お菓子な史料6 カバヤ文庫

8月 26日 金曜日

特別展「昭和子ども図鑑」でお借りしている山星屋コレクションの中から、おもしろいお菓子史料のいくつかを紹介します。

お菓子を買う楽しみには、食べる楽しみ以外にも、それに付属しているおまけを集めるという楽しみもありました。おまけというと最初に思い浮かぶのはグリコの豆玩具という人も多いと思いますが、昭和20年代にグリコと同じくらい人気のあったおまけとして、現在展示している「カバヤ文庫」があります。「カバヤ文庫」は昭和27(1952)年の登場。カバヤキャラメルに封入されている文庫券を集めると、「カバヤ文庫」と交換できるというものでした。

このカバヤ文庫については、昭和19年に愛媛県西宇和郡伊方町九町に生まれた俳人坪内稔典さんが、子ども時代の思い出を『おまけの名作 カバヤ文庫物語』(いんてる社、1984年)に記しています。九町の井上菓子店で坪内少年がカバヤ文庫と出会う場面が印象的なので、少し長く引用します。

ぼくの「カバヤ文庫」は、井上菓子店の菓子箱(ケース)のなかにずらりと並んでいた。『ピノキオの冒険』『若草物語』『ジャックと豆の木』『ロビンソン漂流記』などが、赤地に白ヌキされた題名を並べていた。
その「カバヤ文庫」のなかから、ぼくは『レ・ミゼラブル』を選んだ。その『レ・ミゼラブル』は、はじめてぼくのものになった本らしい本であった。表紙には、ジャン・バルジャンがコゼットと散歩しているようすが描かれている。ジャベール警視の執拗な追跡を受けているジャンの、それはつかのまの幸福を描いた絵だ。みなし児のコゼットを引きとり、父親になったジャンは、コゼットの手をとって口元に微笑を浮かべている。
それまでのぼくは、本らしい本、すなわちハードカバーの本を持っていなかった。…(中略)…それだけに、ガラスケースの菓子箱のなかに、ずらりと並んだ百冊を超す「カバヤ文庫」は、そのハードカバーのゆえに、まず何よりも魅力だったのである。後年、改めて手にした「カバヤ文庫」の表紙は、ボール紙に上質紙を巻いたものにすぎなかった。この表紙が見返しの紙によって針金でとじた本体にくっついている。それはいかにも安上がりの製本だが、なにしろ「カバヤ文庫」は、キャラメルのおまけであった。安上りの製本でありながらも、ともかくハードカバーであったところに、このおまけの人知れぬ工夫があったのかもしれない。

坪内さんによると、当時住んでいた集落には、幟(のぼり)をつくる本業のかたわら、わずかに「小学○年生」などの雑誌を扱っている店しかなく、家にも数冊の本しかなかったそうです。本を手に入れるには、八幡浜に自宅があった担任の先生に頼んで買ってきてもらうか、晩秋のさつまいもの収穫が終わる「ほごこかし」の日に、八幡浜と半島の島々を結ぶ木造の定期船「八幡丸」に乗って川之石の商店街まで行き、むつみ屋という文房具や本を置いている店で文庫本を買うかしかなかったとあります。そのような中で、本とは少し場違いな菓子店に突如並び始めた「カバヤ文庫」は、坪内少年の目にどんなにか輝いて見えたことでしょう。児童書がまだ高価だった時代に、10円のキャラメルで本を手に入れることができる「カバヤ文庫」は多くの子どもたちに受け入れられました。その結果、昭和27~29年までのわずか2年間で159冊、約2500万部が発行され、当時の隠れたベストセラーといわれています。

「カバヤ文庫」の159冊の書名を見ると、最初に発行された『シンデレラ姫』をはじめ、『ピノキオの冒険』、『母をたずねて』、『ロビンソン漂流記』、『イワンのばか』などの、誰も知っている世界の名作がずらりと並んでいます。つまり、著作権が切れた世界の名作をダイジェストしたものが「カバヤ文庫」で、当時「カバヤ文庫」を通じて世界の名作に親しんだ子どもも多かったものと思われます。その後、カバヤは人気になり始めていたマンガに着目、文庫と同じサイズ、装幀で「カバヤマンガブック」を出し始めます。「カバヤ文庫」にマンガを加えたことで、マンガ嫌いな学校や親の忌避に逢い、カバヤ文庫はわずか2年で刊行を終えることになったとされています。果たしてそうでしょうか。

当館の所蔵品に昭和32年頃と思われる「カバヤココナツキャラメル/カバヤプリンスキャラメル」の宣伝ポスターがあります。そこにはココナツキャラメルの中に「カバヤくうぽん券」が入り、そのくうぽん券で好きな新刊雑誌1冊か、カバヤ文庫10冊セットに交換できることが記されています。新刊雑誌としては、大人用に『平凡』『明星』『文藝春秋』『オール読物』など11種類、子ども用に『幼稚園』『幼稚園クラブ』から『小学○年生』の各学年のもの、さらに『少年』『少女』『少年クラブ』『少女クラブ』『漫画王』など28種類の雑誌名が並んでいます。この頃少年、少女雑誌ともにマンガが台頭、豪華な付録が売りになっていました。そうした本職の子ども雑誌に、「カバヤ文庫」は押されていき、ついには10冊セットでもなかなか引き取られない状況にあったのでしょうか。「カバヤ文庫」が登場した昭和27~28年は時代の転換期だったのかもしれません。物不足から物が行き渡り始めるちょうど狭間の時期だったともいえます。「カバヤ文庫」の終焉には、何かそうした時代の力が大きく関わっているように思えてなりません。