調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第50回
2019.7.21

祭礼への登場 江戸中期

南予の牛鬼

県歴史文化博物館に常設展示されている牛鬼
 宇和島市の夏の風物詩「うわじま牛鬼まつり」は、1967年に和霊神社の「和霊大祭」にあわせて市民イベントとして始められ、今年(2019年)で53回目。毎年7月22~24日に行われている。中でも南予各地から集結した牛鬼が練り歩く「牛鬼パレード」は壮観であり、大勢の人でにぎわう。
 牛鬼は現在、南予地方で約150カ所の神社祭礼に登場し、南予の祭りのシンボルとなっているが、その由来、起源は十分に明らかになっていない。加藤清正が文禄・慶長の役(1592~98年)で敵を威圧するために用いたのが始まりという伝説があるもののこれは史実ではない。
 時代的には、牛鬼が南予の神社祭礼に登場するようになったのは江戸時代中期。1700年代半ば以降と推定され、加藤清正伝説とは150年以上の隔たりがある。祭礼の牛鬼で現在確認されている最古の史料は、田苗真土村(現西予市宇和町)の亀甲家文書(県歴史文化博物館保管)の1784(天明4)年「牛鬼練物仕成諸入用人数面付帳」であり、これ以降、各地で牛鬼が登場していたことを示す史料が増えていく。
 さて、江戸時代中期以降、物語や伝説を題材とした人形をはじめ、刺しゅうや彫刻などの装飾を施した祭礼の山車、屋台が全国的に流行するが、牛鬼もそういった流れの中で誕生したという見方がある。
 伝説上の牛鬼は江戸時代中期の妖怪絵師・鳥山石燕(とりやませきえん)の「画図百鬼夜行(がずひゃっきやぎょう)」に紹介され、百科事典「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」に約30種類の妖怪の中の一つとして取り上げられるなど、広く知られた妖怪であった。しかしこれらは全身が黒毛で覆われて指が3本あったり、また伝説上の土蜘蛛(つちぐも)に類似したりするなど、南予の祭礼に登場する牛鬼とは全く形状が異なっている。
 江戸時代に流布していた妖怪としての牛鬼の形状がそのまま祭礼で造り物、練り物として具現化されたとはいえないが、そうした知識をもとに、宇和島では神社祭礼の造り物として現在のような牛鬼が創作、考案されて人気を博し、宇和島・吉田藩領内の各地に広がっていった。これが祭礼研究の分野で広く知られる説であるが、文献史料での直接証明は不十分で、まだまだ牛鬼の起源説は謎が多い。

(専門学芸員 大本 敬久)

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