野間馬(野間馬保存会提供)
野間馬って知っていますか?日本古来の馬の種類である在来馬が、なんと愛媛にいるんですよ。野間馬は在来馬8種類のうちの1種類に認定されています。江戸時代に今治市の乃万地方で飼育されていました。「戦国南予風雲録」展に合わせて、11月18日日曜日、野間馬が歴博にはるばる今治からやってきます。
最近は馬をみかけることは少なくなりましたが、戦国期には、農耕、運搬、そして戦などに大活躍でした。時代劇では脚が長くてスマートな大きな外来種の馬が出演していますが、実際には、背も低く、ずんぐりした体形の在来馬でした。お隣の土佐には、土佐駒という小さな体高の馬が飼育されていて、小さくて脚が丈夫な土佐駒は、山間部が多い土佐で大活躍していたとされていますが、今は絶滅しています。山間部の多い南予でも、こうした小さな馬が活躍していたことでしょう。
このイベントで野間馬に乗れるのは、体重50kg以下の小学生6年生までになりますが、この機会に近寄って野間馬を見てください。側対歩という、側面の前脚と後脚が同時に出る脚の運び方が見られるかもしれません。この走り方は、上下のゆれが少なくなり、馬上で弓を引くのに適していました。
ぜひこの機会に、野間馬に親しんでみてはいかがでしょうか?
皆様のご来館をお待ちしています。
戦国展情報 歴博に野間馬がやってくる!
10月 13日 土曜日学習支援プログラム・平和学習(資料が語る戦時中のくらし)
10月 11日 木曜日
戦後60年以上がたち、実際に兵士として戦場に赴いた人たちは80歳をこえ、空襲を体験した女の人や子どもたちも記憶に残っている人たちは70歳をこえました。こうした戦争体験者たちは、時間とともに減少していきます。戦後世代の私たちと残された時間を如何に過ごすかは重要な問題です。
しかし、戦争体験者との対話は、先方の健康状態等もあり、学校団体にとっては簡単ではありません。そこで、当館に来館される学校団体の中には、当館の実物資料を用いて当時の生活を話してほしいとの依頼が増加してきました。
当館としては、今後益々重要視しなければならない問題として、前もって依頼があれば可能な限り対応しています。先日は、松山市立味生小学校が来館されました。
児童の皆さん120名は、まだ戦争の歴史学習をされてないとのことでしたので、できる限り分かりやすい資料をお見せしました。特に、当時の人々の思いを想像していただこうと思いました。弾よけの思いが込められた千人針、戦地から家族を気遣う軍事郵便、特攻隊員の遺書、真っ赤に染まった戦死者の服、空から次々と落とされた焼夷弾、物資の不足を補うために考えられた代用品の数々。
そして、最後にいつも学校団体の皆さんにお願いしているように「君たちが戦争体験者と向きあえる最後の世代です。ぜひ、身近なお年寄りに当時の話を少しでも聞いてください。」とお伝えしました。今、児童は、戦争体験者にとって、孫からひ孫の世代に移ろうとしています。これを機会に平和と戦争について考える機会になれば幸いです。
戦後生まれの私が、戦中の話をするのはおこがましい話ですが、既にそういった時代になったことをつくづく実感しています。博物館の学芸員として、今まで戦争体験者から聞いた話、見てきた戦跡、調査した成果を忠実に伝えることができればと思っています。
開催中!「戦国南予風雲録」-多田宇都宮宣綱所用と伝わる旗
絹地月星紋陣旗(伝宇都宮宣綱所用)(大安楽寺蔵)
この旗、どこかで目にされた方もいらっしゃるでしょうか。今年の初め頃に何度か新聞掲載もされた旗です。宇和盆地の北端の多田地域、下木城の城主宇都宮宣綱の所用として伝えられてきた陣旗です。
これまで、伝承でのみ語られていましたが、調べてみると実際に戦国末から江戸初期くらいに作成された可能性が高いことが分かってきました。薄い絹地に紅柄を塗布し、反物三幅分の大きな旗の全面に月星の紋様を配するという大胆な意匠。薄く、軽く、大きく、その色合いと大胆さ、また撚りのかけられていない絹糸など、いくつかの要素から戦国末から江戸初期にある程度実用を前提に作られたものではないかと考えられます。月星は武士に好まれた妙見信仰に由来すると考えられます。宇都宮宣綱所用との伝説の真偽は現在定かではありませんが、ちなみに多田宇都宮氏の子孫という地元の庄屋古谷家は月星の家紋を使用しています。また、同寺が祀る多田宇都宮氏の祖・永綱の木像がまとう衣装にも、月星の紋様が描かれています。2470mm×1100mm。
銭壺パズル 新登場!
10月 10日 水曜日 
企画展「戦国南予風雲録」に合わせて、歴博の新たに体験学習資料として、やきものパズルが登場いたしました。今までにない、中世のやきもののパズルです。
モデルは、愛媛県内から出土した室町時代の備前焼の壺で、中には銅銭がいっぱい入っていました。パズルが完成すると、なんと壺の中が光り、なかに永楽通宝がバラと緡銭で入っている様子を見ることができます。

パズルのピースは表面に文様がないので、かなり難易度が高いものになっています。まず下の部分を組み立てていくのがコツです。備前焼の表面の調整もきちんと復元されているので、その特徴をじっくりみながら、上下左右の関係を考えましょう。本物のやきものの破片とは質感は違いますが、ピースはやきものの破片そっくりです。手にとって観察できますので、考古学者の気分になれるのではないでしょうか?このパズルを通して、壺の形や大きさを知っていただければ幸いです。
戦国南予風雲録展の企画展示室の出口のところに設置していますので、ぜひチャレンジしてみてください。
村上節太郎写真20 関前岡村港と除虫菊(昭和11年)
10月 7日 日曜日村上節太郎は今治高等女学校の教諭だった昭和11(1936)年6月15日、関前岡村島(今治市)に渡っている。

1岡村の集落を見下ろす 昭和11年

2岡村の集落を見下ろすの現況 平成19年
写真1は、その時に背後の甲ノ峯から岡村の集落を撮影したもの。港を中心として谷沿いの狭い部分に人家が集中していることが分かる。港には、昭和3年に修築を終えた195mの西防波堤と115mの東防波堤が突き出ており、たくさんのウタセ船や機帆船が停泊している。岡村には大正4(1915)年に小廻船145隻、帆船38隻もあり、昭和20年代には機帆船の全盛期を迎えたというが、その後減少していき現在は港に荷物を運ぶ船の姿はほとんど見かけなくなった(写真2)。
次に甲ノ峯から下りて、海際で岡村の集落を撮影した写真3を紹介する。町並みには大きな蔵や二階建ての商家のような建物が見え、海運業による岡村のにぎわいがうかがえる。また、漁船がたくさんつながれた船着場には、荷物を積み込むことができるように、階段状になった雁木(がんぎ)がある。手前には帽子をかぶった男性が筵の上に何か干しているが、これは除虫菊(じょちゅうぎく)を天日乾燥しているところ。

3岡村の港と家並み 昭和11年

4岡村の港と家並み現況 平成18年 現況写真は節太郎が撮影して約80年後になるが、左隅のモダンな建物がそっくりそのまま残っている。海に向かい埋め立てが進んでいるのも一目瞭然。
ちょうど写真が撮影された頃、瀬戸内海の島々では、温暖な気候を活かして蚊取り線香の原料である除虫菊が栽培され、貴重な現金収入になっていた(写真5)。節太郎は地理学者らしく撮るべきポイントをおさえながら、昭和11年の岡村の姿を的確に記録している。

5岡村の除虫菊 昭和11年
本日開幕! 企画展「戦国南予風雲録」
10月 6日 土曜日
秋の企画展「戦国南予風雲録」が本日開幕しました。会期は12月2日(日)までです。
愛媛の中でも特に南予地域における戦国から安土桃山時代に関する資料を特集し、武将ゆかりの品々や、合戦にまつわる古文書、近年調査が進む中世城館遺跡の遺物をはじめ、当時の人々の生活文化を垣間見ることができる生活・信仰関連の資料も紹介しています。最近新たに発見された資料や、新たにその歴史的重要性が判明した資料なども、この展示の中で紹介しています。
メイン会場
第2会場
重要文化財の「豊臣秀吉画像」の原本も、本日から10月21日(日)までの期間限定で展示しています。
会期中には、様々なイベント、講座も予定しております。詳しくは、当ホームページの「催し物情報」をご覧ください。11月18日(日)は、開館記念イベントの日でもあり、名誉館長講演会や、今治からやってくる野間馬への乗馬体験ができる「野間馬にのってみよう!」も開催します。
エントランスには、写真パネル展示「南予の中世城跡」を設置しています。また武士が身に着けたもので簡易に体験できるアイテムを、自由に着衣体験できるコーナーも設置しております。記念写真にどうでしょう?
エントランス体験コーナー
ロビー展「南予の中世城跡」
戦国という時代から南予を見つめ直すひとつの機会になれば幸いです。皆様ぜひお誘い合わせの上、ご来場ください。
いよいよ明日開幕です!
10月 5日 金曜日
企画展「戦国南予風雲録-乱世を語る南予の名品-」は、いよいよ明日開幕します。
職員一同、みなさまのご来館を心よりお待ちしております。
村上節太郎写真19 今治港の移り変わり
先月のこと、フェリーで今治市関前の岡村島に渡った。フェリーに乗るまでに、今治港で1時間以上の待ち時間があったので、村上節太郎がかつて撮影した今治港付近の現況を見てまわった。節太郎は今治高等女学校教諭をしていたため、昭和10年頃より今治を多く撮影している。

1今治内港 昭和11年

2今治内港の現況 平成16年
写真1は昭和11年に撮影されたもの。内港にはたくさんの人が行き交い、物資が積み上げられ、荷物を運ぶ大八車の姿も見える。当時の今治のにぎわいが伝わってくる一枚である。現況写真の方は、実は今回撮影したものではなく、3年前に撮影したもの。その時には3階建てぐらいの駐車場があって、上の階から写真を撮るとちょうど同じアングルで撮影することができた(写真2)が、久しぶりに今治港に行ってみると、その駐車場も跡形もなくなっていた。
そして、今回は節太郎が昭和37年に撮影した今治港の現況を撮影してみた。写真3の今治港の建物の天辺に付いた「ナショナル洗濯機」の広告塔が、家電時代の到来という昭和30年代の世相を感じさせる。また、港前の広場に停まるボンネットバスが懐かしいという人も多いのではなかろうか。写真4の現在では、内港には島々に渡る渡海船よりもヨットやクルーザーが増えている様子がうかがえる。

3今治港 昭和37年

4今治港の現況 平成19年
写真5は同じく昭和37年に内港の真ん前にあった馬越魚市場を撮影したもの。今治では現在でも魚を扱う店を商店街にたくさん見かけるが、当時はこのように個人経営の魚市場があったのだろう。現在は小売りではなく卸しのようだが、商店として変わらずにある(写真6)。

5馬越魚市場 昭和37年

6馬越魚市場の現況 平成19年
昔のくらし探検隊出発!
10月 4日 木曜日歴史文化博物館で行っている学校団体を対象とした学習支援プログラムをご存知ですか?
当館では、学芸員やボランティアさんと一緒に、展示や資料について理解を深めるプログラムをご用意しています。
(詳しくは当館HPの「学校団体のご利用案内」をご覧ください)
学習支援プログラムの一つに「昔のくらし探検」があります。
昭和の民家を復元した展示室を舞台に、昔のくらしを探検するスペシャルなプログラムです。どこらへんがスペシャルかといいますと、普段は立ち入りできない座敷や囲炉裏に座り、昔の道具を実際に触ることができます。昔の家や道具を実際に見て、触って、昔のくらしを身近に考えてもらうプログラムです。
さて、9月27日には小学4年生の「昔のくらし探検隊」が展示室を探検しました。3つの隊にわかれ、それぞれ隊長といっしょに、「海のいえ」「里のいえ」「山のいえ」を探検します。
今回の探検では、夏の「異界・妖怪大博覧会」で好評を博した妖怪人形が展示室に出没!いずれも、顔や頭などの体の一部が道具で表現されている妖怪です。それは、道具を粗末に扱うと妖怪になってしまうという考えからきています。今回の探検隊では、実際の道具と一緒に見てもらいます

海のいえの前では、釜の妖怪がお出迎え。いえの中に入り、かまどにのった実際の釜も比べて見てもらいます。
昔はどのようにして食事を作っていたのでしょうか。かまどや水まわりの道具をさわってみます。

山のいえでは、佐田岬半島に残された裂織りのソデナシを着てみました。「重い~」「ごわごわしているなあ」という隊員の感想は、いずれも「裂いた布を横糸に使う」という裂織りの技法の特徴を、体で感じとっている証拠です。

今回の探検隊の隊長は当館のボランティアさんでした。実際に使っていた道具など、わかりやすく優しい語り口で、頼れる隊長として探検隊をリードしてくれました。
最後に感想を聞いたとき、
「ぼくの家に昔のどうぐをいっぱいかざったりつかったりしたい。おばあちゃんにきいてみる。」
という感想を書いてくれた隊員がいました。
探検隊をきっかけに、昔のくらしについて興味をもってもらえたのでしょうか。昔のくらしは、今の私たちのくらしに必ずつながっています。ですから、昔のくらしや歴史、文化を紹介した博物館も、現代のくらしとつながっているのです。博物館で体験したことを、おうちに持って帰ってもらえることほど、うれしいことはありません。
「昔のくらし探検隊」は随時隊員募集中です。皆様お待ちしています。
展示予告「戦国南予風雲録」-戦国武将ゆかりの刀剣類-
10月 3日 水曜日南予地域にも武将ゆかりの刀剣類がいくつか伝来しており、今回そのうち7点を展示します。しかもそのうちいくつかは、室町・戦国時代という中世後期の作の可能性があることが、このほどの調査で判明しました。ここでは4点を紹介します。
薙刀 銘 守家(伝岩本将監奉納)(西予市城川歴史民俗資料館蔵)
北之川(西予市城川町)の領主紀氏に仕えた、猿ケ滝城主(大洲市肱川町)岩本将監が、春日神社(西予市城川町)に奉納したと伝わる薙刀。(一説には紀氏自身が奉納したともいう)銘「守家」は、備前の刀工が有名ですが、作風が異なるようで、それとは違うと思われます。反りが少なく先端の膨らみが少ないのは鎌倉~南北朝期によく見られる特徴のようですが、刃文や茎(なかご)の錆色は当時のものではないようにも見えます。これらを考え合わせると、鎌倉~南北朝期に作れらたものを後世に再度鍛え直した可能性もありますが、詳細は不明です。
刀 銘 備州長船祐定 永正十六年吉日(久保家伝来)(個人蔵・当館保管)
滝山城(大洲市長浜町)の城主であった久保氏の子孫のもとに伝わった刀。永正16(1519)年の年記銘が入れられています。銘「祐定」は記録上では多数人存在し、個人銘としてのみでなくある種工房銘のように使用されるようになり、大量生産もされたようです。本資料はどうやら個人銘で作刀した作風というよりは、大量生産的に作り、銘は工房銘として入れたものの部類に属するようです。
短刀 銘 國宗(伝土居清良所用)(宇和島市教育委員会蔵)
土居清良の子孫のもとに伝来した武具類の一つ。清良所用として伝わる短刀。銘「国宗」は各時代・各流派にその名を見ることができ、備前「国宗」や大和宇多派「国宗」が有名だが、それらとは作風が異なるようです。作風から室町末期(戦国末期)作の可能性があるが詳細は定かではありません。
脇差 銘 正宗(伝大野直之所用)(個人蔵)
大野直之所用と伝わる脇差で、喜多郡山鳥坂村庄屋家に伝来しました。「大洲旧記」にも本資料と思われる刀を同村庄屋が所持したことを記しています。伝承では、落延びて最期を迎える際に所持していたものを、山鳥坂村庄屋が代々所持し供養したものといわれています。刀身にはもともと梵字と剣が彫り込まれていたようで、その痕跡を残しています。銘「正宗」は、相模や大和に刀工がいたが、その作例とは異なるようです。
伝承もさることながら、中世にまで遡ると推定される刀剣類が、実はまだ南予には残されていたのですね。
