ展示作業が始まります。

この高い所に取り付けようとしている大きな看板も史料。今回史料をお借りした大阪の菓子卸売業最大手の株式会社山星屋さんが所蔵されているお菓子史料は3万点を超える膨大なもの。ありとあらゆるお菓子に関する史料が揃っていますが、その中でも大型なものの一つ。慎重に作業を進めます。

前回紹介した障子が入っている不思議な建物が、次々とお菓子のホウロウ看板で飾られていきます。この建物がどうなるのか、だんだん見えてきたように思います。

企画展示室の一番いい場所に不二家のアイドル、ペコちゃんを設置します。少しずつ展示室ができあがっていきます。

特別展「昭和子ども図鑑」の設営作業

7月 7日 木曜日

いよいよ7月に入りました。夏休みまであともう少し。博物館でも6月の終わりから夏の特別展「昭和子ども図鑑」の設営作業に入りました。

障子が入っている不思議な建物がたてられています。

こちらもなぜか吹き抜けの空間ができていってます。これらは何なのでしょうか?
それはおいおい紹介したいと思います。

今回のイメージカラーは水色。なぜ水色と聞かれても困りますが、強いていうと、涼しそうだから。水色の壁紙がどんどん貼られていき、展示室が水色で染まっていきます。さあこの水色のキャンバスにどのような展示が描かれるのでしょうか。これからいよいよ展示作業に入ります。

ハイトリックについて

7月 1日 金曜日

 博物館では、愛媛の歴史や民俗、考古に関するお問い合わせも多くいただきます。 

 そのうち、5月15日のブログでご紹介しました「ハイトリック」について、続けて2件のお問い合わせをいただきました。

 暑くなり、ハエも増える季節柄、興味をおもちの方も多いのかもしれませんので、もう少し詳しくご紹介いたします。

 

まずは、ハイトリックの中央にある木のふたを開けると

このような構造になっています。

指差している部分が、木製の四角いローラーで、ここに砂糖水や油などを塗ります。

この部分がゆっくりと回り、甘いエサにひかれて止まったハエは内部に入り込みます。

ハエがこの穴に入ってしまうと

金網のカゴから出られなくなります。

カゴの入り口は広く奥のほうが小さくなっているのがおわかりでしょうか。

このように、ハエの入ったカゴ部分はとりはずすことができます。

 本体の左側にある穴に部品を差込み、ゼンマイをまわしたようですが、本資料には部品はありません。

 ちなみにこのハイトリック、当時の価格はどれほどだったのでしょうか?

 大正4年の「自働蠅捕器」(形がハイトリックと似ています)の広告によれば、2円80銭とあります。

『値段史年表』によると、当時の物の値段として以下のようなものがあげられています

 ランドセル               2円(大正13年)

 週刊誌「週刊朝日」     12銭(大正13年)

 タバコ「ゴールデンバット」 7銭(大正14年)

 国家公務員の初任給    70円(大正7年)

 巡査の初任給        18円(大正7年)

 単純に今の価格と比較することはできませんが、それでも高価であったことは間違いありません。

 当時はハイテクな機械だった「ハイトリック」は、民俗展示室2で見ることができます。ご来館お待ちしております。

参考資料

朝日新聞社、1988、『値段史年表』

林丈二、1998、『型録・ちょっと昔の生活雑貨』

岐阜新聞社、2002、『ちょっと昔の・・・』

歴史文化体験「よろいかぶとを着てみよう!」

6月 12日 日曜日

6月12日には、昨年度子ども安心基金を活用し整備した「よろいかぶと」を着ることができる体験イベントを実施しました。

 

昨年度整備したよろいかぶとは3種類。小学生用、5才用、3才用ですが、今日はちょうどこのよろいのサイズにぴったりの3兄弟が体験しました。兄弟で着て写真にのこしておくと、博物館に来たいい記念になると思いますよ。

 

もう1枚は5歳と3歳用のよろいを来た姉妹。よろいは女の子が着てもりりしく、かわいらしく見えます。

「よろいかぶとを着てみよう!」をはじめとする歴史文化体験は月に1回、実施しています。次回は7月17日(日)の13時から15時までで、「綿から糸づくり」が体験できるようになっています。不定期に実施していますが、見かけたらどしどしご参加ください。

へんろ道を歩く~柏坂越え~

6月 9日 木曜日

へんろ道「柏坂」を歩きました。

柏坂は宇和海に面した柏集落から大師峰(標高502m)を横断し、宇和島市津島町大門までの峠越えの山道です。旧遍路道として、また、戦後まもない頃までは地域の生活道路として利用されました。

スタート地点の柏集落。柏橋のたもとに中務茂兵衛が明治34年に遍路184度目に建てた道標があります(写真(1))。

写真(1)

刻字に「舟のりば」とあるので、柏坂を通らず舟を利用した遍路もいたのかもしれません。ちなみに茂兵衛は江戸末期から大正期にかけて歩き遍路で280度という驚異的な記録をあげた「へんろの達人」です。

柏川を上流に向かって歩くと、「坂上二十一丁 よこ八丁 下三十六丁」と刻まれた自然石の道標(写真(2))があります。

写真(2)

柏坂は上り約2289m、平ら約872m、下り約3924m。最初に柏集落(海抜10m)から峠付近の展望台(標高480m)までの区間を急ピッチで上り、峠付近からは尾根道を進み、ゆるやかに長く下っていく柏坂のコースの特色がよくわかります。

いよいよ柏坂越えの入口(写真(3))に到着。ここから急な山道をどんどん上っていきます。

写真(3)

途中、遍路墓と思われる小さなお墓や炭焼き小屋がありました。また、コース上には昭和12(1937)年に柏に滞在した野口雨情が柏坂の美しい風光や厳しい坂道を詠んだ句碑がいろいろあり、疲れを癒してくれます。息切れしながらようやく柳水大師(標高350m、写真(4))に到着。

写真(4)

弘法大師が柳の杖をつくと水が湧き出た伝説があります。傍らには小さなお堂の中に弘法大師像が安置され、その台座によると、明治25年に中務茂兵衛が発願主となって奉納されたことがわかります。茂兵衛さんは道標以外にもいろんなことで遍路に貢献されています。一息ついた後、さらに上っていくと清水大師(写真(5))に到着。

写真(5)

小さな祠の脇に大師水がありました。ここは結核の病に利くと伝えられています。さらに上っていくとやっとゆるやかな尾根道になりました。道沿いに石垣や、石畳みが築かれている。「ゴメン木戸」(写真(6))いう場所の案内板によると、この付近は昭和20年代まで大草原で、明治期には放牧が行われ、放牧した津島の牛が南宇和郡内に入るのを防ぐために頂上に向けて石畳が築かれたとありました。

写真(6)

山の遍路道で牛の放牧・・・意外でした。

お遍路さんに接待した場所であった接待松(ねぜり松)に到着。現在は松の株と石仏がのこっているが、昔、足の不自由で箱車に乗っていた遍路がここで足の病が治ったという霊験談が伝わっています。その後、ようやく「つわな奥展望台」(標高480m)に到着。展望台というと案外、樹木が生い茂り見晴らしが効かない場所が多いなか、ここの展望台からの景色は素晴らしい。眼下に由良半島が広がり、天気が良ければはるか遠くに九州地方も臨めます(写真(7))。まさに「絶景かな絶景かな」の境地でした。

写真(7)

展望台からゆるやかな下り道となり、途中、イノシシのヌタ場、女兵さん思案石、思案坂、狸の尾曲がり、鼻欠けオウマの墓、馬の背駄馬など、地形的におもしろい所や、地元のトッポ話(民話)などの伝承に因んだスポットがたくさんあります。私が特に気に入ったのは、馬の背中のように両サイドが急な坂となっている馬の背駄馬(写真(8))です。なかなかうまく言い得ていますね。

写真(8)

さらに峠道を下っていくと民家に到着。近くには茶堂大師があります。そこから小祝川に沿って下ります。津島方面からの峠の登り口には下部が埋もれているが武田徳右衛門風の道標(写真(9))がありました。

写真(9)

小祝集落から宇和島市津島町大門に到着。さらに、芳原川沿いを進み、岩松まで歩きました。

今回歩いた柏坂越えの旧へんろ道(地図参照・赤印)は、地元の人たちを中心にとても整備されており、想像していたよりも歩きやすかったです。また、次から次へといろんなスポットがあり変化に冨み、歩きながら地元の歴史や民俗を学ぶことができます。また、内海支所でいただいた内海中学校の生徒さんが作成した遍路道マップ「柏坂越えのみち」はとても分かり易くて大変役立ちました。

※地図は愛媛県生涯学習センター発行『伊予の遍路道』平成14年を参考に加工。

博物館でお香をたいてみよう

6月 8日 水曜日

  6月4日に体験講座「はじめての香道-お香をたいてみよう-」が行われました。

 定員が20名のところなんと39名の参加申し込みを頂きまして、抽選の結果、23名の強運の方にご参加いただきました。

 

 はじめに、今回の講師である橋本典子先生にお道具の説明をしてもらいます。

 

  

はじめは「灰づくり」です。熱源である炭団(たどん)をいれずに、まずは練習をしました。

火箸のような「火筋(こじ)」を使って灰を中心にかきあげ、低い円錐状の山をつくります。

そして山の表面を、ヘラのような形をした灰押(はいおし)でならします。

灰押の角度や力加減が大切になります。

空気を入れてふんわりとした灰を固めないように注意が必要です。

ならした灰の表面に、一本の火筋で箸目(はしめ)をつけます。

鳥のくちばしのような形の「聞き口」をつくり、この部分が正面となります。

練習を何度か繰り返したあと、炭団を入れて本番です。

練習した甲斐があって、みなさんきれいな灰山ができました。

火筋一本で灰山の中心に火窓をあけます。

そうすると灰に埋まった炭団から熱がのぼってきます。

手をかざして火加減を確かめましょう。

火窓があいたらその上に、銀葉(ぎんよう)をのせます。

銀葉とは薄い雲母に銀線で縁取りがされており、この上に香木をのせて香を聞きます。

炭団からの熱が銀葉に伝わり、香木があたためられて、香りがたちのぼります。

今回は沈香(じんこう)と白檀(びゃくだん)の香木を聞きました。

「香りとともに温かい空気が体に入り、とても心地よかった」

と参加者の方は、香を全身で楽しまれたようです。

ほかの香炉と聞き比べると、同じ香木でも火加減や部位によって香りが全く違うことがわかります。

「スパイシー?」

「甘い香り?」

香りを表現する言葉にも四苦八苦しながら、皆さん香りを聞いておられました。

最後に先生が持参された香木、「伽羅(きゃら)」と「羅国(らこく)」を順番に聞いてみました。

みなさん、香を聞く姿勢も決まっています。

香りを楽しむため空調を止めていたことと、皆さんの熱気で文字通り「アツイ」2時間でした。

「香りもさることながら、香を聞くまでの作業でまず無心になることができ、とても大切なプロセスだと感じました」

と参加者の方のご感想です。

 今回の講座は大変好評を頂きましたので、今年度後期もまた「お香」をテーマにした講座を企画しております。

 どうぞお楽しみに!

 

赤ちゃんと一緒に博物館

6月 3日 金曜日

ハイハイやヨチヨチの赤ちゃんを子育て中のお父さん、お母さん、梅雨の季節や暑い夏に、どこで遊ばせたらいいかしら、とお悩みではないですか?

そんな時、ぜひ選択肢の一つに愛媛県歴史文化博物館を加えてください!

雨の日も屋根があるのでバッチリ。暑い季節も館内は空調がきいています。

広い駐車場がありますので、車で来館できます。

館内では貸し出し用のベビーカー(10台)を用意しています。ご利用になる際は総合案内にお声をかけてください。

オムツ替えの台は二階の女性用トイレと一階のこども歴史館(土日祝日に開館しています)にありますので、こちらでオムツを替えることができます。

 

トイレにはベビーキーパーは設置していないのですが、車椅子用のトイレにはベビーカーと一緒に入っていただけます。

エントランスに入ってすぐ左に、授乳室があります。

中には滑り台やブランコ、絵本やおもちゃも用意してあります。

 体験学習室は無料ゾーンにあり、靴を脱いで遊ぶことができますので、ねんねの赤ちゃんも大丈夫!

 常設展示室は小中学生のお子様は無料でお入りいただけます。

 今日は実際に、八幡浜の子育てサークルさんのご利用の様子を密着リポートです。

 1歳~2歳の子供さんたち、6組が来館されました!

展示室では飲食をご遠慮いただいているので、水分補給してからいざ、展示室へ。

 

「時の迷路」展では大きな迷路に大喜びの子どもたち。

「おさかな、じゃぶーん」

「ちょうちょ」

と指差して教えてくれます。

「お母さん、もっとゆっくり見たいんやけど~」

と、展示室に笑い声が響きます。

チャレンジ・ザ・迷路にだって挑戦です。

入り口では少し怖かったけれど、お母さんと手を握れば大丈夫。

たくさん遊んだ後は、レストランでお昼ごはんを食べましょう。

子ども用の食器や椅子もありますよ。

でも、食べる前にはちゃんと手を洗いましょうね。

レストラン内に洗面台もあるので、遠くまでいかなくても大丈夫です。

みんなで楽しくお昼ご飯を食べたら、今度はどこで遊びましょうか?

常設展示室だって広いですよ。

れきはくでは、小さい子どもさんも安心して一日楽しく遊ぶことが出来ます。

赤ちゃんと一緒に博物館デビュー、いかがでしょうか?

ご来館お待ちしております。

文書展示室「伊予の災害展」のお知らせ

5月 17日 火曜日

○「伊予の災害展」

1 開催期間  平成23年4月28日(木)~平成23年6月17日(金)  

2 会  場  愛媛県歴史文化博物館 文書展示室

3 内  容  収蔵資料を中心として、近世から近現代にかけて、伊予の災害に関する文書を紹介します。江戸時代における伊予の大地震は、慶長9(1604)年から安政4(1857)年まで、合計9回発生しました。道後温泉の湯がたびたび止まり、中でも安政元(嘉永7)(1854)年に発生した大地震は被害が大きく、宇和海沿岸では津波が発生しました。近代においては、関東大震災が大正12(1923)年に発生し、愛媛県出身者も被災しました。その時に消息や被災状況を伝える電報や葉書が愛媛県の家族へ送られました。現代では、昭和21(1946)年の南海大地震が発生し、県内にも大きな被害が出ました。いつの時代においても、災害後の復興では、人々が団結し、協力することによって立ち直って来ました。伊予における災害から復興、そして現在における防災の様子を紹介します。

 4 主な展示資料

(1)火事装束 (江戸時代 当館蔵)

 寛政11(1799)7月に大洲城下町で火災が発生し、大半を焼失しました。火災後の復興にあたった大洲藩10代藩主加藤泰済(大洲藩第6代藩主加藤泰衑(やすみち)の5男)が所用した火事装束です。通常、大名の火事装束は、頭巾・羽織・胸当て・石帯・袴で構成されていました。しかしながら、この火事装束の形態は、戦場と同様に動きやすい具足に工夫されています。木地は燃え移りにくい麻を使用し、銅には金属の板が包まれ、胴・篭手・脛当てなどの各部分の縁取りや紐には鹿革が使用されています。当時の消火活動は、建物を打ち壊して防火につとめました。そのため、実用的な変わり具足となっています。

 

(2)安政南海地震の記録(個人蔵・当館寄託)

 安政元(嘉永7)(1854)年11月5日に発生した安政南海大地震について、出海村(現大洲市)庄屋兵頭喜平太が記した記録。郡中町(現伊予市)では、家屋の倒壊によってけが人40人、死者20人が出ました。他にも宮内村・雨井村・楠濱村(現八幡浜市保内町)では、三島神社のふもとまで津波が押し寄せて、田んぼの中まで大船が打ち上げられる被害が出ました。土佐藩宿毛町(現高知県宿毛市)では、津波で町が流されて「無限の」死者が出ました。津波は、「引き際が最もおそろしき事」と特記しています。

(3)関東大震災の被災者が愛媛県の家族に無事を知らせた電報(個人蔵・当館寄託)

「イエ ヤケタ ミナ ブジ(家焼けた 皆 無事)」

「時の迷路」展 入場者1万人突破!

現在、愛媛県歴史文化博物館で開催中の
特別展「時の迷路―香川元太郎のフシギな世界―」。
5月13日(金)に、入場者が1万人を突破しました。
ご来場いただきましたお客様、ありがとうございました。

さて、会期が後半に入りました。
今回の展示は、もう一度見てみたいという子どもさんが多く、
リピーターのお客様向けに、展示内容を変更しました。

かくし絵クイズが展示室内にありますが、それをすべて一新しました。
しかも難易度を少し高くしました。
 
次にAに進むか、Bに進むかは、この問題に正解しないといけません。
一度訪れた方も、もう一回チャレンジしてみてください。
会期は6月12日(日)までとなっています。

なお、5月22日(日)13:30からは、子ども向けの解説講座
「香川元太郎さんの迷路に学ぶ日本の歴史」があります。
香川元太郎さんの歴史迷路をスライドショーで上映しながら、
迷路を解いたり、かくし絵をさがしたりしながら、
そこに描かれた時代について学芸員がわかりやすく解説します。
参加費は無料です。(当日受付も可能です。)