調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第2回
2017.7.27

庄屋になった子孫継承

戦国期小領主の鎧兜

大洲の小領主のものと伝わる紋柄威五枚胴具足と銀箔押帽子形兜=安土桃山時代~江戸時代初期、個人蔵・県歴史文化博物館保管
 伊予灘を望む滝山城(大洲市長浜町)の戦国時代末期の城主・久保行春が所用したと伝わる鎧(よろい)兜(かぶと)がある。紋柄威五枚胴具足(もんがらおどしごまいどうぐそく)と、銀箔押帽子形(ぎんぱくおしもうすなり)兜だ。
 鎧は、鮮やかな浅葱色(あさぎいろ)を基調にしながら、前に紅、後に白で、おめでたい模様とされる州浜(すはま)紋をあしらっている。五枚の胴をつないでいるが一見、二枚胴に見えるように威糸を編み込むなど手が込んでいる。兜は銀箔を施し、僧侶がかぶる頭巾(ずきん)の一種である帽子(もうす)をかたどっている。
 久保氏の子孫は、新谷藩領の今坊(こんぼう)村の庄屋を務め、その家から発見された。鎧櫃(よろいびつ)には滝山城主・久保行春の所用として伝わったことが墨書されており、江戸時代後期の地誌「大洲旧記」には「鎧は城主の時より伝来、紋はすはま、兜は別の品であるといわれている」といった内容で、庄屋宅に伝わる鎧と兜が紹介されている。
 特徴が一致することから、この鎧と兜が先祖ゆかりのものとして代々受け継がれていたことが分かる。江戸時代の大名家に伝わる鎧や兜は数多く残っているが、中世から近世に移り変わる時代の地方の小領主のものとしては、貴重な残存例と言える。
 ちなみに、久保氏ゆかりの武具には、この他にも麻製の流旗(ながればた)、1519(永正16)年の「長船祐定」銘のある刀なども伝来している。旗は上段に神仏名、中段に上がり藤の紋が入るものだが、こちらも「大洲旧記」の中に「白地に上り藤の紋」の旗が伝わっていたことが紹介されている。
 発見された当初は汚損や破損が著しい状態だったが、専門家の協力を得ながら修理などを進め、往時の姿がよみがえることとなった。大名具足のような豪華さはないものの、庄屋になった後も、乱世を生きた先祖への敬意や家の誇りを大切に守り続けた結果として、現代まで伝えられた珍しい鎧と兜である。

(専門学芸員 山内 治朋)

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