お菓子な史料2 唐饅頭の菓子缶

2011年7月29日

特別展「昭和子ども図鑑」でお借りしている山星屋コレクションの中から、おもしろいお菓子史料のいくつかを紹介します。

今回の展覧会では、古い菓子の箱や缶がたくさん展示室に並んでいますが、そのいずれもカラフルなもの。エンゼルあり、ランナーあり、キャラクターあり、パッケージのデザインもどれをとってみてもなかなか凝っています。そんななか1点とても地味な菓子缶があります。展示室でずらりと並んだ史料の中で見過ごされそうな地味さ。全体が黒づくめの缶にうっすらと文字が見えます。全体の印象としては、キャンプに行ってご飯を炊くのに使う飯ごうみたいとでも言えばいいのでしょうか。

その飯ごう、じゃなかった、菓子缶に書かれている文字を少し読んでみると、驚くべき事実が。なんと「宇和島名産 元祖 唐饅頭」とあるではありませんか。地味などと言ってすみません。ご当地の菓子缶でした。

まず缶の表側に記された文字を読んでみましょう。上部は横書きで右から左に「賜宮内省御用品之栄/明治四十年十月十七日以降/元祖」とあります。下部は縦書きで「宇和島名産/唐饅頭/陸軍御用」とあります。

缶をぐるっと180度回転させて、裏側も見てみましょう。こちらにも文字があります。読んでみると、上部は表側と同じ横書きで「於内外国各博覧会共進会/金銀賞牌五十餘個/賞状六十餘枚受領」と見えます。下部は縦書きで、「清水閑一郎謹製/本店/宇和島市追手通電五三三番/支店/宇和島市樽屋町電二一九番/出張店/宇和島市樺崎船客待合室内」と読めます。

唐饅頭(とうまんじゅう)は、砂糖・卵などを混ぜてこねた小麦粉の皮で餡を包んで両面を焼いた焼菓子で、宇和島と香川県の観音寺の郷土菓子として知られています。この菓子缶に登場する清水閑一郎商店のものは特に有名で、数々の賞を受けており、追手通に本店、樽屋町に支店を構えるだけでなく、交通の大動脈であった樺崎の船の待合室にも販売所を設けていたことがわかります。清水閑一郎商店を調べてみると、愛媛県生涯学習センターのHPの中に、清水閑一郎氏の孫に当たる清水和氏からの聞き取りが掲載されていることがわかりました。唐饅頭の製造方法など詳しくは、そのHPをご覧ください。

http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=1&P_SNO=7&P_FLG1=2&P_FLG2=1&P_FLG3=2&P_FLG4=5

聞き取りによると、閑一郎氏が唐饅頭をつくり始めたのが明治初め頃。明治40(1907)年頃に宮内省の御用品になったのでしょうか、そのことが缶には誇らしげに記されています。また、缶には「陸軍御用」の文字が見えますが、陸軍御用の意味について、聞き取りには次のように書いています。

昭和12年から日中戦争が始まり、次第に物資不足になっていましたが、特別に材料をいただいて、出征(しゅっせい)兵士の慰問用に陸軍省に納入していたそうです。当時は、宇和島中のお菓子屋さんが唐饅をつくっていたので、陸軍省のお声掛かりだというので各店でつくってまとめて納入したようです。

つまり、この「陸軍御用」の文字が入った唐饅頭の菓子缶は、出征兵士の慰問用につくられたものだったのです。郷土から送られてくる菓子を、戦地で兵士たちはどのような思いで食べていたのでしょうか。

なお、菓子缶とほぼ同時代と思われる昭和10(1935)年刊行の浅井伯源著『伊豫乃宇和島』(愛媛郷土研究会)にも清水の唐饅頭は登場していて、次のように記されています(旧字は新字、旧仮名は新仮名に改めました)。

宇和島の銀座、追手通清水商店の唐饅は、その高雅、優秀なのを以て夙(つと)に有名で、宮内省、陸軍省等の御用達の名誉を担っている、別に同店で製造する名菓に「柚練り雲の袖」がある、香味絶佳、唐饅と共に宇和島のお土産たる価値が満点である。

慰問用として戦地に送られていた菓子缶が遺ることは、極めてめずらしいことと思います。調べてみると、地味ではありますが、唐饅頭の菓子缶自体が貴重な歴史の証言者であることがわかってきました。