調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第24回
2018.6.15

繁栄祈る縄文人の呪具

土偶と石棒

船ケ谷遺跡(松山市)で出土した石棒(右)と土偶の右足部分=縄文時代晩期、県歴史文化博物館保管
 縄文時代の道具には、狩猟・漁撈(ぎょろう)・採集といった生活に直接関わるものとして、矢の先端に付ける石鏃(せきぞく)や、木を伐採する石斧(せきふ)、木の実を加工する際に使用する凹石(くぼみいし)などがある。
 一方、まつりや祈りに使ったと考えられる道具も存在する。写真は松山市の船ヶ谷遺跡から出土した「土偶」と「石棒」で、どちらも縄文時代の呪具を代表するものだ。
 まず土偶は人の形をした土製の焼き物で、縄文人の精神世界や信仰のあり方を表現した芸術品として、世界的にも高い評価を得ている。乳房や下腹部、腰回りをふくよかに表現されたものが多いことから、女性の姿を表したものとされる。新しい生命を産み出す女性の神秘性に託して、自然の恵みや子孫繁栄などを願ったものと考えられている。
 また本資料のように、手足や頭部のみの破片として出土する場合が多く、まつりの時に意図的に破壊して、その病気やけがを治すための身代わりとしたとする説もある。
 次に石棒は、男性器を模したものであり、新しい命の誕生と成育、豊穣(ほうじょう)を祈る際に使ったとされている。現在、県内では、東・中予地域を中心に約20遺跡で出土しているが、基本的に縄文時代晩期(約2800年前)のもので、その多くは結晶片岩を素材としている。本資料に限っては、その下端部付近に溝が巡っている珍しいタイプのものであり、ひもをかけて下に垂らして使用した可能性も考えられる。
 船ヶ谷遺跡では、木偶や装身具など、祭祀(さいし)や儀礼に関連する遺物も数多く出土している。これらも縄文時代晩期のものであり、縄文人たちは厳しい自然環境の中を生き抜くためにさまざまな祈りをささげ、まつりを行っていたのであろう。

(専門学芸員 兵頭 勲)

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