調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第29回
2018.9.12

島根や大分産の貴重品

石器の材料 黒曜石

県内の縄文遺跡から見つかった黒曜石製の石核(左=松山市猿川西ノ森遺跡、隠岐産。右=愛南町深泥遺跡、姫島産)
 狩猟を生業とする時代において、優れた狩猟具を作るには、良質な石を使わなくてはならない。つまり石材選択・入手が石器を作る上で重要な第一歩となる。
 本県の遺跡では主に四国で産出するサヌカイト、チャート、頁岩(けつがん)などを用いて、ナイフや鏃(やじり)が作られているが、中には四国以外から運ばれてきた石材もある。今回はその一つ、「黒曜石」について紹介する。
 黒曜石は、火山によって生み出された天然のガラスで、割れ口が鋭く、加工しやすいため、旧石器時代から数万年にわたって石器の材料として利用されてきた。その代表的な産地には北海道白滝、長野県霧ヶ峰、島根県隠岐、大分県姫島、佐賀県腰岳などがある。
 松山市の猿川西ノ森遺跡では、黒色の輝きを持った、約350gの黒曜石の石核(せっかく=石器の材料となる剝片をはぎ取った後の原石)が出土している。
 産地を調べるため、蛍光エックス線分析を行った結果、隠岐の久見(くみ)産の可能性が高いことが判明した。隠岐から本遺跡までの直線距離は約260km、その間には日本海、中国山地、瀬戸内海が横たわり、それらを乗り越えて運ばれてきた本資料は、現在確認されている隠岐産黒曜石の中でも最南端に位置する。
 愛南町深泥(みどろ)遺跡では、直線距離で120km離れた大分県姫島産出の黒曜石(約670g)が採集されている。この姫島の黒曜石は一般の黒曜石とは色調が異なり、乳白色をしているため、肉眼でも容易に産地の判断ができ、古くから東九州との交流を研究する面でも重宝されてきた。このほか愛南町では、節崎(ふっさき)遺跡や茶堂遺跡でも大型の姫島産黒曜石製の石核が発見されており、当該地は黒曜石流通における四国の玄関口であったと推測される。
 こうした黒曜石をどのように入手したかは謎であるが、産地が遠方であることを考慮してもなお、当時の人たちにとって黒曜石は、ぜひとも手に入れたい貴重なブランド品であったのであろう。

(専門学芸員 兵頭 勲)

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