異界・妖怪大博覧会関連イベントその2

8月 5日 日曜日

「異界・妖怪大博覧会」展も始まってもうすぐ一ヶ月になろうとしています。
なんと今日は、サプライズイベントとして、館内にホタカブが登場しました!
いつもホタカブが展示してあるケースの中には「巡回中」の札が残され、ホタカブは博物館内を歩き回っていました。
ホタカブに頭をかんでもらうと、無病息災と言われることから、自分からかんで欲しいとお願いする子供さんもいました。

企画展に関連した、楽しいイベントもこれからさらに盛り上がりますので、ご紹介します。

〔1〕クイズラリー めざせ!妖怪博士

「異界・妖怪大博覧会」の中で6つの妖怪クイズが君を待っています。対象は小中学生です。挑戦して、妖怪博士を目指してみませんか?参加者には当館オリジナルの妖怪シールをプレゼントしています。

8月4日と5日に開催した妖怪ミュージアムでは、クイズシートを手に
展示をじーっと見つめる子供たちで、展示室はにぎやかでした。

日時:8/11(土)12(日) 13:00~16:00
*企画展観覧料が必要です。

〔2〕探検!妖怪ミュージアム

展示室で、学芸員と一緒に妖怪の不思議を探りに行きましょう!鬼って悪者なの?妖怪の正体って何?助けた河童がお礼にくれた物って?妖怪について、学芸員がわかりやすくお話します。

日時:8/19(日)〔1〕10:00~ 〔2〕13:00~ 各回先着10名 小中学生対象
*企画展観覧料が必要です。

〔3〕おばけ紙芝居の上演

体験学習室において、鬼やおばけの出てくる民話やお話の紙芝居を上演します。お気軽にご参加ください。

日時:8/25(土)26(日) 14:00~15:30

〔4〕おばけかるたとりに挑戦!!

おばけかるたに皆でチャレンジしてみませんか?のっぺらぼうや河童がでてくるおばけかるたです。おばけが好きな子、かるたが好きな子、お待ちしています!

日時:8/26(日) 13:00~15:00 先着30名 小中学生対象

開催中!「異界・妖怪大博覧会」10―地獄絵馬―

8月 4日 土曜日

宇和島市の満願寺は江戸時代、多くの四国遍路が参詣する寺院として栄えていました。その境内には弘法大師を祀る大師堂があり、その中に安政5(1858)年に地元の者が寄進した地獄極楽絵馬が伝存しています。


※地獄極楽絵馬(左・満願寺蔵)

左の絵馬は左上に描かれた阿弥陀如来により救済される極楽世界を表現しています。中央の絵馬は、地蔵菩薩と賽の河原を描いた絵馬。地蔵菩薩は極楽浄土に往生できず、地獄へ堕ちるとされた衆生を、地獄から救済してくれる仏として信仰されていました。また、子供が石積みをしている賽の河原は「三途の川」ともいわれ、あの世とこの世を分ける境目ともいわれます。


※中央の絵馬


※右の絵馬

右の絵馬には各種の地獄世界が描かれています。右上には、地獄の入口で裁判官として人をさばく「閻魔大王」、右下には、三途の川で死者の着物を奪い取る「奪衣婆」が配置されています。愛媛県内で、このような地獄極楽図が絵馬の形で残されているのは大変珍しい事例といえます。

甲冑(かっちゅう)姿の撮影会 ―広報用の写真撮影―

8月 3日 金曜日

 秋の企画展「戦国南予風雲録」では、会期中にいろんなイベントを計画しています。そのひとつに「よろい武者になってみよう!」というのがあります。この日は、その広報に使うための写真撮影をしました。

撮影風景
撮影風景

 来館者の小中学生に声をかさせていただき、モデルになってもらって、当日体験できる甲冑を着用のうえ館内の屋上中庭で撮影しました。

僕たち兄弟、武将と足軽
僕たち兄弟、武将と足軽

 使用した甲冑は、福島正則が着用した水牛の角をあしらった兜(かぶと)と鎧(よろい)の複製(左)と、土居清良の子孫のもとに「御貸具足(おかしぐそく)」として伝わった甲冑の複製(右)の2種類。その他小道具として槍や火縄銃、幟旗(のぼりばた)などを用意してみました。
 この日は天気がよく、ただでさえ屋上は暑いのに、黒くて重い甲冑に包まれたモデルの子どもたちはもっと暑そうでしたが、おかげさまでよい広報用写真が撮れました。また、彼らは夏休みを利用して親御さんの郷里を訪ねてきていた県外の子どもさんだったようで、博物館での思いがけない記念になったようです。

暑いよ~
暑いよ~

 甲冑の体験イベントは、11月4日(日)と11月18日(日)に開催予定で、4日は「御貸具足」の方を使って足軽隊に、18日は福島正則の水牛兜を使って戦国武将に変身できます。
 また、甲冑への変身以外にも、11月3日(土)には束帯を体験できる「お公家さんになってみよう!」も実施します。
 対象はいずれも中学生までですが、束帯については衣装の形状と着付け方の都合上、身長130cm以上の児童・生徒とさせていただきます。
 そのほか、会期中エントランスでは、陣羽織・烏帽子・陣笠など各自で簡単に体験してもらい、記念の写真撮影も自由という、自由体験コーナーの設置も計画しています。
 また、11月18日(日)の開館記念イベントでは、戦国時代のいろんな場面で活躍した「馬」を身近に体験してもらおうと、愛媛の在来馬「野間馬(のまうま)」への乗馬が体験できる「野間馬にのってみよう!」も準備しています。対象は、小学6年生まで、体重50kg以下、とさせていただきます。
(※野間馬自体は戦国時代にはまだ生まれていません。「馬」に親しんでいただくイベントです。)

待ってるよ~!         (写真提供:野間馬保存会)
待ってるよ~!    (写真提供:野間馬保存会)

 詳しくは、今後のポスター・チラシ・歴博だより・ホームページなどをご覧ください。

開催中!「異界・妖怪大博覧会」9―鬼の姿―

8月 2日 木曜日


※旧広田村総津の祭りの鬼(複製)

「鬼(おに)」といえば、一般的にイメージする姿は、頭に角があって、頭の髪の毛は巻き毛で、口に牙(キバ)があって、指にするどい爪が生えている。そして何といっても、「虎の毛皮」のパンツ(実際はフンドシ)をはいている。しかも大きな金棒を持っているイメージがあります。

しかし、愛媛のお祭りに出てくる「鬼」には、角のない鬼もいますし、虎の毛皮のパンツ(フンドシ)をはいている鬼はいません。頭には、シャグマ(赤熊)と呼ばれるものをかぶっています。

手に持っている物は、「鬼に金棒(かなぼう)」ではなく、竹でできた杖(つえ)です。これで体の悪いところを叩かれるとなおるとか、無病息災だともいわれます。

しかも、「鬼」のことを、愛媛の地元では「ダイバ」とか「ダイバン」と呼ばれることが多く、これは仏教で釈迦(シャカ)の修行の邪魔をしていた提婆達多(ダイバダッタ)に由来するのではないかと思われます。

このように、「鬼」といっても、愛媛のお祭りで見られる「鬼」を観察すると、その姿はさまざまであることがわかります。

博物館友の会 民俗クラブ

8月 1日 水曜日

平成17年度から、愛媛県歴史文化博物館友の会の会員同士で交流を深めたり、また、さらなる学習活動を発展させるために、クラブ活動が始まりました。

その一つ、「民俗クラブ」も今年で3年目。学芸員が愛媛の民俗文化に関する解説を行うとともに、実際に現地で民俗調査を行う際の調査方法や聞き取り項目等の具体例についても紹介しています。また、友の会の会員自らが調査・研究した成果を口頭発表する場となっています。


※19年3月の水荷浦の現地見学会

そして、現地調査・現地見学会も行っており、昨年度は、宇和島市吉田町の吉田祭りで牛鬼や山車などを見学したり、八幡浜市内の神社の絵馬調査を行ったりしました。また、宇和島市遊子の水荷浦の段畑にも民俗クラブで現地見学してきました。

さて、7月28日(土)10:30から今年度の第一回の民俗クラブが行われました。

今回は、大本学芸員が「木と竹の民具から見た日本文化」と題して民具の地域差・歴史性について講義をして、その後、今年度のクラブ事業の予定を立てました。今年度は、12月からのテーマ展「宇和海のくらし(仮)」の準備等にクラブとして関わることとしました。そして、現在開催中の企画展「異界・妖怪大博覧会」の見学も行いました。

毎回、10~20名程度の参加者で、楽しく、互いの交流を深めつつ、愛媛の民俗文化について学んでいます。

今治市相の谷1号墳の出土遺物(7)破鏡(9号墓)

7月 31日 火曜日

破鏡
破鏡(相の谷9号墓出土)

 相の谷9号墓は、相の谷1号墳と同一丘陵上に立地し、1号墳の南側約30mに位置します。1号墳の1次調査後の1966年7月に発見され、墳丘測量の結果、長さ13m、幅6.7mの方形台状墓と判断されました。発掘調査は1966年12月~翌年1月と3月に実施されています。発掘調査の結果、3基の埋葬主体が確認され、1号主体の箱式石棺から今回紹介する破鏡2点が出土しています。
 破鏡とは、銅鏡を意図的に分割した破片で、割れた面を磨いたり、穴を開けたりするものもあります。弥生時代後期末から古墳時代前期にかけて、北部九州を中心に分布し、愛媛県内では約10例が確認されています。多くが中国鏡を分割しており、北部九州を介して入手されたものと考えられています。
 この資料は、鏡の外側を中心としたもので、復元径17.0㎝の約1/6の破片2点です。それぞれの資料には径0.3㎝の穴が開けられていますが、その位置は異なります。紋様構成が一致することから同一の鏡の破片であると考えられます。中央部分の紋様がほとんど残存していないため、分割される前の鏡の種類を決めるのは困難ですが、外側の紋様構成の類例から細線式獣帯鏡(さいせんしきじゅうたいきょう)という中国鏡である可能性が高いと考えられます。
 さて、この9号墓がいつ作られたが問題となりますが、破鏡の他に勾玉・管玉・ガラス小玉が出土しており、これらには前代の弥生時代的な要素は見られません。近年、発掘調査された今治市高橋仏師Ⅰ遺跡(前方後円形墳墓)でも破鏡と土師器壺・高坏、鉄鏃、ガラス小玉、管玉が出土しています。この墳墓は出土した土器から古墳時代前期初頭に位置付けられており、9号墓の年代も古墳時代前期初頭に位置付けられると考えています。
 このように考えると、9号墓は相の谷1号墳を造営する集団が前方後円墳築造の数世代前に、北部九州勢力を界して入手した破鏡を副葬した墳墓であると位置付けることができます。10数mの墳墓を造営した集団が、数10年後には80m規模の前方後円墳を築くことになった背景にはどのような事情があったのでしょうか。

開催中!「異界・妖怪大博覧会」8―武太夫物語―

7月 29日 日曜日


これは武太夫物語(ぶだゆうものがたり)、別名、稲生物怪録絵巻(いのうもののけろくえまき)と呼ばれる絵巻物で、江戸時代に起こった怪異を描いたものです。(国立歴史民俗博物館所蔵)

安芸国(広島県)の稲生武太夫が友人と、百物語(怪談会)をしたところ、7月1日から7月30日まで毎日、毎晩、様々な妖怪が現れるようになります。ところが武太夫は怖じ恐れることなく1ヶ月間淡々と対応したので、最後に妖怪の魔王とされる山本五郎左衛門が現れて、妖怪ともども一同に退散してしまうという内容です。

この1ヶ月、さまざまな出来事が起こっていることが記されていますが、その一部を紹介しておきます。

1 稲生武太夫(平太郎)が、百物語をしたために、7月1日から30日間、様々な怪異に出会う。7月1日には、ヒゲを生やした一つ目の大男が、平太郎に襲いかかる。

2 一緒に百物語をした権八の家にも一つ目の童子が出現した。


3 7月3日、女性の生首が、さかさまで、髪をつきたてて、歩いてきた。

4 7月3日の夜、天井から、ひょうたんが、突然さがってきた。

5 7月5日、カニに似ていて、足のたくさんある石が現れた。

6 7月6日、庭に出て、たきぎ小屋を見ると、大きな老婆の顔が戸口をふさいでいた。

7 7月10日、貞八という知り合いに化けた妖怪が来る。頭の中から子供がでてきた。

8 7月12日、大きなカエルが出る。赤いヒモで結ばれていたので、ヒモを持って寝ると、朝、カエルはつづらになっていた。

9 7月14日、目ざめてみると、老婆の顔があって、舌をのばして舐められてしまう。

10 7月17日、家に女性が訪れた。すると勝手に盥(たらい)が転がっていった。

11 7月17日の夜、目は丸くて、串刺しになった首が数多く飛びはねた。

12 7月21日、夜、あんどんの明かりをつけると、人影があらわれた。

13 7月22日、朝起きると、ほうきが勝手に掃除をしていた。

14 7月23日、家の天井に、見たこともない大きなハチの巣が現れた。

15 7月24日の昼に、大きなチョウが家に飛び込んで、ぶつかって粉々になると無数の小さなチョウになった。

16 7月24日の夜、あんどんに火をともすと石塔になって、激しく燃えだした。

17 7月25日、縁側から庭におりようとすると、大入道が横たわっていた。

18 7月28日、虚無僧が大きな音で尺八を吹きながら入るが、武太夫は平気で寝る。

19 7月30日、左には妖怪の「魔王」である山本五郎左衛門、右には武太夫の守護神(冠装束姿)が現れる。

20 妖怪の「魔王」山本五郎左衛門は、手下の妖怪が担ぐカゴに乗って、去っていく。それ以降、武太夫に怪異は起こらなくなった。

※現在、この絵巻は、七月九日までの怪異場面を展示しています。後期展示(8月8日~)では、七月二十日過ぎから、三十日までの怪異場面を展示する予定です。

開催中!「異界・妖怪大博覧会」7―昔の暦―

7月 28日 土曜日

異界・妖怪大博覧会では、まじない・占い・吉凶に関するコーナーも設けています。その中から、昔の暦(カレンダー)も展示しています。暦には縁起のよい方角などさまざま吉凶に関する記述があります。

ところが、その暦をよく観ると「昔の人は大安・仏滅を信じていなかった?」と思わせるふしが・・・。大安や仏滅、友引といった、今のカレンダーに頻繁に載っている吉凶記述が見当たらないのです。

現代の人は、結婚式は「大安」の日をえらんで、お葬式は「友引」の日をさけることが多いですね。これが昔からの「当たり前」だと思ったら、実は違っていたようです。


※明治時代初期の改暦以前の暦(個人蔵・当館保管)

ほかの江戸時代の暦(カレンダー)を見わたしても、「大安」や「仏滅」、「友引」など(これを六曜といいます。)は出てきません。百科事典のような何事にも詳しい書物には、以下のように出てきますが、一般庶民は気にしていなかったようです。

 事林広記(中国の宋時代)
   大安・留連・速喜・赤口・小吉・空亡
 和漢三才図会(江戸時代中期)
   大安・留連・速喜・赤口・小吉・空亡
 天保大雑書万暦大成(江戸後期)
   先勝・友引・先負・物滅・泰安・赤口
 現在のカレンダー
   先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口

これを見ると、次のようなことに気づきます。
・六曜は日常生活に密着するものではなく、当時の「百科事典」に出てくるような特別な知識でした。
・大安は、江戸時代後期には「泰安」とも書いています。
・仏滅は、江戸後期には「物滅」と出てきますが、「物が滅する」意味で、江戸中期以前には「空亡」と呼ばれていました。「仏が滅する」ので縁起が悪いとされるようになったのは、最近のことのようです。
・友引は「ゆういん」とも呼びますが、これは江戸中期の「留連(りゅうれん)」が訛ったもののようです。

実は、「六曜」が流行するきっかけは、明治初期に改暦による暦注(吉凶の記述)の廃止(それまではさまざまな吉凶・占いの記述が暦には記されていた)であり、それまで一般的でなかった「六曜」を人々が日々の吉凶判断に使い始め、戦後になって定着しまたのです。ちなみに、皇室の結婚式で大安を選ぶようになったのも、戦後の昭和34年からです。

開催中!「異界・妖怪大博覧会」6―幽霊図―

7月 27日 金曜日


これは、円山応挙が描いたと伝えられる幽霊図(複製・国立歴史民俗博物館所蔵・原資料は全生庵所蔵)。円山応挙は1795年に没しているので、200年以上前の幽霊図といえます。

さて、一般に「幽霊」には足がありません。足のない幽霊を最初に描いたのは、この江戸時代の絵師・円山応挙(1733年生~1795年没)といわれています。この説は、既に江戸時代後期の随筆「松の落葉」にも見られます。ところが、応挙が生まれる前の1673年には、浄瑠璃本「花山院きさきあらそひ」に足のない幽霊が描かれていることが指摘されています。

ただし、版本以外の肉筆画では、応挙より古い足のない幽霊図は確認されていないようです。なお、幽霊に足がないのは応挙の幽霊画が「反魂香之図」という題名をつけられているように、お香の煙の中に死者が現れることで、足が煙で覆われていて見えないという説が有力です。つまり、足がないのではなく、足が見えなくなっているというのです。


ちなみに、同時展示している「怪物画本」(香川大学図書館蔵・神原文庫)にも幽霊が描かれています。これは1802年に描き集められた画集なので、江戸時代後期には、足のない幽霊のイメージは定着していたようです。

開催中!「異界・妖怪大博覧会」5―十界図―

7月 26日 木曜日

仏教では、迷える者・悟れる者すべて含めて、この世界を10の領域に分けており、これを「十界(じっかい)」といいます。その10の世界とは次のとおりです。

1 地獄界・・・・閻魔(えんま)にさばかれて様々な責め苦を受ける。
2 餓鬼界・・・・飢えに苦しみ、食べ物を手に取ると火に変わってしまう。
3 畜生界・・・・悪い行いをした者が生まれ変わる動物世界。
4 修羅界・・・・いつも戦いばかりして、平和のない殺伐とした世界。
5 人界・・・・・人間の住んでいる平凡な世界。
6 天界・・・・・天上の世界。ここまでを「六道」(ろくどう・りくどう)という。
7 声聞界・・・・仏の教えを聞くことができる世界。(声を聞いて悟る)
8 縁覚界・・・・様々なことを感じとることができる世界。(縁によって悟る)
9 菩薩界・・・・悟りをひらいて仏になろうと修行にはげむ世界。
10 仏界・・・・・悟り(迷いを断ち切り真理を知る事)をひらいた仏の世界。

そして、地獄界の中でもさまざまな地獄があり「八大地獄」などと呼ばれます。「八大地獄」は次のとおりです。

1 等活(とうかつ)地獄
 殺生の罪を犯した者がおちるとされる。常に殺し合いをする地獄。
2 黒縄(こくじょう)地獄
 殺生・盗みの罪を犯した者がおちるとされる。台地は熱く焼けた鉄で、斧や鋸で体を切りきざまれるとされる。
3 衆合(しゅごう)地獄
 殺生・盗み・邪淫の罪を犯した者がおちるとされる。鉄の山がくずれ落ちてきて、つぶされるという。
4 叫喚(きょうかん)地獄・5大叫喚地獄
 殺生・盗み・邪淫・飲酒の罪を犯した者がおちるとされる。 熱湯の大釜や猛火の鉄室に入れられ、泣き叫ぶという。
6 焦熱(しょうねつ)地獄・7大焦熱地獄
 殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見の罪を犯したものは、たえがたい火熱の苦しみを受けるという。
8 阿鼻(あび)地獄<無間(むげん)地獄ともいう>
 両親や出家僧を殺害するなどの大悪を犯した者などが死後におち、罪のつぐないとして焼かれ続けるという。地獄中では最も苦しい地獄。

その他にも、寒地獄や血の池地獄、両婦地獄などもあります。


※十界図(三幅のうち左幅)

さて、この図は愛媛県内の寺院に所蔵されているもので、毎年1月16日と8月16日に、その寺院にてご開帳される十界図です。仏・菩薩・人・地獄などさまざまな世界が描かれています。製作年代は江戸時代末期の文久元(1861)年で、地元の者が寄進したものです。3幅あり、この(左)の掛軸には上部は阿弥陀如来(仏)が来迎して救済する場面、中段以下は、さまざまな地獄世界が表現されています。


※十界図(三幅のうち中央)

この(中央)の掛軸には、上部に、恐ろしい形相をした閻魔王が描かれ、死者を裁いています。中段以下には、さまざまな地獄世界に加え、修羅(人が戦ばかりする世界)、餓鬼(食物が火に変わって飢えてしまう世界)も描かれています。


※十界図(三幅のうち右幅)

この(右)の掛軸では、上部には賽の河原(三途の川)が描かれていますが、地蔵菩薩が特に強調されており、地獄世界からの救済者として信仰を集めていたことがわかります。中段には、墓地の様子、下段にはさまざまな地獄世界が描かれています。このような掛軸は、年中行事として定期的に公開されることで、庶民にも「あの世」の姿が教え導かれたのです。

※なお、このような地獄世界などを描いた十界図や、愛媛県内の「あの世」(墓・お盆行事)などについては、7月28日(土)13:30~当館研修室にて学芸員による関連講座が行われます。タイトルは「あの世と地獄―日本人の死生観―」。定員80名ですが、まだ若干、空きがありますので、興味のある方はお申込・ご参加ください。