展示予告「異界・妖怪大博覧会」4―百鬼夜行絵巻2―

5月 27日 日曜日

当館所蔵の「百鬼夜行絵巻」に描かれた「妖怪」を数回にわたって紹介します。(本資料は、7月10日~9月2日の企画展「異界・妖怪大博覧会」にて展示予定。)


1 御幣を持つ赤鬼
罪を祓う大幣(おおぬさ)という神具を持って走る赤鬼。鬼が神具を持って妖怪を追いかけている様子。本来、追われるべき鬼が逆さまの役割を担う。


2 冠をかぶる青鬼
矛を担いで疾走する青鬼。鬼なのに公家の冠をかぶっている。妖怪世界の治安を守る警護役とされる。この鬼は「追われるべき鬼」ではないようだ。

「発掘 南予の遺跡」 後1ヶ月で閉幕。お見逃しなく!!

5月 26日 土曜日

 現在、考古展示室では、博物館がある県南西部の南予地域の身近な歴史を紹介する「発掘 南予の遺跡~身近な歴史を見て・ふれる?~」を開催しています。
 南予地域では、この10数年の間に高速道路建設や史跡整備に伴い多くの遺跡の発掘調査が行われています。今回の展示では、(財)愛媛県埋蔵文化財調査センターが発掘調査を実施した遺跡を中心に、旧石器時代から近代にいたる17遺跡の調査成果をわかりやすく紹介しています。
 主な展示項目は次の通りです。

・四国最古の石器群-伊予市双海町東峰遺跡第4地点-
・大洲盆地を見下ろす山城-大洲市元城跡-
・時代のものさしになる弥生土器が出土-西予市宇和町上井遺跡-
・縄文時代の石器製作跡-宇和島市津島町犬除遺跡2次調査-
・戦国南予の戦乱-宇和島市正徳ヶ森城跡・岩倉城跡・角ヶ谷城跡・長松寺城跡―

 これらの調査成果は、南予地域の歴史を検討する上で新しい資料ばかりです。展示室内には、発掘で出土した土器をさわるコーナーもあります。この機会に地域の身近な歴史資料を見て・ふれてみませんか?
 なお、この展示は7月1日までの予定です。お見逃しなく!!

村上節太郎写真15 頭上運搬する女性2 昭和20年代

5月 25日 金曜日

村上節太郎写真7-509
 女性の頭上運搬を真正面から取り上げた研究書としては、民俗学者、瀬川清子の『販女(ひさぎめ)』(三国書房、昭和18年)があげられる。瀬川はその本の序文に、当時販女の姿が急速に消え去ろうとしているとし、販女を通して婦人が家のため、社会の文化のために果たしてきた、大きな役割を認識したいと研究のねらいを書き記している。
 瀬川が愛媛県の中で頭上運搬の事例としてあげているのは、越智郡宮窪村、越智郡魚島村、今治の大浜、松前町のオタタサンの四つ。このうち魚島村について瀬川は次のように記している。

(引用文)
 同(越智)郡魚島村は男漁女耕で船乗りはいない。土地が狭く、山が急で、その山がことごとく畑であるからどうしてもカベル必要がある。弓削島から嫁にきた者は、はじめよわったが、いつかはみなカベルようになった。女学校を出た娘でもやはりいつかカベル。そうせぬと他の女たちから非難されるからである。以前は12,3歳になるとカベラせ、大人は四斗俵ぐらいはカベル。氏神祭には娘仲間が水をカベッて山の神社にゆき、神輿を洗う。カベルには丸いワを頭にあげてカベル。女のワカナカに草をからすと、20貫は普通であるが、30貫カヅクのを常とした。

 頭に荷物をのせた上に、肥桶を振り分けにして運んでいる女性など、村上節太郎は魚島の頭上運搬の様子を写真に記録しているが、瀬川の文章を読むと村上の写真の背景にあるものが見事に浮かび上がってくる。

ボランティアさんと資料整理をしました。

5月 24日 木曜日

5月23日(水)にボランティアさんと民俗資料の整理を行いました。博物館の仕事の中でも資料の整理・保存は、地味ですがとても大事な基礎部分になります。

今回整理をした資料は、皿ばかりや分銅(ふんどう)、升などの計量道具と、玄翁(げんのう)やかんな、のみなどの大工道具です。二人一組になり、資料の寸法を測る人、記録する人に分かれて、作業を進めます。

その後、資料に登録票という小さな紙札をつけていきます。この登録票は、資料につける名札のようなもので、登録番号や資料名、使用地などを書き込んでいます。
民俗資料は、形や大きさもバラバラ。寸法はどこを測ったらよいのか。登録票はどこにつけたらよいかなど、皆さんとあーでもない、こーでもないとお話しながらも手際よく整理はつづきます。

整理された資料は、分類ごとに分けられた民俗収蔵庫の棚へ収めます。収集した資料を整理・保管しておくことが、調査や展示、一般公開へとつながります。

今回の資料整理では2時間弱で100点近くもの資料を整理することができました。ボランティアさんのおかげです。ありがとうございました。
 

平城貝塚と展示室のリニューアル

5月 23日 水曜日

愛南町御荘平城(ひらじょう)に所在する平城貝塚(県指定史跡)は、明治24(1891)年に高知県の地域史研究者・寺石正路氏によって発見された、県内でも早くから知られた縄文時代後期(約3500年前)の貝塚です。その後、昭和初年にかけては愛媛県内の研究者や中央の考古学者が平城貝塚を訪れ、発掘を行っています。本格的な調査は、昭和29(1954)年以降、平成8(1996)年まで5回に亘り、行われています。

出土遺物の多くは現地の平城公民館にて展示されていましたが、平城交流センターの新築に伴い、新たに展示室が設けられました。今回は、愛南町教育委員会の依頼で、この展示室の展示資料や展示方法についてアドバイスをするため、新しい展示室を訪ねました。

新設された平城交流センター

従来は公民館の廊下に設置されていた展示ケースにひっそりと展示されていた資料ですが、この展示室では、貴重な資料がゆっくり見学できます。当面は、これまで展示されていた資料を展示されるようですが、今年の夏頃には、よりわかり易い展示に変更することを予定されているようです。

展示準備中の展示室

この貝塚は、縄文時代後期の磨消(すりけし)縄文という手法で製作された平城式土器の標識遺跡として著名です。この土器は対岸の東九州の小池原(こいけばる)式土器と類似しており、豊後水道を介した人々の交流がうかがえます。また、貝製の笛や貝製の腕輪、獣骨で作られた漁具、当時の人々が食べた貝殻など、約3500年前にこの地域に暮らした人々が目の前に広がる海と深く関わっていたことがわかる資料がたくさんあります。
展示室は5月末にオープンする予定とのことですが、今後は、当館が保管する写真資料などをパネル展示することで、考古学の専門家でない一般の見学者も貴重な資料を理解できる展示室にしたいという担当者の意向をうかがいました。微力ですが、貴重な地域の宝を地域の方に理解していただけるよう協力したいと考えています。

村上節太郎写真14 頭上運搬する女性1 昭和20年代

5月 22日 火曜日

村上節太郎写真7-507
 村上節太郎が撮影した写真のなかには、たくさんの働く女性の姿がある。なかでも興味深いのは、かつて行われていた女性の頭上運搬を撮影していることである。頭上運搬が有名なのは、魚の行商を行う松前のおたたであるが、芸予諸島でも広く行われていた。

 写真は魚島の女性をとらえた一枚。魚島では頭上運搬することをカベルと言ったが、急な山に畑が開かれていたため、下肥を入れた肥桶も、収穫した作物もすべてカベッテ運んでいた。驚くことに、魚島の女性は、20貫(約75キロ)ぐらいはカベルことができたという。この頭上運搬の習俗は昭和40年頃を境に行われなくなるが、何げない女性の労働を記録した村上の写真はそれだけに貴重である。
 
※愛媛新聞連載「海と島に生きる」(平成19年1月27日掲載分)

南予の闘牛を知る5―観光闘牛への発展―

5月 21日 月曜日


※写真は、昭和24年、宇和島和霊土俵、村上節太郎撮影(当館蔵)

愛媛県では昭和4年には、闘牛は解禁され、宇和島周辺の牛主を中心に「南予牛角力協会」が設立された。「闘牛」ではスペインの闘牛のように殺伐なイメージを与えかねないとして「牛角力」と称した。

昭和23年にはGHQに禁止され、一時途絶えたが、昭和20年代後半には各地で闘牛が復活するものの、娯楽の多様化や農耕の機械化によって農作業に使役する牛が減少し、闘牛は自然衰微しかかった。

そこで、宇和島地方では、昭和34年に「南予闘牛振興会」を、南宇和地方では昭和36年に「南宇和郡闘牛組合」が相次いで結成され、定期的な闘牛大会が開催されるようになった。

宇和島では市や県からの助成金も交付され、農村の娯楽の「突きあい」から「観光闘牛」へと性格は変容していった。

昭和47年に南宇和郡でもサンパール土俵が完成し、観光闘牛が始まり、宇和島では昭和50年には宇和島市営闘牛場が落成し、現在にいたるまで闘牛大会が定期的に行われている。

南予の闘牛を知る4―突きあいの歴史―

5月 20日 日曜日


※写真は、南宇和郡城辺町(現愛南町)の「突きあい牛」

 日本における闘牛に関する初見は、平安時代末期から鎌倉時代初期に成立したとされる『鳥獣戯画』ともいわれている。しかしこれは、牛同士を人間が故意に突きあせしているのではなく、不意に牛が角突きを始めた場面の描写であり、現在の日本各地の闘牛とは直接関係しない。(牛は自然に角を突きあわせる行動をとるので、この自然行為をもって「闘牛」文化ということはできない。)

 日本各地の闘牛は主に江戸時代中期以降の史料に散見できるのみである。南予地方の「突きあい」は安政3(1856)年に野村組の庄屋文書に見えるのが初見であり、明治時代に入ると愛媛県の行政文書に数多く闘牛関係史料が現れる。これらは闘牛を禁止する旨を伝えたものが多い。

 民衆側は闘牛解禁の嘆願を行政側に度々申し入れ、明治23年頃には愛媛県当局から解禁され、「突きあい」は祭礼の余興として、また農閑期の娯楽として人々の生活に密着するようになった。

 ただし、大正~昭和初期にかけては、「突きあい」で賭博や喧嘩が問題化し、再び禁止されたが、その功罪をめぐる論争は県政界をも揺るがし、結局は闘牛興行が正式許可された。
 
参考文献:『南予地方の牛の突きあい習俗調査報告書』(愛媛県教育委員会発行、当館友の会販売)

村上節太郎写真13 小網のヒヤマ 昭和12年

5月 19日 土曜日

村上節太郎写真3-226
 村上節太郎は、古くから小網(伊予市双海町上灘)の共同経営によるイワシの巾着網に興味をもっていた。その証拠に村上は昭和12年、14年、26年と少なくとも三回にわたり小網を訪れ、何枚もの写真にその姿を記録していった。強い西風と波から船を守る茅葺きの船小屋。イワシの群れが湾内に入ると遠見が合図を送る明神山の魚見櫓。これらはいずれも、現在は目にすることができない漁業施設の姿を私たちに教えてくれる貴重な写真といえる。

 このヒヤマの写真もそうした一枚。山の傾斜面に階段状にたつ小網の各家では、屋根などを利用してヒヤマと呼ばれる棚をつくり、イワシやエビを天日乾燥した。瀬戸内式の気候に加え、谷風が一層の乾燥を促すことから、ヒヤマは民家の屋根と屋根との隙間を埋めつくし、特徴的な漁村景観にもなった。それは、かつては国鉄予讃線の車窓から見える日常風景でもあった。しかし、漁獲物の荷揚げから乾燥まで行う共同加工場ができた現在、その独特なヒヤマの風景も姿を消してしまった。

展示予告「異界・妖怪大博覧会」3―百鬼夜行絵巻1―

5月 18日 金曜日

 これは当博物館で所蔵している「百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)」という江戸時代に描かれた絵巻物で、さまざまな妖怪が登場します。

 妖怪たちが列をなして夜中に歩きまわる様子のことを「百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)」といいますが、この絵巻物の最初の場面では、「青鬼(おに)」と「赤鬼(あかおに)」が走っています。

 つぎに、その鬼に追いかけられるように、さまざまな妖怪が描かれています。これらの妖怪の多くは、鍋(なべ)や釜(かま)といった昔の生活で使っていた道具をもとにして、ふしぎな姿に表現されています。そして妖怪たちがユーモラスに行進し、絵巻の最後の場面は、赤くかがやく物体が描かれていますが、これは夜明けの太陽とも、仏の力で発せられた火炎ともいわれ、それに妖怪たちが追い立てられて逃げ惑う姿で終わっています。

 この絵巻物に描かれた妖怪には、天狗(てんぐ)や河童(かっぱ)といった、よく知られた妖怪はでてきません。そのほとんどは、古い道具が変化した妖怪です。道具も、大切に使わないと妖怪となるという考え方があったのです。

 愛媛でも「ノガマ」という妖怪の言い伝えがあります。草を刈る鎌(かま)を大切に使わず、野原に置きっぱなしにすると「野鎌(ノガマ)」という妖怪になって、そこを通る人を斬りつけてしまうという言い伝えです。これも、もともとは道具を大切にしようという一種の教訓といえます。

 この絵巻物からは、昔の人々が、道具は大事に扱うべきであり、道具にもたましいが宿ると考えていたことがわかります。

 7月10日からの企画展「異界・妖怪大博覧会」では、この絵巻を全場面展示公開する予定ですが、予告も兼ねて、この絵巻に描かれている妖怪の画像を今後、数回にわたって紹介していきたいと思います。

※企画展『異界・妖怪大博覧会―「おばけ」と「あの世」の世界―』は、愛媛県歴史文化博物館で7月10日(火)~9月2日(日)まで開催します。