
現在よりものんびりとしていた鉄道の旅。その楽しみの一つに駅弁を食べることがありました。上の写真は昭和36年に鈴木弁当店を撮影したもの。松山駅で駅弁を販売する鈴木弁当店はもとは「寿々喜」の屋号の料亭でしたが、昭和13年の予讃線の松山・八幡浜の開通にともない駅弁に進出。松山駅でも販売員が箱に入れて、「べんとー、おべんとぉー」とホームを流す立ち売りが始まりました。
松山駅における駅弁の販売から間もなく、次第に戦争が激しくなります。食材の確保も難しくなるなか、鈴木弁当店は、戦争に勝つことと松山城のある勝山とをかけあわせた「勝山蒸」を販売して乗り切りました。これは蒸かしたサツマイモだったそうで、その包紙には「代用食 勝山蒸」の名前、「金二十五銭」の値段とともに、「出征兵士を見送る歌」が印刷されていました。
統制経済で米が自由に入手できない終戦直後にはアイスキャンディーや蒸しパンを売り、ようやく昭和30年代に入ると様々な統制もなくなり、松山駅でも様々な駅弁が販売されるようになりました。

展示室には昭和30年代の松山駅の駅弁屋さんを再現しています。ちょうどこの頃から観光旅行が盛んになり、国鉄から全国の駅弁業者に対し、郷土食の販売が要望されました。そこで祭りやお祝いごとの時に大きな竈(かまど)で炊いていた郷土食の炊き込みご飯をアレンジした「醤油飯」が昭和35年に発売され、松山駅人気の駅弁になりました。濃口醤油で炊き込み、鶏肉や松山揚げ(干し油揚げ)、コンニャク、ニンジン、ゴボウ、タケノコ、山菜などの具がたっぷりのっています。
写真のような駅弁の立ち売りの全盛期は昭和30年代で、昭和40年代に入るとスピード化とともに駅での停車時間が短くなり、窓が開閉できない車両も登場して、昔ながらの立ち売りはついに姿を消します。現在、松山駅の駅弁は売店販売のみとなっています。