調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第44回
2019.4.27

こだわり満載 五月飾り

内幟(座敷幟)

明治初期、伯方島に生まれた男の子に贈られた内幟。槍や馬印の両脇に幟旗が並ぶ=1869年製作、県歴史文化博物館蔵
 五月飾りといえば、こいのぼりや武者人形、兜(かぶと)飾りなどを思い浮かべる方が多いのではないだろうか。屋外に立てるこいのぼりや武者絵の幟旗(のぼりばた)は見かけるが、屋内に飾る小型の幟旗は今ではあまり見かけることがなくなった。
 端午の節句は奈良時代以前に中国から伝来したといわれ、菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)により邪気などを払う行事だったが、鎌倉時代以降、武家の行事として発展し男の子の節句として定着していった。現在のように飾り物をして祝うようになったのは、江戸時代中期以降で、屋外にはこいのぼりや幟旗、屋内には内幟や武者人形などさまざまな五月飾りが作られるようになっていった。
 紹介する内幟は1869(明治2)年、伯方島(現今治市伯方町)で塩業を営んでいた家に生まれた男児の初節句に贈られたものである。木製の枠に幟旗2本、十文字槍(やり)、瓢箪(ひょうたん)のモチーフをつけた馬印、毛槍の計5本を立てる。高さは2.14m、人の背丈をゆうに超える大きさである。
 幟旗に注目して見ていくと、旗の素材は絹の縮緬(ちりめん)。旗を竿に通すために縫い付けられた乳や、旗の下隅に縫い付けられた直角三角形の飾り布には高価な錦が用いられている。乳の縫い込みは、一般的な×印の他に、「叶」という文字を糸で表している。子どもの将来への祈りがかなうようにという愛情が垣間見える。
 旗の上部には青色の太い線と細い線を並行に配したお祝いに用いられる模様「子持筋(こもちすじ)」、その下に2種類の家紋が染められている。同じ家紋が二つあることから誕生を祝い親戚から贈られたものと推測できる。
 竿の上部に黒毛の飾り物を取り付け、旗の上端には子持筋の下に菖蒲を描いた「流れ旗」、旗の下隅には、「振り止め」と呼ばれる布製の錘(おもり)をつり下げるが、笠をかぶった毛植(けうえ)人形の猿が錘としてぶら下がっているのがなんともご愛嬌(あいきょう)。
 高価な素材を取り合わせたこだわりの内幟は、外幟と違って風雨にさらされることもないため、両親の愛情とともに昔のままの姿を今に伝えてくれる。

(専門学芸員 宇都宮 美紀)

※キーボードの方向キー左右でも、前後の記事に移動できます。