体験学習室リニューアル作業

4月 27日 金曜日

本日、5月3日の新体験学習室のオープンに向け、そこに展示する石臼を民俗収蔵庫から運び出しました。しかしこれが重いのなんの…。初め、二人で持ち上げようとしましたが、ビクともせず、結局職員七、八人で台車に載せ運び出しました。

こちらは、運んだ石臼を設置した後の様子です。

体験学習室は、エントランスホールの一番奥にでき、場所も以前より1.5倍ほど広くなります。そして、なおかつ無料で入室できるようになります。この場所から、子どもたちの元気な声が聞こえてくるのももうすぐです。

もうひとつの忽那文書を収蔵

4月 26日 木曜日

 現在、秋に開催予定(10/6~12/2)の企画展「戦国南予風雲録」に向けて様々な資料調査や写真撮影を進めているところです。
 そんな中、先日、松山市の佛性寺へ古文書の調査・撮影のためにうかがいました。当寺は、最澄に師事し晩年に延暦寺別当となった地元出身の光定上人が、天長6(829)年に勅により開創したと伝わる天台宗の古刹です。

佛性寺

 といっても、調査資料は実は当寺とは内容的に全く関係のない、天正7(1579)年4月20日付、河野通直(牛福)が忽那亀寿に宛てた感状です。

河野通直(牛福)感状

 宛先の忽那氏は元々本来忽那諸島(松山市中島)を本拠とした在地領主で、当時はすでに河野氏の配下となっていました。この頃、河野氏は毛利氏の助力を得ながら喜多郡北部肱川下流域で対抗勢力と軍事衝突や調略戦を繰り返していました。その相手は「大洲旧記」や「河野家譜」など後世の編纂物類によると土佐長宗我部氏の支援を得た大野直之の勢力といわれますが定かではありません。4月15日、花瀬城(大洲市北只)において合戦があり、河野方は敗北、そこで忽那式部少輔(通著)が奮戦するも討死したことが内容から分かります。この感状は、その功績を賞する旨を、息子の亀寿に対し伝えた文書です。忽那氏当主の子息に宛てていることから、当然最初は忽那家に所在したはずで、その意味でいえば現在知られている「忽那家文書」や「忽那とら文書」などと元は一連のものであったと考えられます。つまり、もうひとつの忽那文書ともいえるでしょう。
 約1年半前に1度簡単な調査にうかがったことがあったのですが、今回あらためて展示に向けた調査にうかがったところ、御住職から思いもかけず寄贈の申出をいただきました。当館には、戦国末期の河野氏と喜多郡の関係を示す資料としてすでに「柁谷家文書」を収蔵していますが、喜多郡の中世を物語る貴重な資料をもうひとつ収蔵できることとなりました。詳しい資料解説についてはまた別の機会に譲りたいと思います。
 秋の企画展ではもちろん展示を予定しておりますので乞うご期待!

夏の企画展「異界・妖怪大博覧会」展示予告

4月 25日 水曜日

本日、エントランスホールにて、夏の企画展「異界・妖怪大博覧会―『おばけ』と『あの世』の世界―」(7月10日~9月2日開催)の館内広報を兼ねた「展示予告」として、展示予定資料の写真パネルを設置しました。

作業は、博物館ボランティアさんのご尽力で非常にスムーズに進み、無事完了しました。ボランティアの皆様、感謝、感謝です。

企画展の予告編として、幽霊・地獄・妖怪などに関する写真パネルを40点掲示しています。企画展開幕直前の6月下旬まで掲示予定です。

ゴールデンウィークの「こどもの日イベント」や、「紙モノ大図鑑」展などで、博物館をご利用の際には、エントランスホールでぜひご覧下さい。

紙モノ大図鑑はじまりました

4月 24日 火曜日

会場入口
 紙モノ大図鑑ついにはじまりました。会期は6月17日(日)までです。会場には来館記念としてお持ち帰り用に、昭和初期の情緒あふれる松山の風景を木版にした永井刀専の復刻絵葉書セットを置いています。みなさまのご来館をお待ちしています。
永井刀専復刻絵葉書

雑貨屋できました

4月 23日 月曜日

紙モノの列品も最終盤。昨日は夜遅くまでかかって、それぞれのイメージを持ち寄って、雑貨屋さんをディスプレイしていきます。担当の学芸員が阿吽(あうん)の呼吸で必要と思われる資料を持ち寄ってつくりあげていきます。
雑貨屋の列品

 思っていたよりも早く完了。仕上がりはこんな感じです。
雑貨屋

 今日はこれからライティング。紙モノ大図鑑、開幕間近です。

紙モノの列品、追い込みです

4月 22日 日曜日

 紙モノの列品、苦戦中です。なかでも大量のメンコは並べても並べても先に進まない感じです。それでもようやく並び終えました。
めんこの展示

 こちらは女性の絵柄の絵団扇(うちわ)。クーラーがない時代は家の中にたくさん団扇がころがっていました。夏らしく浴衣を着た女性や当時のスターも印刷されていました。そんな団扇を専用の展示台に並べていきます。
絵団扇の展示

 こちらは少年少女雑誌に付いていた付録マンガ。手塚治虫や横山光輝など人気マンガ家の作品も、専用の器具を使って並べました。
付録マンガの展示

 額装したポスターなどはワイヤーでつっていきます。この高所作業では、当館の若手(?)学芸員が大活躍。昨日までの進捗状況は、独断で言うと60パーセントというところでしょうか。このままでは間に合わないので、今日は夜までがんばります。

宇和島市遊子水荷浦・ふる里だんだん祭り

4月 20日 金曜日

4月15日に宇和島市遊子・水荷浦(みずがうら)地区で行われた「第6回ふる里だんだん祭り」(主催:遊子自治会、NPO法人「段畑を守ろう会」など)に参加しました。テーマ展「宇和海のくらし」(仮)の調査の一環で、当日お伺いしました。
会員の方々に伺ったお話なども交えながら、当日の様子をご紹介します。

ふる里だんだん祭りは平成13年から開催されており、今年は6回目となります。地元の自治会や、NPO法人「段畑を守ろう会」(以下:守ろう会と略)などの主催です。
当日は、馬鈴薯(ばれいしょ)の即売会や段畑のガイドツアー、馬鈴薯重量あてクイズなどが開催されました。
 

JR宇和島駅前の宇和島バス本社前から無料送迎バスが出ていました。整理券をいただいてバスに乗ります。


バスに乗って現地に到着。続々とお客さんが来ています。沢山の出店も出ていて、賑やかです。


開会宣言などに続いて行われた遊子龍王太鼓。


馬鈴薯の販売が行われていました。
一年中、霜が降らない水荷浦では、日本一早く露地ものの馬鈴薯が収穫できます。段畑の石段による地熱効果もあるそうです。


遊子小学校の生徒さんが作成したかべ新聞です。
記事の内容は、守ろう会の方々と一緒に畑を耕し、お芋を作ったこと、猪にせっかく作ったお芋を食べられてしまったことなど。驚いたこと、しんどかったこと、うれしかったこと・・・生き生きとした文章や絵で表現されていました。


馬鈴薯重量あてクイズ。
3つのかごに合計約50キロの馬鈴薯が入っており、それぞれのかごの重さを予想します。
微妙な重さの違いが、どれほどの差になるのか・・・。何度も、持って、書き直しました。
結果発表はのちほど。

段畑ガイド。
守ろう会の方による段畑のガイドツアーです。
「水荷浦」という地名や段畑の歴史、重要文化的景観の選定への取り組みなど、わかりやすく解説していただきました。


一つ一つ手作業で組まれた石が、石垣となり、段畑を構成しています。石垣の強さを守るため、草むしりも欠かせないそうです。


馬鈴薯重量あてクイズの結果発表。
ステージで、1つずつかごの重さを計り、正解を発表。正解した方で、そのかごの馬鈴薯を分けてお持ち帰りできます。100グラム単位まで予想するクイズなので、それをズバリ的中なさった方はすごいです!


当たりくじつき餅まき大会。
お客さんたちは、餅を入れる袋を用意してスタンバイ。
当たりのお餅には、魚の印の焼き印がおしてあるそうです。

この他、アマチュアバンド演奏や、子供向けのイベント(ミニSL運行など)も行われました。
去年よりも少ないとのことでしたが、多くのお客さんがいらっしゃっていました。
このようなイベントが、多くの方々が段畑について関心をもっていただくきっかけになればと思います。
守ろう会の皆様を始め、「ふる里だんだん祭り」の準備・運営に携わられた方々、お疲れ様でした。
 

紙モノの列品はじまりました

4月 19日 木曜日

 いよいよ迫ってきたテーマ展「紙モノ大図鑑」。今回は、企画展示室と文書展示室の2室に多彩な紙モノたちが所狭しと並んでいきます。

 4月17日から壁パネルを組んだり、壁パネルのクロスを貼り替えたり、展示ケースを運び入れ、徐々に展示室の形ができていきます。今回のクロスは初めてストライプのものを使ってみましたがどうでしょうか。今はそっけない壁パネルも、カラフルなポスターが掛かるとどう変化するかとても楽しみです。
企画展示室壁パネル

 企画展示室のなかには、お店屋さんも組上がりました。これは昔よく見かけたなんでも売っている雑貨屋さんを再現する予定です。駄菓子屋と本屋と文具屋を混ぜたようなイメージですが、なかをどうディスプレーするか、まだ思案中です。
お店屋さん

 4月18日からは少しずつ資料の列品を始めて、文書展示室は、映画関係の資料や時代を代表するスターの資料を並べ終えました。昭和30年代のスターがにっこり微笑む「明星」もきれいに並び、みなさまをお待ちしています。
文書展示室の様子

 そして、いよいよ今日からは企画展示室の列品にとりかかります。

八幡浜市真穴の座敷雛

4月 18日 水曜日


 「真穴(まあな)の座敷雛」は、毎年4月2~3日にかけて、八幡浜市真穴地区で行なわれる長女のための雛節供行事である。座敷いっぱいに飾りを豪勢に施し、人々の眼を惹きつける。毎年数万人の観光客も訪れ、南予地方を代表する観光行事ともなっている。

 平成14年には八幡浜市の無形民俗文化財に指定されているが、雛祭りを月遅れで実施するようになったのは、戦後間もなくからであり、それまでは、旧暦3月3日に行なっていたという。

 真穴地区は、八幡浜市真網代(まあじろ)・穴井(あない)などを総称する地名である。八幡浜市南部に位置し、宇和海に面している。半農半漁の集落だが、真網代は段々畑が広がり、柑橘類の生産が盛んである。穴井は、真網代に比べると蜜柑農家はやや少ないが、古くから商売で栄えていた地区である。現在は過疎化が進むが、年配の方々に聞くと、かつて、穴井は裕福な所であり、穴井に嫁ぐことは他地区の親から羨ましがられたという。

 「座敷雛」の習俗は、もともと穴井地区に限られていたものであった。しかし、少子化の影響により、定期的な継続が困難となり、対象を広げて真網代も含め、真穴小学校区全体に拡大した。それでも少子化の波は収まらず、現在では、都会などの他所に出ている真穴出身者に長女が誕生した場合にも行うようにして、毎年の実施軒数を確保している状態である。

※写真は、今年(平成19年)の穴井地区の座敷雛。

村上節太郎写真10 瀬戸内海の布団だんじり 昭和27年

4月 17日 火曜日


 瀬戸内海沿岸の秋祭には、屋根に布団を重ねた「だんじり」が数多く登場する。この「布団だんじり」は特に香川県西部から愛媛県東予地方に色濃く分布する。山間地には少なく、かつて海上交通の盛んだった地域の祭によく見られる。

 新居浜市や四国中央市の太鼓台は豪華に刺繍(ししゅう)を加えた布団だんじりとして有名であるが、それに比べて素朴なものが、しまなみ街道沿いの各地に伝えられている。

 写真のだんじりは、大三島の大山祇神社の産須奈(うぶすな)大祭(秋祭)に登場する宮浦のものである。車輪をつけるのが特徴で、同型のものに西条祭りに登場する「御輿(みこし)」がある。地元の言い伝えで、大正時代初期に西条から譲り受けたともいわれ、海を越えて、だんじり文化が広がったことを物語る。

 愛媛の秋祭は大三島から始まるといっても過言ではない。旧暦8月15日前後に島内各地区の祭が行われ、その翌週、大山祇神社の産須奈大祭に島内の獅子舞や奴行列等がお供として参加し、賑やかに祭が行われる。

※愛媛新聞連載「海と島に生きる」(平成19年1月22日掲載分)

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