開催中!「戦国南予風雲録」-西園寺公広書状の原本3点(うち1点の紹介)-

2007年10月16日

 南予を代表する戦国の領主といえば、松葉城・黒瀬城(西予市宇和町)を本拠とした西園寺氏ではないでしょうか。となれば、代表的なのですからさぞたくさんの資料が残り、多くの歴史を物語ってくれるだろうと思うと、全くそうではありません。ゆかりの品や古文書類、当時の原資料を目にすることはほとんどありません。
 そんな中、今回の企画展の調査の中で発見したものも含め、最後の当主西園寺公広が発した書状の原本を3通確認することができました。戦国時代の歴代の宇和西園寺氏が出した文書で原本を伝えているのは公広のみで、しかも公広でさえ現在確認できるのは3点のみです。つまり、極めて希少な西園寺氏発給文書の全てということになります。
 今回の企画展「戦国南予風雲録」では、残念ながら原本の借用展示は叶いませんでした。しかし、その画像だけでも里帰りさせて、地元の皆様にご覧いただこうと、写真パネルにより展示をいたします。ぜひご来館の上、間近でその画像をご覧になってみてください。


西園寺公広書状「浦家文書」(個人蔵・山口県文書館保管)

 西園寺公広から小早川隆景の家臣乃美宗勝へ、8月1日の八朔儀礼の祝儀として土佐弓十張を贈った際の書状。雁皮紙という少し上質の紙を使用しています。また、封紙を見ると、「松葉 公広」と自称している事も分かります。この文書が収録されている「浦家文書」の多くは、資料集『大日本古文書』に翻刻がされて紹介されているものの、この文書は掲載がされておらず、そのため今まで存在が一般に知られていませんでした。今回初めて一般に紹介します。

(残り2点、近日掲載します)