村上節太郎写真3 由利島の季節集落(昭和20年代)

4月 7日 土曜日

村上節太郎写真6-42
 村上節太郎は愛媛県内のほとんどの島をめぐり写真に記録したが、現在は無人島になった由利島(松山市)にも何度か足を運んでいる。由利島は二神島の南約12kmにある小さな島で、付近の海域は古くからイワシの好漁場として知られた。夏の漁の時期になると、二神島からイワシ漁をする数百人が移り住んだ。

 写真は夏だけに住む集落を撮っているが、砂浜の上に茅葺きの小屋が建ち並んでいる。家族で暮らす小屋はとても狭く、一人に一畳以下のスペースしかなかったという。しかし、写真の雰囲気はどこかのどかで、村上も「南洋を思わせる島の家」と記している。村上は昭和39年に再び由利島を撮影しているが、前年に移住は中止、煮干しをつくった釜場には既に夏草が生い茂っている。

※愛媛新聞連載「海と島に生きる」(平成19年1月6日掲載分)

昆布収穫祭

4月 6日 金曜日

4月1日に愛媛県魚連・宇和島支部の魚市場で行われた昆布の収穫祭(主催:宇和海に緑を広げ環境を守る会)に参加しました。会員以外でも参加費は無料です。
私は、テーマ展「宇和海のくらし」(仮)の調査の一環で、収穫祭に伺いました。
会員の方々に伺ったお話も交えながら、収穫祭と、会の取り組みをご紹介します。

同会は、昆布で海を浄化し、きれいな宇和海を取り戻すことを目的に、平成15年に発足しました。昆布は海洋汚染の原因とされる窒素、リンなどを吸収して海を浄化します。また、光合成で二酸化炭素も吸収するため、地球温暖化の防止にも役立つのです。

今回は、1月14日に種付けした昆布が収穫されました。最初に種つけするときは3センチ程の昆布が、収穫の際は2~3メートルにも成長します。

昆布は水温が15度以上になると溶けるので、宇和海での養殖は3ヶ月程です。そのため厚さはあまりなく、だし昆布にはむきません。その代わり、食べるととてもおいしくて、酢の物や、汁物に、若布代わりに使うと良いそうです。
食用のほか、鮑や、真鯛のえさにも利用されています。真鯛のえさには、粉にしたり、あるいは生のまま使うそうです。昆布を食べた真鯛は、つやが出ておいしくなるとか。
昔は、畑の肥料にも使っていました。


会場の魚市場。「昆布収穫祭」の幟がはためいています。


開会式のあと、沖で養殖されていた昆布が宇和島漁協青年協によって運ばれてきました。船から水揚げされる巨大な昆布。子供たちは「コンブ星人だー」と早くもハイテンションです。


グループに別れた参加者がそれぞれのキャリのある場所まで昆布を運びます。


グループごとに昆布を鋏で綱から取り、キャリに入れます。
昆布は予想以上に弾力も重さもあります。「手がヌルヌルしてきたよー」と言いながら、皆さん楽しそうです。このヌルヌルがうまみ成分なのでしょうか・・・。食べるのが楽しみです。


キャリに入れた昆布をはかりにかけ、各グループの重さを決めます。全グループの重さが出揃ったところで、結果発表です。
各グループが収穫した昆布(単位:キログラム)はこのような結果となりました。
(1) (2)48.9(3)39.5(4)29.4(5)71.9(6)47.6(7)38.6(8)51.7(9)23.1(10)32.1


重さを測ったら、参加者が各自ナイロン袋に昆布を入れて、お持ち帰りです。
 海の恵みを、教えていただいたとおり、酢の物と味噌汁でいただきました。味噌汁全体に海の香りが広がって、絶品でした!

昆布うどんの試食(1人200円)
食生活普及協議会の会員の方が作ったうどんをいただきました。

今回の収穫祭の参加者は約200名でした。来年は、より多くの方々が参加されますように。
そして、宇和海をきれいにする取り組みがますます広がっていきますように。

「宇和海に緑を広げ環境を守る会」の皆様、ありがとうございます。
おいしい昆布をご馳走様でした。

村上節太郎写真2 野忽那の集落(昭和22年)

4月 5日 木曜日

村上節太郎写真6-16
 村上節太郎は、地理学者としてカメラを用いて愛媛を記録した。残されたフィルムは約20万枚。そこには、昭和4年から平成までの愛媛のありのままの姿が写し出されている。戦後、村上は民俗学者宮本常一らと離島振興法の制定に尽力しているが、そうした問題意識から、写真には島や海に関わるものが多く含まれている。

 この写真もそうした一枚で、戦後すぐの野忽那島(松山市野忽那)の集落を撮影している。忽那諸島の有人島としては、最も小さい面積の島に人家が密集している様子が分かる。写真当時の人口は1500人前後。村上は「耕地の少ない狭い島に人口が多く日本の縮図ともいえる」と記しているが、現在の人口は200人余り。過疎化が進む小さな島は、やはり現在でも日本の縮図といえる。

※愛媛新聞連載「海と島に生きる」(平成19年1月5日掲載分)

村上節太郎写真1 膨大に残るフィルム

4月 4日 水曜日

村上節太郎写真箱 
 明治42年に現在の内子町平岡に生まれた村上節太郎は、昭和32年に愛媛大学教授となり、同35年に「日本柑橘栽培地域の研究」により理学博士の学位を受けるなど、柑橘類研究の第一人者として知られる。また、カメラをこよなく愛し、大正11年に県立大洲中学校に入学、以来平成7年に亡くなるまで、膨大な写真を撮影した。その数はフィルムだけでも推定20万枚、プリントも含めると36万枚にも及ぶ。

 撮影地は日本だけでなく海外にも及ぶが、最も枚数を費やしているのが地元の愛媛で撮影された写真で、同じポイントにも何度も足を運び撮影を繰り返している。そのため、写真には愛媛に生きる人々の暮らしが、変化も含めてありのままに写し出されている。このシリーズでは、愛媛の記憶庫ともいえる「村上節太郎写真」から、ちょっと昔の愛媛の姿、暮らしを紹介したい。

西日本には少ない鹿踊

4月 2日 月曜日

吉田祭礼絵巻の鹿踊

 この写真は、当館所蔵の「吉田祭礼絵巻」(大正5年写)に描かれた鹿踊です。吉田祭は、宇和島市吉田町で毎年11月3日に行われています。江戸時代から賑やかな祭礼として有名で、現在でも鹿踊の他に、牛鬼(うしおに)や山車(だし)、御船(おふね)、四ツ太鼓、七福神など様々な練り物が登場します。
 
 さて、鹿踊は、南予地方の代表的な民俗芸能です。現在約70ヶ所で伝承されていますが、もともと鹿踊は、今から約400年前の江戸時代初期に伊達家が宇和島藩主として入部した際に東北仙台から伝えられたといわれています。

 現在の仙台の鹿踊と比較すると、頭の形相(ぎょうそう)は異なりますが、頭頂部の飾り物や幌幕(ほろまく)の五行色の横縞模様、そして唄われる歌詞等に共通する点が見られます。
 
 西日本において鹿踊(一人立シシ舞)は、南予以外では、南予に隣接する高知県西部や、武州川越(現埼玉県)酒井家の移封により福井県小浜市に伝えられているのみです。

 東北地方の民俗芸能文化が、400年の時を経ながら、現在、南予の地域文化として伝播・定着している事例として、非常に興味深く、当館でもこの鹿踊の調査研究・映像記録の保存を随時進めています。

ブログはじめます

3月 31日 土曜日

博物館での日々の出来事や収蔵資料の紹介、
展示室のみどころなど、歴博の学芸員がリレーで紹介していきます。
あなたの興味のある歴史の話も掲載されるかも!?
不定期発信ですが、ぜひのぞいてください。

テーマ展「おひなさま」は、残すところ1週間となりました。
博物館の桜は、まもなく満開になります。
お花見もかねて、ぜひ博物館へお越し下さい。

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