調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第38回
2019.1.25

旅先の娯楽も詳細記述

西国順礼道仲誌

松山藩南久米村の商人、室屋伊兵衛が記した「西国順礼道仲誌」=1794年、県歴史文化博物館蔵
 2018年に西国三十三所が草創1300年を迎えたとして、記念事業が行われたことは記憶に新しい。
 1794(寛政6)年、松山藩領の南久米村(現松山市)から、西国三十三所巡礼に出た商人がいる。日尾八幡神社門前町の商家浅井家(屋号・室屋)の伊兵衛満政である。51歳の春のことだ。彼が道中の様子を細かく書き留め、まとめたものが「西国順礼道仲誌」である。
 3月8日に旅立ち、5月11日に帰宅、実に2カ月余りを要した。久米町衆・城下町衆の同行5人旅で、金毘羅宮(香川県)を経て播磨(兵庫県)へ上陸、27番円教寺から時計回りに巡拝、24番中山寺(大阪府)で打ち納めとした。
 途中、伊勢(三重県)、熊野三山、高野山(和歌山県)、大峰山、吉野山(奈良県)といった名だたる聖地をはじめ、各地の寺社にも立ち寄り参拝するほか、名所・旧跡も訪ね、名産品の購入も忘れていない。打納後もすぐに帰郷せず、大坂に4泊5日にわたり逗留(とうりゅう)し、娯楽や買い物に繰り出している。
 道程だけでなく、旅先の様子や感想、自身の行動等も記しており、巡礼道中の模様が巡礼者自身の興味関心とともに伝わってくる。読んでいると、あたかも自分も旅に出た気分になる。
 関連する資料に、下書きか控えとみられる「西国順礼道記」、実際に旅先で備忘的に書き付けた小型携行版の「道中記」、また旅立ち前の餞別(せんべつ)を記録した「西国行ニ付餞別之控」が残っているのも貴重である。
 携行版「道中記」には、道中の支出状況も記されている。それによると、旅の資金は7両余り、支出は分かるだけでも5両を超え、実際にはさらに増額が見込まれる。支出割合が最も大きいのは宿賃だ。
 なかでも最高額の旅籠の一つは京都にあったが、なんとその旅籠、ちょうど70年後の幕末に新選組の池田屋事件で歴史に名を残す、三条小橋の池田屋であった。まさか、後に歴史的な大事件の現場になるとは思いもよらなかっただろう。多額の費用を費やした伊兵衛の巡礼旅であるが、浅井家ではその後も子や孫などが四国遍路や伊勢参宮に赴いており、商家としての資金力がうかがえる。
 本来の信仰目的に、娯楽要素も加わった、当時の西国巡礼の一例を伝える興味深い史料といえる。

(専門学芸員 山内 治朋)

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