「高虎と嘉明」紀行8 -今治城-

11月 2日 木曜日

今治港から南へすぐの所に、広い水堀と高い石垣に囲まれたお城が見えてきます。高虎が築いた今治城です。

慶長5(1600)年の関ヶ原合戦で徳川方に味方した高虎は、恩賞として伊予半国20万石を拝領し、加藤嘉明と伊予を二分します。それまで南予に領地を持っていた高虎でしたが、東予にも領地を獲得し、古くからの伊予府中の地である越智郡今治平野に、慶長7(1602)年から新たに今治城の築城を開始します。
伊予での新しい支配の本拠という意味だけではなく、瀬戸内海の要衝来島海峡や芸予諸島を監視する役割も担っていたとも考えられています。

今治城

今治城は、直線・直角を基調とする曲輪構造や層塔型天守の採用など、その後の近世城郭で多用される築城技術を導入した先駆的城郭と評価されています。
浅川と蒼社川に挟まれた海岸部の砂地に新たに築かれた平城で、中堀の北隅には海岸の砂洲を利用する形で大きく船入が設けられました。この船入が、現在の今治港へと発展します。
海の機能を取り込む独特の構造のため、今治城の堀は海とつながり、今も内堀北隅の取水口から海水が出入りします。潮の干満の影響を受け、海の魚が泳ぐ姿も見られます。

今治城内堀取水口

特別展では、江戸時代前期の今治城や城下の初期の姿を描いた城絵図や城下絵図を4点(実物3点、写真パネル1点)展示しています。
今回の特別展を機会にこれら絵図を比較検討すると、今治城の縄張は高虎時代にできていたものの建物は未完成のところもあり、完成した姿になったのは後に藩主となった徳川一門久松松平家の改修を経た後であることが見えてきました。詳しくは、展示図録に論考を掲載しています。

今治城では、平成19年に城跡の玄関の鉄御門が復元されており、城跡を訪ねる雰囲気を一層演出してくれます。
特別展では、この鉄御門の復元に先立つ発掘調査で出土した瓦や裏込石(転用石)も展示しています。高虎が支配拠点とした宇和島城や大洲城で出土した瓦と同じ文様の瓦もあり、興味深いところです。

高虎の今治築城は、慶長13(1608)年には使用可能な状態にまで仕上がったようですが、同年に伊賀・伊勢へと国替になって伊予を離れることとなり、今治城と領地支配は養子の高吉に引き継がれました。

築城名人と評される高虎が、新たな手法を導入しながら手掛けた新支配の象徴、それが今治城だったのです。

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