調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第32回
2018.10.27

伝承される各種練り物

吉田祭礼絵巻

江戸時代の「吉田祭」の様子を描いた「吉田祭礼絵巻」=1867(慶応3)年、県歴史文化博物館蔵
 毎年11月3日に宇和島市吉田町の立間、吉田地区を中心に「吉田祭」が行われている。神社が位置する立間は平安時代成立の「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)」に郷名として登場しており、古代から集落が形成されていたと推定される。
 八幡神社は立間郷の鎮守として崇敬があつく、江戸時代に入ると、1657(明暦3)年に宇和島藩の初代藩主伊達秀宗(仙台藩・伊達政宗の長子)の五男宗純(むねずみ)が宇和島藩から3万石を分知されて吉田藩が成立する。
 吉田藩の陣屋は現在の吉田地区に置かれ、ここが藩の中心地として周囲に武家町、町人町などが形成されていったが、伊達家は立間の八幡神社を総鎮守として仰ぎ、八幡神社の氏子圏は立間、吉田など広範囲に形成された。
 「八幡文書」によると吉田祭は、伊達家が吉田に入った直後の1664(寛文4)年に始められ、江戸時代後期には牛鬼など各種の練り物(祭礼行列で意匠を競った風流)が登場するなど、華やかな祭りへと発展していった。
 現在、吉田祭は3日午前5時からの卯之刻相撲に始まり、日中は楠木正成や豊臣秀吉、武内宿禰らの人形を載せた屋台(地元では「練車(ねりぐるま)」と呼ばれる)を引いて町内を練り歩く「おねり」が名物で、本町、魚棚、裡町など町ごとにさまざまな練り物、屋台が町内を歩き、午後5時ごろに八幡神社に神輿(みこし)が帰って祭りは終わる。
 吉田祭に関しては江戸時代成立の絵巻が残っており、町ごとの行列の様子が把握でき、しかも描かれている様子と変化が少ないまま、現在に伝承されている点が愛媛だけではなく全国的にも希少とされている。
 今年(2018年)7月の西日本豪雨で宇和島市吉田町は甚大な被害を受けたが、この町では長年にわたって吉田祭が継承されてきた。年に1度、地域の住民の結集を再確認する機会であり、愛媛を歩き続けた民俗学者・森正史は「祭りがあるかぎり、ふるさとは健在である」とも述べている。
 豪雨災害の影響で今年(2018年)の開催の可否が地元で議論され、結果、開催が決まったが、地域の結集の場である祭りの実施は、心の復興の大きなきっかけにもなるといえるだろう。

(専門学芸員 大本 敬久)

 吉田祭礼絵巻は、絵図・絵巻デジタルアーカイブに全体を高精細画像で公開中。

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