秋田藩佐竹家の古文書は現在秋田県公文書館が所蔵しており、その中に佳姫(よしひめ)の婚礼の準備に関わる記録が残っています。この記録については、(財)宇和島伊達文化保存会に伝わる宇和島藩側の記録とともに、藤川裕子氏が『佳姫婚礼記録』(2007年)として活字化されており、佳姫が結婚するまでの過程を詳細に知ることができます。この貴重な成果を参考にしながら、宇和島藩9代藩主伊達宗徳(むねえ)と佳姫との婚礼について紹介します。
安政3(1856)年の5月23日、宗徳と佐竹家姫君との結婚が内定します。それに続いて、6月に秋田藩の御出入の幕府坊主谷村三育を通じて、宇和島藩から秋田藩へ佐竹家の姫君についての照会があります。ちなみに、この谷村三育は、宇和島藩の記録にも登場しますが、大名家の婚姻に当たりそれぞれの藩に懇意にしている幕府の坊主がおり、この坊主を通じて婚姻の話しが進んでいくことが分かります。谷村三育を通じた照会の内容は、宇和島藩の問いに対して、その答えを秋田藩が書いた付箋を貼って、そのまま宇和島藩に返されています。その最初の部分を引いてみると、次のようなことが記されています。
一御姫様御名 ならび カナ付 付札 佳(ヨシ)
一同 御年は御いくつに被為成候哉 同 二十三歳
一同 御続合…(省略)… 同 右京大夫実姉
右京大夫実姉とありますが、これは当時の秋田藩主佐竹義睦(よしちか)のことで、その姉に当たるということを記しています。
そして、その後に大事なお金についての相談になりますが、それについては次のようにあります。
御化粧料、御召服御賄方御手元金
一金三千両 初年斗
一同千三百両宛 翌年より年々
ここにあるように、秋田藩は最初に3000両、その翌年からは毎年1300両ずつ佳姫の化粧料を宇和島藩に支払うということが記されています。細かいデータは提示しませんが、1両は一般的には現在の10万円と考えられているようです。そうすると、最初の3千両は3億円に相当します。ただし、佳姫が結婚した幕末は、金の価値が暴落しており、安政3年頃だと10万の半分の5万円ぐらいになっていたともいわれています。それでも3千両は1億5千万くらいになり、その翌年から毎年支払う金額1300両も6500万円くらいに相当することになり、お姫様の結婚は、実家側の財政負担が随分あったことがわかります。