調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第23回
2018.6.1

古布を再生 丈夫で暖か

佐田岬半島の裂織

明治―昭和にかけて佐田岬半島で使われた裂織の着物(ツヅレ)=使用地・西宇和郡伊方町志津、県歴史文化博物館蔵
 佐田岬半島で仕事着として使用されたこの着物。よく観察すると、汚れや破れが多くあり、継ぎ当てや刺し子で修繕・補強され、長らく着継がれたことが分かる。注目したいのは、身頃が裂織(さきおり)の技法で作られていることだ。
 裂織とは経糸(たていと)に麻、木綿などの丈夫な糸を用い、緯糸(よこいと)に細かく布糸状に裂いた古い木綿布などを用いた織物、その技法をいう。
 自給自足の衣生活の時代、貴重な衣料のリサイクルから生まれた裂織の布地は、丈夫で暖かく、農山漁村の仕事着などに再生され、東北や日本海沿岸地方に確認されている。
 1997~98年度に実施した当館の調査で、四国の最西端に位置する佐田岬半島において、裂織の着物が数多く存在したことが判明した。また、半島各地で裂織に関する聞き取り調査を行い、貴重な証言を得た。それによると、裂織の着物は「ツヅレ」「オリコ」などと呼ばれ、使用した世代は明治・大正時代生まれの人たちが中心で、戦後しばらくまで用いられていた。
 半島の人たちにとって裂織の着物は「過酷な労働から体を守ってくれたありがたい衣服」「一着で一生使える」といった感謝の言葉が多かった反面、「半島の厳しい生活を思い出す」と語る人もいた。
 高機(たかばた)でツヅレを製作した経験がある明治生まれの女性は持参したツヅレを見てわが子に再会するように懐かしんだり、昔海士(あまし)だった大正生まれの男性は、オリコを着て大分に出稼ぎに行くと、向こうの人に「まるで鎧(よろい)を着ているみたい」と言われたエピソードを誇らしげに語ってくれたりした光景は今でも忘れられない。
 佐田岬半島の裂織の着物には、半島の人たちのモノを大切にするカンベン(質素倹約の意)の心や、素朴な美しさの中にも人々の生きていく力強さや賢さが込められている。

(専門学芸員 今村 賢司)

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