中国四国名所旧跡図5 兵庫津

7月 13日 金曜日

中国四国名所旧跡図5
 長くつづく海岸線。海岸線にはたくさんの家屋がびっしりとはりついている。そして、その沖合には帆を休める廻船の姿が見える。

 西丈はその絵に「津の国兵庫築嶋」と記しているが、これは兵庫津のことである。兵庫津は古くは「大輪田の泊(とまり)」といわれ、海中に突き出た和田岬により南西の風波がさえぎられ、また六甲山系により北西の風がさえぎられる天然の良港であった。平清盛の時代には人口島である経ケ島(きょうがしま)を築く大修築工事が行われ、その島陰に港がつくられ日宋貿易の基地として栄えた。室町時代には勘合貿易、江戸時代には瀬戸内海航路、西廻り航路などの重要な港でありつづけ、朝鮮通信使やオランダ商館長の江戸参府時の寄港地でもあった。

 そのような兵庫津の歴史を理解した上で西丈の絵を見ると、海岸にあまり人手が加わっていないのどかな港町を思わせ、当時の兵庫津の姿とは懸け離れているようにも思える。しかしラフな描き方ながらも、兵庫津のにぎわいだけは見るものにしっかりと伝わってくる。

 画面左に大きく突き出た和田岬には建物が一軒描かれているが、これは西丈が「番所」と記すとおり、兵庫津への船の往来を監視する船見番所である。兵庫津の入口に位置する重要な拠点で、ここには外国船から港を守るために、元治元年(1864)に勝海舟の設計により円形の石造りの砲台が築かれ、今もその姿をとどめている。

今治市相の谷1号墳の出土遺物(4)埴輪の再発見

7月 12日 木曜日

 相の谷1号墳の墳丘部分からは大量の埴輪が出土しています。調査時に作成された報告書には「無数のハニワ片の修復や復元はなかなか緒につくことすら期しがたいほどである。」と記されており、調査当時においても大量の埴輪をどう整理するかが課題であったことがわかります。この大量の埴輪の一部については、調査参加者によって整理・報告されていましたが、2003年に大量の未整理の埴輪片を確認したのが、埴輪の再整理の発端でした。
 埴輪は調査時に取り上げられたままの状態で、ビニール袋約100袋で保管されていました。ビニール袋の中には出土した場所と取り上げた日時が記されたカードが一緒に入れられていました。約40年前に発掘現場でビニール袋に納められ、そのまま、倉庫に眠っていたこの資料群を見た時には、まるでタイムカプセルを開けたような気分でした。
 さて、この資料群を目にしたからには、整理・公開することが必要であると考え、資料を博物館に移動し、約2週間を費やして現状を記録し、埴輪の洗浄作業を行いました。この洗浄作業中には、今まで報告されていない線刻のある資料やスタンプ紋がある資料、接合できそうな大型の破片資料などがあり、新しい発見が多くありました。その後、注記作業(出土場所や取り上げ日時を記入する作業)を経て、漸く整理の第一段階が終了し、外部の研究者が閲覧できる状態になりました。
洗浄途中の埴輪
洗浄途中の埴輪

 何人かの研究者に資料を見てもらった結果、これまで報告されている資料よりこの古墳の実態を明らかにする上で重要な資料が多くあることがわかり、外部の埴輪研究者の協力を得て、これらの埴輪を整理・報告することとなりました。

(資料目録第16集『今治市相の谷1号墳』は当館友の会が増刷して販売しています。入手方法は友の会のページをご覧ください。)

異界・妖怪大博覧会関連イベントその1

7月 11日 水曜日

7月10日に始まりました「異界・妖怪大博覧会」展に関連して、
楽しいイベントがたくさん予定されています。その一部を紹介します。

(1)おばけ図書室はじめました。

おばけや妖怪、鬼や天狗の絵本を集めて、「おばけ図書室」をはじめました。
おばけはいませんが、おばけの絵本を気軽に読んでいただくスペースを
体験学習室前に作りました。「ゆきおんな」や「てんぐのはうちわ」、
「じごくのそうべえ」など、おかしなおばけやちょっぴり怖い妖怪の絵本が
たくさんあります。期間中いつでもご利用いただけます。

(2)「異界・妖怪大博覧会ぬりえ」やってます。

「百鬼夜行絵巻」(当館蔵)に描かれた妖怪から、いくつかの妖怪が
ぬりえになりました。鬼や天狗、道具の妖怪のぬりえです。
妖怪や鬼の色って何色でしょうか?
企画展示室で見ることのできる鬼や妖怪と比べてみるのも面白いですね。
体験学習室内にで期間中いつでもご利用いただけます。参加費は無料です。

(3)おばけ紙芝居の上演

体験学習室において、鬼やおばけの出てくる民話やお話の紙芝居を上演します。

日時:7/14(土)15(日)16(月)8/25(土)26(日) 14:00から15:30まで

この週末は「れきはく」でおばけ三昧を楽しんでみてはいかがでしょうか。

開幕!「異界・妖怪大博覧会」

7月 10日 火曜日

本日、夏の企画展「異界・妖怪大博覧会―『おばけ』と『あの世』の世界―」が開幕しました。

午前中には、西予市野村町の幼稚園児や宇和町内の小学生も来館し、「鬼」・「おばけ」や「地獄」・「幽霊」に関する絵画などを恐る恐る見学していました。泣きじゃくる子供もいるかと心配していましたが、泣く子はいませんでした。子供達も次第に慣れて、展示物をじっくり見ていました。午後には、博物館友の会の会員が数多く集まり、学芸員が展示解説を行いましたが、今日一日で老若男女、さまざまな年代の来館者の反応を聞くことができました。

展示期間は、9月2日(日)までとなっています。この夏、れきはくで「おばけ」と「あの世」の世界をのぞいてみて下さい。多くの皆様のお越しをお待ちしています。

※今回の展示開催の準備にあたり、資料調査や資料借用にてお世話になった数多くの機関・個人の方々には厚く御礼申し上げます。おかげさまで、無事開幕することができました。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」21―ろくろ首―

7月 8日 日曜日

これは「夜窓鬼談(やそうきだん)」(個人蔵・当館保管)という資料に描かれた「ろくろ首」です。「夜窓鬼談」は、明治22(1889)年に石川鴻斎が著した漢文体の怪談集で、哭鬼・貧乏神・天狗・髑髏(どくろ)・安倍晴明の話など全部で81話が収められています。挿絵は明治時代に活躍した画家・久保田米僊・小林永濯らが描いており、明治期を代表する怪談集といえます。

なお、「ろくろ首」は、江戸時代以降に出版された資料に頻繁に見え始めます。外見は普通の人間と同じですが、夜中に首がろくろを回すように異常に長く伸びて、家の中にある行灯の油を好んで舐めたり、人間の精気を吸い取ったりします。

体が伸びるといえば、見越入道(のびあがり)も有名です。こちらは、女性ではなく、男性の姿で描かれますが、おばけとしての知名度、そして恐ろしさの度合いは、「ろくろ首」の方が高いように思われます。

ただ、愛媛県内に伝えられた怪異・妖怪伝承を調べてみても、見越入道(のびあがり)に類する話は多いのですが、「ろくろ首」の伝承は確認できません。「ろくろ首」は、地域に根ざした伝承で語られたものというより、江戸時代の出版物や落語など、大衆への語りの中で広まっていった「おばけ」ということができます。

※企画展「異界・妖怪大博覧会」の開幕まであと2日。7月10日(火)から9月2日(日)までです。これまで、「展示予告」として展示資料の紹介をしてきましたが、開幕後も、展示物の紹介を続けていきたいと思います。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」20―河童のミイラ図―

7月 7日 土曜日

7月10日(火)からの「異界・妖怪大博覧会」の開幕まであとわずかとなりました。現在、展示室での資料を列品作業中です。

さて、今回は「河童」に関する資料の紹介です。

これは江戸時代後期の写の河童のミイラ図です(香川大学図書館所蔵・神原文庫)。上の図は「川郎乾」とあり、「乾」つまり河童(川郎)がミイラ化したもので、「松平越後守殿所持」(越後高田藩主と思われます。今の新潟県)と記されています。下の図は河童の手が描かれていて、「細川越中守殿所持」(肥後熊本藩主・今の熊本県)と記されています。

これは、江戸時代に本草学の知識が普及していくことによって、不可思議な妖怪(化物)についても、一種の生きものとして記録・記述されていたことを示す資料です。単に恐ろしいものとして描かれたというよりは、一種の博物学的知識の高まりで書写されたものといえます。

なお、企画展「異界・妖怪大博覧会」では、様々な河童図や河童伝承に関する道具などを展示します。

中国四国名所旧跡図4 布引の滝

7月 6日 金曜日

 文化6年2月29日に、京都の商人升屋徳兵衛一行は、四国遍路と西国巡礼を合わせた旅に出発している。3月2日、一行は西宮と住吉の名所旧跡をめぐった後、摩耶山に登っている。摩耶山には約2キロ程の山道が続き、険しい石段があるとその道中日記には書き記されている。一行は摩耶山の麓の茶屋で一泊し、翌3月3日には布引の滝、生田天満宮に行った後、兵庫、須磨の名所を見物してまわっている。このコースは当時の旅人にとって一般的なものと思われるが、西丈も升屋と同じように摩耶山に登った後に、布引の滝を訪れその姿を絵にして遺している。
中国四国名所旧跡図4
 『摂津名所図会』に「岩面を流落る事白布を曝(さらす)に似たり」と記される通り、布引の滝は、約250mほどの間に連続する滝の様子があたかも布をたらしたかのように見えたため、そのように呼ばれるようになった。上流から順番に、雄滝(おんたき)、夫婦滝(めおとだき)、鼓ケ滝(つつみがだき)、雌滝(めんたき)からなる。このうち、西丈が描いたのは最上流部にある雄滝であろう。険しい岩肌を何段にもわたり激しく流れ落ちる水。滝の下には水垢離する人間の姿があるが、その小ささが滝のスケールの大きさを際だたせているように思える。西丈は雄大な滝の姿を前に、絵にそっと一首書き添えている。
 「瀧乃瀬に繰出すいとのほそけれと織る布引のはたの廣さよ」

中国四国名所旧跡図3 一つだけの求女塚

7月 5日 木曜日

 西丈は堺を出た後に、山陽道を西に進んだものと思われる。山陽道に入ってしばらく行った神戸付近で、角度を変えながらもほぼ同じ範囲を俯瞰して描いた絵を二枚遺している。下はそのうちの一枚。
中国四国名所旧跡図3-1
 左の西側から地名を見ていくと、小部村、大石村、求馬ツカ(求女塚:もとめづか)、八幡林、ミカゲ(御影)、ナロ(鳴尾)崎などの地名がある。そして、手前の海上には、天下の台所大坂へと物資をのせて運ぶたくさんの廻船が白帆をあげて進んでいく。

 もう一枚は、「摩屋(耶)山麓上の村六郎左衛門座敷より見図」と記されている。
中国四国名所旧跡図3-2
 摩耶山の麓、やや小高いところに位置する上野村の一軒から、俯瞰してスケッチしたものと思われる。手前に描かれている範囲は最初の絵とほぼ同じだが、はるか遠くには大和の二上山、金剛山から紀州加田浦まで見晴らすことができている。ビルなど遮るものがないからこそ見える風景である。

 二枚の絵の両方に取り上げられている名所としては「求馬ツカ(塚)」があげられるが、これは求女塚のことである。実際には神戸市東灘区から灘区にかけての約3.5キロの間に三つの大きな古墳が並び、真中が処女塚古墳、東西がそれぞれ東求女塚古墳、西求女塚古墳と呼ばれたが、西丈は限られた紙面のため略したのか、そのうちの一つしか描いていない。位置関係から真ん中の古墳を一人の女性、東西の古墳を娘に同時に求婚する二人の男性とみたてて、思い悩んだ女性が生田川に身を投げ、二人の男も後を追って死んだという処女塚伝説が生まれた。おそらくこのストーリーは、旅人西丈の頭にも入っていたものと思われる。 なお、三つの古墳のうち、西求女塚古墳は平成5年に「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」が7面出土し、脚光を浴びた。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」19―怪談藻塩草―

7月 4日 水曜日

これは、「怪談藻塩草(かいだんもしおぐさ)」という冊子で、今治市河野美術館所蔵の資料です。江戸時代後期の著名な怪談集で、もともと寛政13(1801)年に速水春暁斎(はやみしゅんぎょうさい)が著したものです。本資料は弘化3(1846)年の刊行であり、版を重ねるほど普及していました。

この「怪談藻塩草」の巻一の冒頭、つまり最初に紹介されている話は、実は愛媛に関係するものです。「矢部が霊、神に崇る話」という題で、宇和島藩の矢部(山家)清兵衛(やんべせいべえ)が不慮の死を遂げて、祟りをなし、和霊神社に祀られる話が紹介されています。

宇和島市にある和霊神社は、江戸時代、漁業神や商売の神など、非常にご利益のある神社として知られていました。現在でも西日本各地に山家清兵衛を祀った和霊社があります。和霊社のご利益を広範囲に知らしめた一因には、この「怪談藻塩草」のような江戸時代後期の出版物の普及が考えられます。

なお、この「怪談藻塩草」のほかにも、企画展「異界・妖怪大博覧会」では、上田秋成の「雨月物語」をはじめ、江戸時代の怪談集についても展示・紹介します。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」18―古狸退治の図―

7月 3日 火曜日

これは、香川大学図書館蔵(神原文庫)の「楠多門丸古狸退治之図」という錦絵です。作者は幕末から明治時代に活躍した浮世絵師月岡芳年で、万延元(1860)年にこの絵を描いています。

中央に描かれているのは楠多門丸正行(まさつら)という人物。彼は、楠木正成の長男です。その右側には「竹童丸」が描かれ、彼が手に持っている手燭(てしょく)に照らされたところには妖怪がはっきりと見えます。その周りの闇にも様々な妖怪がうごめいています。左側に大きく描かれたのは古狸の化け物です。

狸といえば、愛媛だけでなく、四国には非常に多くの狸伝説があります。企画展「異界・妖怪大博覧会」では、松山地方の狸伝説に関する写真パネルを展示・紹介します。

今回の展示では狸に関する実物資料は少ないのですが、ビデオ映像で喜左衛門狸(旧東予市)や、狸と狐の関係(四国に狐が住まなくなって、狸の天下となったというお話)を上映します。

※企画展「異界・妖怪大博覧会」の開幕まであと1週間。お楽しみに。