佳姫(よしひめ)は、婚礼後しばらくは江戸で暮らし、安政5(1858)年に伊達宗徳(むねえ)が家督相続、宇和島藩9代藩主となると、「御前様」と呼ばれるようになります。文久2(1862)年閏8月、文久の改革により参勤交代の制度が緩和されると、江戸から国許へと移り住むことになり、その翌年4月26日に宇和島に到着しています。宇和島藩の記録を見ると、佳姫の宇和島での様子としては、慶応元(1865)年4月30日に猶姫(宗城の正室)と一緒に家老神尾帯刀(たてわき)の別荘を訪れてタケノコ掘りをしたこと、9月9日に一宮神社の祭礼見物に外出したことなどがわかります。
慶応2年にはイギリスの駐日公使パークスが乗船したイギリス軍艦が宇和島に来訪し、その時の様子を通訳官のアーネスト・サトウが『一外交官の見た明治維新』に次のように記しています。
隠居(伊達宗城)が立ち去ってから、この二人の君侯(宗城と宗徳)の妻子たちが艦にやってきた。彼女らは少しも私たちを恐れる気色がなく、ヨーロッパの淑女と同じくらいの心安さで、気持ちよく話をした。
サトウが記した君侯の妻子たちの中に、佳姫もいたものと思われます。様々な教養を身につけている大名家の婦人は、西洋人サトウの眼にもレディそのものに映ったことでしょう。