テーマ展資料紹介(2) 鰯漁の道具

1月 12日 土曜日

テーマ展資料紹介(2) 鰯漁の道具 

テーマ展「宇和海と段畑のくらし―海と「そら」の恵み―」に展示中の資料の紹介です。

「西国一の鰯漁場」といわれた宇和海。
今回は、宇和海の鰯漁で使われた道具を紹介します。


ザイ 西予市明浜歴史民俗資料館蔵
海岸の高い所や船上から、村君(むらぎみ)が魚の群れの動きや泳ぐ方向を知らせる道具です。
75cmの泉貨紙を折り結んであり、2本1組で、1本ずつ両手に持って使います。
「漁業旧慣(きゅうかん)調」の「鰯網曳(ひき)之図」にも、陸と船上の双方で、村君がザイを持って指図する様子が描かれています。テーマ展資料紹介(1)に掲載していますので、あわせてご覧下さい。


綿の鰯刺網(写真中央の白い網) 西予市明浜歴史民俗資料館蔵
昔は、綿でできた網を使っていました。写真の網はまだ染めていない状態ですが、使う時は、柿渋で染め、アバ(浮き)や、イワ(おもし)など部品をつけて仕上げました。
綿の網は、使った後は天日に干さないといけないので、漁から帰ってきてもその仕事がありました。

テーマ展資料紹介(1)描かれた鰯漁(いわしりょう)

1月 9日 水曜日

現在開催中の「宇和海と段畑のくらし―海と「そら」の恵み―」(~2/4)。もう、ご覧いただけましたか?
ここでは、展示中の資料をシリーズで紹介します。
とても身近だけどあまり知らなかった「宇和海」と「段畑」。資料からは、「宇和海」と「段畑」に生きてきた人々の日々や、その移り変わり、仕事に懸ける想いなどがうかがえます。


『漁業旧慣調』/明治初期/愛媛県立図書館 蔵
『漁業旧慣調』は、明治初期に編纂されました。当時の網代(あじろ)図や漁法、漁具などが描かれ、説明が添えられた貴重な資料です。
ここでは、鰯漁の様子が描かれています。宇和海は「西国一の鰯漁場」といわれており、砂浜が少ないため、沖合いで操業する船曳(ひ)き網で鰯を捕りました。江戸時代から、このような方法で漁が行われていたと思われます。
 「漁業旧慣調」に記録された鰯船曳き漁の様子を見てみましょう。

 夏が好季節。船6艘で行う。


海のよく見はらせる山の上にムラギミ(村君)が登り、魚の群れを発見したら海上の手船方に合図する。

手船
手船方ではムラギミの合図を受けて網使いを指揮する。

真網
真網

逆網
網船はマアミ(真網)*船、サカアミ(逆網)*船の2艘で長さは7尋(10.5m)。網船2艘が網を入れながら魚群を取り囲み、海岸へひきつける。船を海岸に固定し、徐々に網を引き寄せる。

前狩
このとき、マエガリ(前狩)2艘が、網船の間から魚が逃げようとするのを、割木(わりき)に苧縄(おなわ)をつけたものを何回も海中に投げて驚かし、逃げないようにする。


網底が潮に流されないように、小船が1艘底網のほうに漕ぎ出し、錨(いかり)を入れて流れないようにする。

一帖(一つの船団)に、何艘もの大きさの違う船があり、それぞれに役割を持って漁をしていたことがわかります。
船曳き網で獲った鰯は、干鰯(ほしか)にして、船で大坂などへ運ばれ、畑の肥料として使われました。宇和島藩・吉田藩の重要な物産品でした。
このような鰯漁に従事する人々が宇和海沿岸に住み、自給自足のために開墾していったのが段畑と考えられています。

*真網(まあみ)・・・網を左舷につけ魚群に対し反時計回りに廻って囲う船。
*逆網(さかあみ)・・・網を右舷につけ魚群に対し時計回りに廻って囲う船。

テーマ展「宇和海と段畑のくらし」が開幕しました。

12月 15日 土曜日

宇和海と段畑のくらし

テーマ展「宇和海と段畑のくらし-海と「そら」の恵み-」は、本日開幕しました。

職員一同、みなさまのご来館を心よりお待ちしております。

もういくつ寝るとお正月

12月 6日 木曜日

今年もあと一ヶ月を切りました。お正月ももうすぐですね。
博物館でもお正月の準備を始めています。
民俗展示室2では、お正月料理が登場しました!

民俗展示室には実物大の復元家屋があり、季節に合わせて料理や、部屋の道具を替えています。
先日、秋の食事からお正月料理の食事へ展示替えをしました。
まずは海のいえ。

ちゃぶ台の上のお雑煮には、海の幸であるフグが具に入っています。
次は里のいえ。

普段は箱膳にのせる食事ですが、お正月にはのりきらないほどのご馳走が並びます。
最後は山のいえ。

囲炉裏を囲んでのお正月料理です。煮物や酢の物など大皿の料理をみんなで仲良く分けて食べたのでしょうか?

海・里・山のそれぞれの土地柄を活かしたお正月料理ですが、共通しているのは、白いご飯です。普段は麦を混ぜたご飯を食べているのですが、お正月など特別な時にだけ白いご飯を食べることができました。

お正月料理は、展示期間が短いことから、ある意味「レア」な展示と言えます。おうちで食べるおせち料理とどこが同じか、どこが違うのか、ぜひ、見にいらしてください。年末年始には、れきはくでお正月気分を盛り上げにきませんか?

戦国展資料紹介 中世の甕棺墓

12月 1日 土曜日

 甕棺墓(かめかんぼ)は、北部九州の弥生時代の甕棺墓がよく知られていますが、実は中世にも甕棺墓あります。現在、戦国展では、八幡浜市日土から偶然見つかった中世の甕棺墓を紹介しています。
 平成6年に道路建設の際に偶然、標高約20mを測る丘陵斜面から大甕が二基発見されました。中から人骨が出土したことから、お墓ということがわかりました。大甕はともに現在の岡山県備前市で生産されたものでした。

ウラショウジ1
 棺おけに使われた備前焼(八幡浜市教育委員会蔵・当館保管)

 上の写真は1号墓で、高さ約80cmを測る大甕で、口縁部には凹線、肩部にはヘラ記号がみられます。製作年代は16世紀前葉から中葉のものと考えられます。甕の中には熟年男性の人骨と脇差が埋葬されていました。脇差の銅鐔には、丸刀のような工具で両面に唐草と菊花文様が刻まれています。

ウラショウジ2
 棺おけに使われた備前焼(八幡浜市教育委員会蔵・当館保管)
 2号墓は1号墓から東へ0.5mほど離れた場所から発見されました。写真は2号墓の大甕で、高さは約70cmを測り、口縁部は長めの玉縁をもちます。製作年代は、15世紀末から16世紀初頭のものと考えられます。甕の中には女性の人骨と短刀一振、土師質土器皿二枚が埋葬されていました。死者のゆかりの品々が副葬されたのかもしれません。
 備前焼の年代から2号墓が先に埋葬されたことが考えられます。水や穀物を貯蔵する大甕を棺桶として用いた、16世紀代の夫婦の墓として貴重な事例といえます。
 ぜひ展示室で甕の大きさを実感してみてください。

戦国展資料紹介 出土した武器・武具

11月 28日 水曜日

 戦国時代にはどんな武器や武具が使われていたのでしょうか?
 今回は、出土品からみてみましょう。本来使われていた革や木製品は腐ってなくなってしまっています。遺跡からは、鉄や銅などの金属でできたものが見つかっています。金属製品はリサイクルが可能なため、多くは回収されたものと考えられます。残されている遺物はほんの一部なのです。

湯築城跡
 湯築城跡出土鉄鏃(愛媛県教育委員会蔵)

 たくさんの種類が見つかっているのは松山市湯築城跡です。武器では鏃、薙刀の部品、小刀、小柄、笄、刀の装飾品などがあります。武具には鎧を構成する小札や金具が見つかっています。本小札と上端部が特徴の伊予札が見られます。今治市見近島城跡からも多数の鉄鏃や小札が出土しています。

見近島城跡
         見近島城跡出土小札(今治市教育委員会蔵)

 松野町河後森城跡や大洲市大洲城跡では、新しい武器である鉛製の鉄砲玉が出土しています。等妙寺旧境内跡では慶長期以前とされる鉄砲の部品も見つかっています。

旧等妙寺跡
 等妙寺旧境内跡出土鉄砲部品(鬼北町教育委員会蔵)

 また、松山市道後町遺跡では、赤漆で固められた鎧の小札や、鞐も見つかっています。今治市姫内城出土の小札は、建物の南東隅の柱穴内に3枚が布に包まれて埋められていた様子がわかりました。建物は来島海峡を見下ろすことのできる場所に所在します。中世の人々がなんらかの意図を込めて、辰巳の方角に埋納したのでしょうか?

 戦国展では、愛媛県内の中世の遺跡から出土した鉄製品の武器、武具を展示しています。今は錆びて茶色や緑色になっていますが、かつては金属光を放った現役の道具だったことに思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

「愛媛ゆかり日本デザインの先駆者たち」展について

11月 25日 日曜日

 松山市道後にあるセキ美術館では、開館10周年を記念して4回にわたり「愛媛・感動の美術家たち」をテーマに展示が行われていますが、現在はその第三期展として、「愛媛ゆかり日本デザインの先駆者たち」展が開催されています。会場には、日本のデザインの基礎を築いた愛媛出身の4人、杉浦非水、高畠華宵、柳瀬正夢、真鍋博が制作したポスター、挿絵、表紙絵、装丁図書などが一堂に展示されています。この4人の作家がいずれも愛媛県出身ということは案外知らなかったという方も多いのかもしれませんが、今回の展示では4人のデザインがまとめて楽しめるものとなっています。

 また、4人以外にも、戦前戦後の愛媛の地域で活躍したデザイナーとして、7人の人物が3階展示室に取り上げられています。その中の永井刀専について、当館から資料を出品しています。刀専はハンコ屋さんでありながら、デザイナーでもあったちょっと変わり種の人物で、愛媛の新聞草創期に『海南新聞』『愛媛新報』に題字や商品広告のデサインなどを提供しています。刀専のデザイナーとしての仕事のうち、展示では昭和初期の松山の風情ある情景を絵葉書サイズの木版画に仕上げた刀専版画、企業やお店がつくった記念スタンプのデザインが紹介されています。とりわけ、最も多く制作された道後温泉の刀専版画が、地元で展示されることには感慨深いものがあります。なお、セキ美術館発行の展示図録には、井上淳「職人デザイナー 永井刀専」を掲載しています。あわせてご覧いただけたら幸いです。

 展示は12月2日まで。月、火曜日は休館。入館料大人500円、大、高校生400円、小中学生300円。
詳しいお問い合わせ:
セキ美術館
電話089-946-5678

※下の写真は刀専版画のうち、道後温泉シリーズの一枚。刀専にとって道後温泉はホームグランドで、毎日のように通い、たくさんのスケッチを残しています。そうしたスケッチをもとに、道後温泉の一瞬の空気までも切り取った版画作品がつくられていきました。
刀専版画 道後温泉

戦国展資料紹介 食事の風景(3)

11月 24日 土曜日

酒飯論絵巻酒飯論絵巻(当館蔵)
 では酒飯論絵巻の最後の場面を紹介しましょう。これは、飯も酒も両方とも好き(中戸)という人の食事場面です。
 畳敷きの間で食事と酒が出されています。白木の3つの折敷にのせて、漆塗りの器に酒と料理が盛られています。床の間には花台の上に中国青磁の花瓶一対が置かれ、その後ろには、掛軸が一対掛けられています。左側には、屏風が置かれているようです。当時の武家の食事風景と考えられます。

酒飯論絵2
 中戸の台所の様子です。上戸、下戸の場面ではみられなかった、肉や魚など、生臭い食材がみられます。魚や貝、海老、鳥などたくさんの食材が描かれています。
 板敷きの台所に座って調理しています。足付の俎板の上で庖丁と長い箸を用いて魚や鳥を調理している姿がみられます。これは食材に手を触れない当時の料理作法にのっとって行われています。囲炉裏では、五徳の上に鍋を載せて、鍋料理が作られています。貝の柄杓で椀に取り分けているようすがみられます。縁側では、鳥の内臓を取り出している姿がみられ、下準備が行われている様子がうかがえます。
 このように絵巻に描かれている道具などを見ていくと、当時の道具の使い方をうかがい知ることができます。
 これまで、三つの食事風景をみてきましたが、あなたはどの食事スタイルがお好みですか?現在、今回紹介した中戸の場面を公開しています。戦国展も残りあと一週間あまりになりました。ぜひ会場で酒飯論絵巻の世界をお楽しみください。

戦国展情報 歴博に野間馬がやってきた!

11月 18日 日曜日

野間馬1

 本日11月18日日曜日、約100km離れた今治から、野間馬たち3頭がはるばる歴史文化博物館にやってきてくれました。開館記念及び戦国展イベントとして、「野間馬に乗ってみよう」を実施いたしました。馬に乗って、陣羽織や烏帽子をかぶって戦国武将を体験してみようという企画です。玄関前のロータリーが特設馬場になりました。
 野間馬は日本古来の馬の種類である在来馬ですが、肩までの大きさが110cm~130cmという在来馬の中でも小柄な種類です。小さいけれど丈夫で力持ちで小回りが利くので、かつては山の仕事で活躍していました。きっと戦国期でも山間部の多い南予で活躍していた馬は、小柄で丈夫な馬たちが活躍していたことでしょう。
野間馬2
         騎馬武者いざ出陣!
 
天候は時折小雨が降るという大変寒い中でしたが、お昼すぎには太陽も出てきました。
野間馬のあいちゃん、えひめちゃん、みやびちゃんの3頭は大変愛くるしく、とことこと小さなひづめで力強くみんなを乗せてくれました。最初は怖がっていた子も、馬から下りたときには笑顔になっていました。大変好評で、なかには何度も乗馬する子もいました。愛くるしい瞳の野間馬はみんなの心を癒してくれました。

野間馬3
野間馬のえひめちゃん

 野間馬のあいちゃん、えひめちゃん、みやびちゃん、そして野間馬ハイランドのスタッフの皆様、楽しい時間を過ごさせてくださってありがとうございました。

祝!等妙寺旧境内が国指定の史跡へ

11月 17日 土曜日

旧等妙寺跡
  等妙寺旧境内出土褐釉龍文壺(かつゆうりゅうもんこ) 鬼北町教育委員会提供

 このたび、鬼北町奈良に所在する等妙寺旧境内が、国の史跡として指定されることが答申されました。決定すれば、宇和島城や河後森城跡や湯築城跡などとともに、十一番目の国指定史跡になります。
 等妙寺旧境内は、鬼ヶ城山系に連なる郭公岳(標高1010m)の尾根筋に位置する中世の山岳寺院で、鎌倉期の戒律復興運動のなかで遠国四箇の戒場として定められた天台律宗系寺院です。鬼北町教育委員会により1994年から発掘調査が実施され、14世紀から16世紀末まで機能していたことが明らかになっています。
 現在、当館で開催されている「戦国南予風雲録」展にて、等妙寺旧境内出土の遺物を展示しています。寺院での生活や儀式に使用されたと考えられる中国から輸入された青磁や白磁、青花などの貿易陶磁器が数多く出土しています。なかでも褐釉龍文壺は、中国南部で生産されたと考えられるやきもので、胴部に龍が巻きつき、肩部では耳を形成する六耳壺で、全国でも数少ない出土品として注目されます。ほかに備前焼の水指や天目茶碗などの茶道具、金色に輝く仏具などもあります。
 等妙寺旧境内のさまざまな資料を、愛媛県歴史文化博物館で見ることのできる絶好の機会ですので、ぜひご来場ください。