テーマ展「松山城下図屏風」「没後50年 永井刀専展」オープン

12月 22日 木曜日

  会 期
平成28年12月20日(火)~平成29年1月29日(日)

「松山城下図屏風」は紙本著色の四曲一双の屏風で、縦1m80cm、横6mを超える大画面に、松山城と城下町を西方上空から俯瞰して描かれています。
本テーマ展では、「松山城下図屏風」に加えて、松山城主であった加藤家、蒲生家、久松松平家に関わる資料や松山城の絵図を取り上げ、城下の変遷を辿ります。また、武家屋敷、町屋、寺社を描いた絵図も展示し、屏風の描写と比較することで、「松山城下図屏風」が細部にいたるまで写実性を備えていたことを紹介します。
約300年前にタイムスリップした気分で、「松山城下図屏風」の世界をお楽しみください。

永井刀専(1895~1966)は、松山でハンコ屋を営んでいた人物です。しかし、ハンコだけでなく多彩な分野で活躍しました。今回の展示は、新聞題字・風刺漫画・商業デザイン・刀専版画の4構成からなっています。刀専は、『海南新聞』や『愛媛新報』などの題字、大正から昭和初期における政党の争いを中心とした風刺漫画のほか、土産や名産などの商業デザイン、松山城・道後温泉などの版画を数多く遺しています。
刀専は、髪を結って櫛でとめていたため「ちょんまげの刀専さん」と呼ばれました。「ちょんまげの刀専」は、彫刻刀によって新たなデザインを生み出すとともに、歴史や文化を後世に遺した人物です。ぜひ、刀専の幅広い才能をご覧ください。

文書展示室
刀専の写真と使用していた机

風刺漫画
民衆の火の上で踊る政友会と憲政会
政友会の高橋是清(大正10(1921)~大正14(1925)総裁)と憲政会の加藤高明(大正5(1916)~大正15(1926)総裁)が民衆の熱を感じている。普通選挙の熱であろうか。大正13(1924)年に革新倶楽部の犬養毅と護憲三派が結成され、男子普通選挙法が成立する。

「えひめのまつり」子ども絵画展やってます!

12月 10日 土曜日

12月の歴博は、特別展も閉幕し、紅葉も終わりに近づき、静かなたたずまい。そんな雰囲気を吹き飛ばすような元気な子どもたちの絵が、エントランスホールに飾り付けられました。今日から第8回目となる「えひめのまつり」子ども絵画展が始まっています。


先日、特別賞、優秀賞を決める審査会があったのですが、東は四国中央市から南は愛南町まで、まさに県下各地域から、小学生の皆さんが愛媛の祭りをテーマに描いてくれた絵が730点あまり集まりました。それらの絵を学年ごとに並べて、まず6人の審査員が2点くらいずつ印象に残った絵をピックアップ。次に、一次選考した絵の中から、さらに4~5点にしぼって、特別賞1点と、優秀賞2点を各学年ごとに選ばせていただきました。
歴博では、今年春に特別展「愛媛・お祭り博覧会2016」を開催したのですが、絵を並べてみると、東予の太鼓祭りやだんじり、南予の牛鬼や鹿踊り、中予の獅子舞など、県内各地の祭りの特徴が、見事に表現されています。そして、祭りに参加している子どもたちの表情が実にいきいきとしていて、楽しそうな雰囲気が漂っています。子どもたちが地域の祭りや伝統行事に関わり、やがて自分たちが担っていくことが、地域を守り、次の世代に引き継いでいくことだとつくづく感じた次第です。
ご指導いただいた先生方、そして絵を描いてくれた子供さんたち、本当にありがとうございました。来年2月5日(日)まで展示していますので、冬休みなどを利用して、ぜひご家族で観に来ていただければ幸いです。
ついでに、常設展示室1階には、愛媛県内各地の祭りの様子を、本物の太鼓台、だんじり、神輿、牛鬼なども交えて展示していますので、見て帰っていただければと思います。
なお、12月20日(火)からは、テーマ展「没後50年 永井刀専展」と「松山城下図屏風展」が始まります。永井刀専は、愛媛における広告図案・商業デザイナーの先駆者で、おもしろい風刺画もたくさん描いています。松山城下図屏風は、平成25年に新たに発見され当館で所蔵しているもので、まさに鳥の眼で江戸時代の松山城下を俯瞰して描かれています。今回は、当時の武家屋敷や町屋、寺社を描いた絵図なども一緒に展示しますので、ぜひ見比べてみてください。ただ今、展示飾り付けの真っ最中。Coming Soon!
そして、お正月は2日から開館していますので、南予に里帰りされた皆様、おせちに飽きたら歴博にいらっしゃってください。あったかいぜんざいをご用意してお待ちしております。

「れきはく友の会」現地研修会に参加して

11月 22日 火曜日


歴博には、「会員が歴博を積極的に利用することにより、愛媛の歴史及び民俗に親しみ、教養を高め、会員相互の親睦を図るとともに、博物館事業に協力することを目的」とする「友の会」の組織があります。
先日、天候の関係で2回延期となった友の会の現地研修会「四国西予ジオパーク巡り―三瓶編―」に参加しましたので、その日の様子をレポートします。案内はジオガイドで、友の会会員でもある地元・三瓶の宇都宮とみ子さん。
9時に歴博の駐車場に集合し、2台のマイクロバスに分乗して、まず向かった先は、宇和町岩木にある三瓶神社。なぜ、三瓶の海も見えない山の反対側に三瓶神社があるのか? その謎を歴博の大本学芸員が説明してくれました。元々は、三つの瓶が流れ着いた所に神社が建てられたが、船の転覆事故が相次ぎ、むしろ海の見えない所の方がよいのでないかということで、山の向う側の宇和町に社殿を移したとのこと。神社の石段の両側にある寄進者の名前を見ると、三瓶町一帯の地名の方が圧倒的に多く、いかに深く信仰されていたかがよくわかりました。また、今も50年に一度、神様が三瓶の地に帰る「還幸祭」が催されているとのことです。
続いて、我々は須崎海岸へ。須崎観音の所から階段を下りて、まさに海岸線に沿った小道を行くと、約4億年前の縦じまの地層が見える岩壁が続きます。同行してくれた西予市ジオパーク推進室の中村千怜さんによると、ここの地質は凝灰岩だそうです。縦じまは所々ずれており、その時代に大規模な地殻変動があったことがわかります。突端にある通称「マンモス岩」。先日の愛媛新聞でも大きく写真が掲載されていましたが、ここに立つと地球の歴史の中で、人類の歴史なんてほんのわずかだということを改めて感じさせられます。


続いて、昼食場所の「みかめ本館」へ。お昼は「アジめし」。宇和島風の鯛めしと似ていて、奥地湾で獲れたアジの刺身をタレに漬け込んだものを、ごはんの上にのせていただきます。初めてでしたが、3杯もおかわりしてしまいました。
昼食後、「潮採館」で地元の物産を見てから、「朝立会館」へ。県の民俗文化財にも指定されている「朝日文楽」の上演会場として昨年オープンした施設です。朝日文楽保存会の方のお話を聴きましたが、3人で扱う人形浄瑠璃の世界は奥が深そうです。


館内には、名工・天狗久が作った人形の頭や、今作れば数百万円はかかる人形の衣装など貴重なものが保存されています。また、大きさの違う4段の枠に襖絵を差し込んで、遠近法により千畳敷の奥行きを感じさせる「八段返し」と言われる舞台装置は圧巻です。
なお、11月23日(水)勤労感謝の日の午後に、歴博において、県内5団体による「文楽合同公演大会」が開催されます。有料(当日:千円)ですが、興味のある方はぜひ!!
現地研修会の最後は、「さざえが岳」。岩場にサザエがついていたからという説と山の形がサザエに似ているからという2説があるそうですが、ここの岩は「チャート」という非常に硬い地質。山の上からは、奥地湾が望め、なかなかのビュー・ポイントでした。
今回の現地研修会の内容は、「着地型観光プラン」として旅行社にも十分売り込めるものだと思いました。
西予市からもジオパークについて、歴博からのフォローを期待されているところですが、ちなみに、11月26日(土)には、西予市主催のジオパーク学習会が、野村町惣川のかやぶき民家「土居家」周辺で行われ、当館の学芸員が講師を務めます。
こんな楽しい現地学習会のほかに、少し遠くへの研修旅行(今年は村上水軍博物館と大三島)や歴博の展示解説会などのご案内が来るほか、定期的なクラブ活動も行っている「友の会」に、あなたも入ってみませんか? 年会費3千円ですが、十分もとが取れると思います。

「高校生食育ふるさと料理マルシェ」

11月 15日 火曜日

11月12日(土)、さわやかな秋晴れの下、えひめいやしの南予博2016イベント「高校生食育ふるさと料理マルシェ」が歴博特設会場で開催されました。

オープニングでは、野村高校筝曲部の軽やかな箏の調に乗って、川之石高校の書道部の書道パフォーマンスが披露されました。

出店は9校10チーム。南予の食材とその他の県産食材を組み合わせた、高校生が開発したオンリーワンのふるさと料理が披露・販売されました。

開会式前からチケット販売ブースには長蛇の列。お目当てのテントの前にも長蛇の列。料理を求めるお客さんにも、提供する高校生にも笑顔があふれていました。

6名の審査員による試食・審査により、グランプリには川之石高校の「ヒマ杉しらす丼」が選ばれました。しらす丼の中にまさかの甘夏マーマレード!これには驚きましたが、新鮮なしらすにじゃこ天、ミニトマト、削りかまぼこ等々、栄養バランスを考えた一品が評価されました。

館内では、学芸員による「愛媛・食の歴史展示解説」を行いました。考古・歴史・民俗の各視点から愛媛の食の歴史をふれかえる充実した時間でした。

今週末は「れきはく開館記念イベント」開催!

11月 9日 水曜日

歴博は平成6年11月にオープンし、今年で22周年。今回は「22」ということで、11月12日(土)、13日(日)の2日間にわたり、開館記念イベントを開催します。
毎年恒例の「どんぐりマルシェ」には、食べ物、雑貨・衣類のお店など、今年も30ブース以上の出店があります。そして、指定管理者も奮発して、常設展、特別展「自転車ヒストリー」の観覧料が2日間「無料」と、出血大サービスを行ってくれます。(ただし、「弱虫ペダル」原画展だけは有料です。)
そして、11月12日(土)には、「高校生 食育ふるさと料理マルシェ」が歴博で開催されます。出場校10チームが、地元の食材を活用して開発した1品メニューを、1食200円でご試食いただけます。ご飯ものあり、メインディッシュあり、デザートありとバラエティに富み、使う材料も「伊予の媛貴海」スマや三崎のイセエビなどオリジナリティにあふれていますので、乞うご期待。
駐車場が満杯になる可能性が高いので、ご不便をおかけしますが、下の宇和高校の農場を臨時駐車場にして、そこからシャトルバスを運行する予定です。
13日(日)には、朝9時からおもち・お菓子くばりがあるほか、11時と1時半からの2回、特別展「自転車ヒストリー」の展示会場で、昔なつかしい街頭紙芝居の実演もあります。
小さなお子さんが体験できるワークショップもあり、一日中楽しめますので、この週末、ご家族おそろいで、西予市の歴博にお越しください! スタッフ一同お待ちしております。

特別展「自転車ヒストリー」展示紹介(2)~ロシア兵捕虜との自転車競争会in道後公園~

10月 9日 日曜日

特別展「自転車ヒストリー」展示紹介の2回目。
今回は、明治38年(1905)8月に道後公園で開催された、ロシア兵捕虜と松山市民との自転車競争について紹介しましょう。

自転車競争会
道後公園におけるロシア兵捕虜の自転車競争会(松山市坂の上の雲ミュージアム写真提供)

愛媛県松山市に最初のロシア兵捕虜収容所が開設されたのは明治37年のことです。
当時の政府の方針と松山市民による歓待により、最大時には4千名を超えたロシア兵捕虜と松山市民との間では様々な交流が行われました。
収容されていた彼らの楽しみの一つが自転車で、「海南新聞」によれば、38年4月頃から捕虜の将校、特に海軍士官の間で自転車が流行し、道後公園で練習する姿を見ない日はなく、時には周囲の大馬場で日露両国人のレースをしていたといいます。

道後公園は、すでに日露戦争の少し前から、地元の人々が自転車レースを行う場所になっていました。
現在の道後公園グラウンドにあたる場所には、もともと八丁馬場という馬場があり、これを整備して、明治20年代から30年代前半には競馬や人力車競争が行われていましたが、明治34年(1901)頃からは、自転車レースが盛んになり、地元の愛好家らで組織した松山愛輪会などの団体が自転車を楽しんでいたということです。

こうした中、ロシア兵捕虜たちの自転車競争会の企画が持ち上がったのは7月のことです。
「海南新聞」によれば、将校は各方面よりの慰問や物品の寄贈も多く、また一定の制約下での自由散歩も許可されていましたが、下士・兵卒らはそのようなこともなかったので、道後湯之町の御手洗商店が「下士卒に同情を寄せ」、自転車競争会を開催し捕虜たちの慰めとしたいと出願し、許可されました(以下、本ブログの内容は全て同新聞マイクロフィルム収録の記事によります)。

日時は翌8月4日正午から、場所は道後公園東トラックで、将校のみならず下士・兵卒も含めた捕虜全体を招いて有志で自由に競走させ、優勝者には賞品を与えるというものでした。
この内容を耳にした捕虜たちは「勇み返って其日の来るを待遠しく思ひ」、毎週月水金の午後に道後公園で行われた捕虜の練習風景には見物人も多かったそうです。

この自転車競争会には、道後公園で自転車競争を楽しんでいた松山愛輪会が開催に協力し、大街道の黒田、西堀端の山田、同高橋の各自転車商会は競争に使用する自転車5台づつを無償で提供しました。
また、伊予鉄道は銀メダル及び賞金を提供したほか、午前8時から午後8時まで臨時列車を運行することを決定。このほか、ロシア兵捕虜を相手に商売していた各商店からも金品の提供があるなど、地元のさまざまな団体や商店・企業が開催に協力しました。

雨天のため当初の予定から1日順延されて、8月5日にいよいよ自転車競走会が開催されました。
道後公園の山の崖には小屋も掛けられ、来賓席には県会議長をはじめとする数々の政財界の要人やロシア兵将校らが居並びました。来賓席に面して一段高くつくられた審判席では、元衆議院議員で当時「海南新聞」社長をつとめた藤野政高以下の審判員やロシア語通訳が詰めて、号令などをかけます。
後ろには音楽場があり、北側には賞品授与所が設けられ、その左右には下士以下ロシア兵捕虜の観覧所が設けられていました。これら小屋掛けの軒下や並木桜の枝には、無数の万国旗が吊され、竹の柵で仕切られたトラック外周囲には一般見物人が詰めかけました。正確な参加者数の記録は見当たりませんが、海南新聞の記者は「此日の見物人は露人千名以上、日本人二千内外であらうと見たは余り間違のない見当だらう」と推定しています。

競技は午後1時より開始。まずはロシア兵捕虜同士のレースです。
3人づつ3周の競争を19回行い、この3周競争の1着の者を選手にして5周競走を5回、その第1着同士で7周競争を2回、この7周競争に勝った2人で最終決勝競争をさせて、ロシア兵捕虜の優勝者を決定しました。
間に行われた自転車の曲乗りのイベントでは「其技の軽妙なるには舌を捲かざるものなく」、その後に日露連合5周競争が行われました。
日本人の選手の内訳は不明ですが、本大会の開催に協力していた松山愛輪会の人たちが出場したことは想像に難くありません。
全ての競技が終わったのは午後6時頃で、天候にも恵まれて盛会だった、と「海南新聞」は伝えています。

同新聞によれば、彼らの技術は概して未熟で、競争中土手に乗り上げるものや落車するものが多く、とくに車から下りるときは10人中9人まで転倒したといい、見物人や競争者同士が衝突して乗り手の腕や足に擦り傷を負うものが多かったといいますが、このことは別の資料でもみてとることができます。
道後公園自転車競争会絵葉書
これはロシア人捕虜自転車競走会の絵葉書(個人蔵・当館寄託)です。右上は日本人として出場した富永選手、左下は競技の様子です。後に絵葉書にするほどのイベントであったことが分かり興味深いのですが、さらに面白いのは競技の様子。
自転車競争会の様子
もっと拡大してみましょう。
転んでいる様子
確かに転んでますね・・・

それはともかく、展示している2枚の写真からは、トラックの内外に、立錐の余地がないほどびっしりと観客が詰めかけている様子がみてとれ、日本人とロシア人の観客達の大声援が聞こえてくるようで、この時の熱狂ぶりが浮かび上がってきます。

本展では、明治38年の道後公園でのロシア兵捕虜との自転車競走会の様子を伝える貴重な2枚の写真のほか、明治時代末期に道後公園でも使われた競技用自転車「ラージ号」(自転車文化センター蔵)を、当時松山で販売された時の広告写真とともに展示しています。

特別展「自転車ヒストリー」及び「弱虫ペダル原画展」は11月27日(日)まで開催!
ふるってお越しください。

民俗展示室2「愛媛のくらし」秋の展示替え② 脱穀(だっこく)の道具「カラサオ」

10月 8日 土曜日

今回は、豆類などの脱穀に広く使われた、カラサオをご紹介します。

収穫した穀物は、莚(むしろ)などに広げておきます。
長い竿(さお)の頭に、回転する棒が数本取り付けられています。竿を持ち、莚に向けて打つと、棒が回転して穀物を強く打ちます。
打ち方にはコツがあって、上手に打たないと自分の足を打ち怪我をすることもありました。

カラサオは「唐棹」「唐竿」という字を書きます。「唐」は、唐箕の「唐」と同じく、昔の中国の国の名を意味しています。昔の中国から伝わった道具です。
東アジアやヨーロッパでも、同じような道具が使われていました。

展示中のカラサオ。比較的、竿が短く出来ています。回転部分は鉄製です。
奥の写真(村上節太郎撮影)は、カラサオで豆を脱穀しているところです。

カラサオの使い方(イラスト:愛媛県歴史文化博物館編『これ、なぁに? ―なぞの形は工夫の形―』パンフレット 平成11年)

民俗展示室2「愛媛のくらし」秋の展示替え① 脱穀(だっこく)の道具「千歯扱き」

10月 7日 金曜日

秋は、稲や豆など様々な穀物が実る、収穫の季節。
しかし、収穫の後も様々な農作業は続きます。

民俗展示室「愛媛のくらし」、収穫後の脱穀と選別に関わる資料に展示替えしました。何回かに分けて、主な展示資料をご紹介します。

脱穀とは、稲の場合、稲刈り後に干して乾かした稲穂(いなほ)から籾(もみ)を取り外す作業をいいます。
稲や麦の脱穀には、18世紀初頭前後に大坂で発明された「千歯扱(せんばこ)き」という農具が、約200年間も広く使われていました。

千歯扱き。穂(鉄製の歯)の部分を拡大すると…

先が尖った穂が、台木という角材に留められています。

江戸時代の農書『農具便利論』に紹介された千歯扱き。
現存する千歯扱きと、基本的な形は変わっていません。

脚部分を外した、2点の千歯扱き。
写真では分かりにくくて申し訳ないのですが、右と左では穂の形が違います。右は平たい形、左は丸い形です。穂の幅や数も微妙に違っています。穀物の種類に応じて使われました。

10月16日(日)、タンデム自転車で世界一周を果たした宇都宮一成さん(西予市宇和町出身)の講演!

10月 2日 日曜日

特別展「自転車ヒストリー」関連企画として、タンデム自転車で世界一周を果たした宇都宮一成さん(西予市宇和町出身)の講演を開催します。
宇都宮一成さん・トモ子さんご夫妻
日時 平成28年10月16日(日)13:30-15:00
場所 愛媛県歴史文化博物館 研修室1・2
演題 「夢、そしてチャレンジ!タンデム自転車世界一周の経験から」

<講師について>
宇都宮一成・トモ子ご夫妻
1997年より10年間世界88カ国タンデム自転車の旅の帰国後、「NPO法人シクロツーリズムしまなみ」で自転車ツアーのアテンドやイベントを企画・運営される一方、日本各地の講演会で自転車旅行の素晴らしさを伝えています。
<主な記録>
1987年 多摩川大学教育学部入学。友人を通じトモ子(奥様)さんと出会う
1992年 タンデム自転車と運命の出会い。世界一周を決意
1997年 トモ子さんと共に「タンデム自転車 世界一周」に旅立つ
2007年 世界一周の旅を終えて帰国
2009年 「NPO法人シクロツーリズムしまなみ」勤務

宇都宮一成さんのタンデム自転車は、特別展「自転車ヒストリー」特設コーナー(2階エントランスホール)でも展示紹介しています。

講座のお申し込みは→こちら←から!当日参加も受付可能です。
ふるってご参加、お待ちしています!

特別展「自転車ヒストリー」展示紹介(1)~ 八幡浜で発見された我が国現存最古級の三輪自転車~

10月 1日 土曜日

先日開幕した特別展「自転車ヒストリー 夢と希望をペダルに乗せて」、おかげさまで多くの方々に楽しんでいただいております。

本展は、自転車文化センター(東京都)及び自転車博物館サイクルセンター(大阪府堺市)の特別協力をいただき、自転車の歴史とその時代背景や、自転車を切り口とした愛媛の歩みを紹介した展覧会になっています。
四国で歴史的自転車をこれほどまとまって展示するのは初めてです。
どんな内容なのか、少しずつご紹介しましょう!

まず展示室で皆様をお迎えするのは、八幡浜で発見された我が国現存最古級の三輪自転車です。
八幡浜で発見された我が国現存最古級の三輪自転車
八幡浜で発見された我が国最古級の三輪自転車(自転車博物館サイクルセンター蔵)

「これが自転車?」と不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
現在の自転車の原型となる、セイフティ型自転車が完成したのは明治18年(1885)のことです。
明治4年(1871)の浮世絵には「自転車」としてこのような乗り物が描かれています。
浮世絵に描かれた三輪自転車
明治4年 東京高輪往来車盡行合之図(部分)(自転車文化センター蔵)

八幡浜で発見された自転車は、明治初期にはすでに日本で走っていた「手動+足踏み式」の三輪自転車を模して造られたようで、両手で左右のレバーを前後に動かすと、後輪が回って動く仕組みになっています。
車輪は繊細な36本の木製スポークで精巧に組まれており、その繊細な作りから、明治10年代に日本で製作されたものと推定されています。
錆はでているものの、130年以上を経ているとは思えないほど状態は良好です。

この三輪自転車は、八幡浜市浜之町の旧商家「菊池清治邸」の土蔵から平成16年に発見されました。
菊池清治邸
八幡浜市 菊池清治邸

木造2階建ての建物2棟が並んでおり、向かって右側の建物(住居棟)は明治6年の棟札が見つかっています。
向かって左側の建物(店舗棟)では、平成24年に八幡浜工業高校生が製作した三輪自転車の精巧な1/2サイズのレプリカが展示されています。
三輪自転車レプリカ

菊池家は海運業で蓄財を図り、文政4年(1821)に生まれた四代目菊池清治正明は海運業を中心に様々な事業を興し八幡浜の隆盛に寄与しました。明治19年(1886)に生まれた七代目菊池清治(世襲名)は、八幡浜町長、松山高等学校教授、広島高等学校校長等を歴任し、昭和22年には戦後の公選で八幡浜市長に当選し、戦後の混乱期に市政を担当しています。

この三輪自転車は、日本の自転車史及び明治時代の技術史を知る上で重要であると同時に、愛媛の自転車史の幕開けとして、「伊予の大阪」と称されるほどに活発な経済活動で栄えた明治前期の八幡浜、ひいては南予地域の先進的な気風を如実に伝える点でも、極めて貴重な資料といえるでしょう。

特別展「自転車ヒストリー~夢と希望をペダルに乗せて~」及び「弱虫ペダル原画展」は11月27日(日)まで開催中。ぜひお越し下さい!