10月24日、特別展「伊予の城めぐり-近世城郭の誕生-」の関連講座として、大洲市教育委員会の白石尚寛先生を講師に、「大洲城を歩く-城下町探訪-」が実施されました。当日はあいにくの雨でしたが、30人以上の方にご参加いただきました。
大洲城の二の丸の敷地内である市民会館を出発して、内堀に沿って歩いていきます。現在、内堀は埋め立てられていますが、しばらく歩くと1カ所だけ内堀の地形をそのままとどめている場所が内堀菖蒲園として整備されています。
公園から西に少し歩くと、外堀があった場所に行き当たります。三之丸の北西に当たるこの場所にはかつて二重櫓の北西隅櫓があり、現在でも石垣がしっかりと残っています。
三之丸のエリアから外れ、次に外堀沿いに南下していきます。外堀の場所も現在は埋め立てられ、完全に宅地化しています。 三之丸は上層の藩士が住む武家屋敷であるのに対して、その外側のエリアは、それより低い階層の藩士が住む武家屋敷が続いていました。明治に入り武家屋敷にも地租が設定されると、屋敷として維持することが困難になり、桑畑へと変化していきます。
実際に昭和10年代の地図を見ても、左側に鉄砲通りと記されたこのエリアには畑の記号が入っており、桑畑になっていたことが推測できます。
このエリアを抜けて、再び三の丸エリアに入り、大洲高校方面に向けてさらに南下します。そして、お殿様公園として整備された国登録有形文化財の旧加藤家住宅を見学しました。旧加藤家住宅は、旧大洲藩主の加藤家が大正14年に建築した木造2階建ての和風建築。2階の3面が当時「ガラス障子」と呼ばれたガラス窓て、旧大名家の住宅にふさわしい開放的なつくりになっています。昭和52年公開の映画『男はつらいよ-寅次郎と殿様-』にも、殿様の屋敷として登場したそうです。
今回は歴史学習の講座ということで、普段立ち入ることができない住宅内部も見学を許可していただきました。やはり見どころは2階の3方向にまわるガラス障子。よく見ると、作られた当時のものと思われるガラスも所々に残っていて、外を覗くと風景が少しゆがんで見えます。

北側のガラス障子からは、大洲城の天守を正面に見ることができます。眺望という点でまさに贅沢な住宅といえます。
南側の窓からはすぐ近くに三の丸の南隅櫓が見えます。南隅櫓は享保7(1722)年に焼失しているので、現存するのは明和3(1766)年に再建されたもの。厳しい藩財政の問題から再建するまでに40年以上かかり、さらに木材についても重要な部分だけに杉を使い、それ以外は栂(つが)にするなど、経費をおさえる工夫がされているそうです。
お殿様公園を出て、しばらく歩き外堀を挟んで三の丸の南隅櫓が見える場所まで移動。このポイントは明治末~大正時代と思われる絵葉書になっているので、絵葉書と現在の景色を対比してみました。
南隅櫓付近は松並木があったそうですが、絵葉書には確かに数本松の姿が見えます。外堀は埋め立てられて大洲高校のグラウンドとなっていますが、現在でも堀の形がしっかり残っていることが分かります。
この後さらに町人が住んでいた城下町部分も巡見するつもりでしたが、残念ながら降り続く雨のため、ここで中止せざるを得ませんでした。なお、大洲城の見どころを詳しく解説いただいた白石先生には、特別展図録に「大洲城下町における町割の変遷について-中町一丁目を中心に-」を執筆いただいています。大洲の城下町についてはぜひ論考を御覧ください。







