「愛媛・災害の歴史に学ぶ」24 旧松山藩士族と福島県開拓移住地(2)

3月 27日 月曜日

郡山市教育委員会の文化財担当者から郡山市指定文化財となっている旧小山家住宅や県指定文化財の開成館の被災状況と今後の復旧の予定等をうかがうことができました。旧小山家住宅は、愛媛県松山市から郡山市牛庭地区への移住者が明治時代に建てた住宅であり、移住開拓のシンボルとして郡山市中心地の開成館(現在、郡役所の前身である区会所や安積開拓官舎など郡山開拓に関する歴史的建造物を保存公開する施設となっている)の敷地内に移築、保存されている建造物です。この旧小山家住宅については犬伏武彦氏『民家と人間の物語—愛媛・古建築の魅力—』(愛媛新聞社、2003年刊)に詳細に紹介されています。現在、開成館はやはり地震被害のため閉館した状態でした。ただ、旧小山家住宅を含め建築士による診断を行い修繕の計画を既に立てており、平成24年度内には再オープンする予定で修繕費を予算化しているとのことでした。

この開拓移住者の住居であった旧小山家住宅は犬伏氏が言うには「日本一貧しい住宅」であり、実見すると梁が細く構造的に弱い建築のようにも思えましたが、震災の震度6弱の揺れでは倒壊することはありませんでした。

土壁に多くのヒビが入ったり、濡れ縁の土台と柱がずれたり、障子紙が揺れによって破れたりという被害がありましたが、他の建築物に比べると修繕で対応できる小規模被害であったとのことです。旧小山家住宅については平成24年夏に修繕を完了しています。

教育委員会にうかがった後、松山の方々が実際に移住した郡山市南部の牛庭地区に足を運びました。そこでは牛庭区長、副区長に出迎えていただき、いろいろなお話を聞く事ができました。今でも松山からの開拓移住者のご子孫も多く、それには驚かされました。実は災前の平成22年10月27日には全国の中核市サミットが郡山市で行われ、そこに副市長をはじめ松山市職員5名が出席したこともあり、安積公民館牛庭分館において「松山副市長を囲む会」が行われていました。この主催は「牛庭区松山藩入植者子孫」であり、地元に住む入植者家族18名が出席したということです。現在でも松山市との交流が行われていることを現地にうかがって知った次第です。

そして牛庭には松山からの移住者による開拓記念碑なども建てられており、松山との交流の深さを実感しました。明治時代の安積開拓は明治政府による安積疏水事業によって始まりますが、その安積疏水(現在は4月26日から9月10日に水が流れるようになっている)のちょうど真上に松山関係の記念碑が建てられていました(写真参照。奥に向かっているのが安積疏水)。水路の上に記念碑というちょっと珍しい建て方には少し驚かされましたが、それだけ象徴的な記念碑として扱われているのです。そして地元の氏神である三島神社を訪問しました。伊予大三島の大山祇神社と繋がりがあるとのことで、社号の扁額は現在の愛媛大山祇神社の宮司が書いたものでした。この三島神社は、社殿自体の被害はなかったのですが、鳥居がもろくも倒壊していました。倒れたというよりも固定していた基礎を残して折れた状態です。これについては災後十ヶ月を経過しても全く復旧できていませんでした。修理、新調の計画も立っていないということです。そして旧小山家住宅がもともと建っていた場所も教えてもらい、いろいろ牛庭を散策してみました。地区内は被災した住宅、建て直している住宅、いろいろ地震の爪痕が見受けられ、各個々人の生活復旧が進んでいるものの地域共有の神社等の復旧は今後の予定だという状況でした。このように地元の教育委員会、公民館、区長、副区長、そしてゼミの友人にいろいろお世話になりながらの現地確認となりました。

以上、松山と繋がりのある福島県郡山市の史跡の現況はこれまで愛媛県内でも充分に知られていないこともあり、旧小山家住宅、牛庭地区、三島神社等を紹介した次第です。